微量毒素

白の魔歌 〜エリカ〜 p.2


魔歌

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 4月の夜、まだまだ寒い中、大学生たちが新入生歓迎の宴を開くため、夜の町にたむろしている。イガたちは、2年生であり、歓迎する側だが、歓迎のための段取りは実行委員が意を砕いており、一般参加者は楽しい宴会を待っているだけでよかった。そろそろ新入生が集まってくる頃である。新入生が集まるまで、外で待っていなければならないのは、実行委員の決めた段取りである。もっともな段取りであるが、早く来過ぎた者は、かなりの時間、外で待っていなければならないことになった。

「どうした、イガ。緊張してるのか?」

「あァ?」

「いや、何かイライラしてるみたいだから。どうかしたのか。」

 イガは高校時代、カズミがイガの心を読むために、酒を飲んだ時のことを思い出していた。『もー、ダウン?よわいのねー、カズちゃん。』 そして、その後、カズミは故郷を離れ、どこか知らない町で暮らしているのだ。便りはあるが、イガは追ってはいけない気がして、一度も姉のところを訪ねたことはなかった。

 暗い顔をして、物思いに耽っているイガを、ムサシは眉間にしわを寄せて、じっと見ていた。その視線に気付き、イガは言った。

「あァ、いや。酒にはちょっと悪い思い出が...」

 ムサシはそれを聞くと、訳知り顔にうんうんとうなずき、イガの肩をポンポンと叩いた。

「なるほど。わかった、わかった。みなまで言うな。任せておけ。」

 イガは、わけがわからず、不審そうにムサシを見た。ムサシはイガにウィンクをして言った。

「大丈夫だ。きょうは新入生の可愛い女の子もいっぱい来るから、女の子でも眺めて、元気を出したまえ。」

「はは、そういうのは興味ないぜ...」

 イガは苦笑いをして、首をふった。

「新歓コンパに参加の皆さん、こちらに集まってくださーい。」

 実行委員の声がかかった。

「じゃあ、行くか。」

「せいぜい、元気を出せよ。」

 二人は続々と集まって来る集団に向けて歩いた。



「さー、みなさん、盛り上がっていきましょー!みるちゃんもよしこちゃんも、もっとがんばろー!」

 イガはテーブルの間を歩き回りながら、新入生の女の子に声をかけまくっていた。きょうは40人ほどの女の子が出席していたが、すでに全員の名前を覚えている。恐ろしい記憶力だ。ムサシは大ジョッキを傾けながら、醒めた視線をイガに向けていた。

「...誰が興味ないって?」

 先ほどまでの鬱鬱とした表情はどこに行ったのか、生まれた時から上機嫌といった態で、つまらなそうにしている女の子の所に行って、話しかけている。かと思えば、集団でしらけている新入生の男どものところに向かい、一人ずつビールを持たせて、女性グループのところに向かわせたりしている。天性の宴会世話人かもしれない。ムサシは、大ジョッキをぐいっと空けて、お代わりを頼んだ。

「...しかし、よく続くな。」

 イガの勢いは、とどまるところを知らない。ムサシはしかたなく呟いていた。

「東に吐きそうな男あれば 行って看病してやり
西に疲れた2年があれば 行ってその接待役を代わり
南に帰りたがっている人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩やいさかいがあれば つまらないからやめろといい

しらけた時は涙を流し 静かになればおろおろ歩き
みんなに軽そうな人と呼ばれ
褒められまくって 苦にもされて...
むっ、いい感じかもしれない。」

 宮沢賢治のあまりにも有名な覚書を換骨奪胎して楽しんでいるムサシの元に、イガが戻ってきた。

「よっ、ムサシ。久しぶり。」

「おお。」

 ムサシはもう飲み物を水割りに替えていた。イガは身体を投げ出すようにムサシの横に座った。かなり酔いが回っているようにも見える。真っ赤な顔で、生まれた時から上機嫌、の顔はそのままだ。ムサシは言ってみる。

「...誰が女には興味ないって?」

「え?なに?うん、女っていいよねー。」

「......」

 ムサシは横目でイガを見た。やはり、かなり酔っているようだ。いつの間にか、ムサシの肩に手が回っている。あなどれない奴だ。女性が相手なら、かなりの武器になる。ほっぺたをひっぱたかれる可能性も、かなり高いが。

「まあ、何にせよ、ハイになってよかった。...たぶん、よかったんだろう。」

 イガの様子を見ながら、ムサシは言った。イガの顔は、いつの間にか、いつもの無表情に戻っている。

「...初めて飲んだのが、姉貴とでさ。」

 イガの口から、言葉がこぼれ出た。ムサシは、その言葉に潜む、イガの気持ちを感じ取った。茶化さずに、真剣に耳を傾けるムサシ。

「その後、姉貴は出てっちまったんだよ。高校の時にさ。」

「...ああ、覚えている。そうか。そういうわけで、酒は苦手ってことか。」

「あのあと、初めて決闘を付き合ってくれたんだよな...」

「まあ、いろいろあったからな。結局、2勝1敗か...」

 ムサシの言葉に、イガはむきになった。

「一回は勝負になってないだろ。おまえ、途中で逃げたじゃないか。」

「逃げるのも作戦だろうが。まあ、いい。とりあえず、飲みたまえよ。」

 イガはしばらく黙って、賑わう居酒屋の中を眺めながら、ムサシと飲んでいた。不意にムサシが言った。

「おまえ、勉強以外に大学でやろうと思っていることがあるか。」

 イガはムサシの顔を見た。ムサシは前をみつめたまま、水割りを飲んでいる。

「いや、特にない。強いて言えば、ナンパとかかな...」

 イガの軽口にも答えず、ムサシは続けた。

「おれはな。3年になる頃、しばらく休学して、放浪生活をしてみようと思ってるんだ。」

 初めて聞くムサシの話に、イガは少し驚いた。

「放浪...?何でまた。」

 ムサシは水割りの中の氷をカラカラと回しながら言った。

「わからん。ただ、何かが見つかりそうな気がしてな。」

「ふーん。」

「なあ...おまえも一緒に来ないか...?」

「うーん。」

 イガは伸びをして言った。

「休学して、放浪生活ねえ...ま、考えとくわ...」

「イガさーん!」

 女の子が呼んでいる。イガはしゃきっと起きあがって言った。

「マイ・ガール、今行くよー。」

 イガはムサシの肩を叩き、コップを持って身を翻し、去っていった。

「考えとくわ...か。」

 ムサシはため息をつき、ゆううつそうな顔をして、またとりとめもない考えの中に沈みこんでいった。


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