微量毒素

白の魔歌 〜エリカ〜 p.5


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 イガは、同級生にテニスに誘われた。近くの女子大の学生と知り合いで、誘われたのだと言う。人数合わせで、テニスができる人間を集めているらしい。それほど興味はなかったが、久しぶりにテニスをするのもいいと思い、参加することにした。

「いい眺めだなあ。」

 川下は、目尻を下げて言った。

「おまえはおやじか。」

「何を言う。健康な男子大学生で、あれを見てココロザシが立たん者は、人間的におかしい。」

「たしかに。」

 イガは早々に抜けて、木の陰に寝転がっていた。確かに、テニスウェアで身を固めた女子学生とテニスをするのは楽しい。楽しいが、下手なのだ。おそらく、大学に来て、初めてラケットを握ったのだろう、ボールを相手のコートに返すのが精一杯なのだ。まともなラリーにはならない。体育会系のイガには、この手のエスコートテニスほど気に障るものはない。どうせなら、女子学生の美しい肢体を眺めるだけのほうが、精神衛生上いいだろうと判断したのだ。せっかくの運動意欲を中途半端にそがれ、イガはたそがれていた。

 こちらのコート2面は、ポオンポオンのテニスだが、向こう3面のコートは、かなり気合いが入っている。あきらかに、体育会系である。音がビシッビシッだし、スコートのひるがえり具合も、断然いい。そんなわけで、イガの視線は、もっぱらそちらに向いていたのだが...

「あいつ...」

 そのコートで、今まさに特打ちを受けているのは、あの時の女の子だった。イガは立ち上がり、向こうのコートに近づいて行った。近くで確認して、イガは確信した。間違いない。あの時の女の子だ。長い足をコートにつけながら、リズミカルに左右に動いている。予想通り、かなりの運動神経の持ち主だ。ボールの正面に回りこむのが早い。見ているだけで、気持ちいい動きだ。

「イガ、やめろよ、恥ずかしいから。」

「は?」

 振り向くと、川下が泣きそうな顔をして、イガを手招きしている。回りを見ると、女子学生たちが不審そうな目をして、イガを見ている。イガは、女子学生しかいないコートで、仁王立ちになってあの女の子の練習を見ていたのだ。ものすごく目立っている。振り返ると、練習をしていたあの子まで、イガを不審そうに見ていた。イガは、片手をあげてみせた。不審そうな目は変わらない。足を蹴り上げて見せた。あっという表情が彼女の顔に浮かんだ。手を揃えて礼をする。礼を返して、イガは川下のほうに戻った。

「何してんだよ、イガ。」

「すまん。ちょっと知り人だったんだ。それで、つい。」

「知り人?へえ、どこで知り合ったの。」

「それが、まだ知り合ってないんだ。知ってるだけ。」

「なんだよ、それ。」

「これから知り合うんだ。」

 イガは夢見るような目をして言った。川下は、思わず身を引き、首をかしげながらコートに戻った。八島が訊いた。

「どうしたの、川下。」

「いやあ、イガはその手のことには興味なさそうに見えたんだけど。やっぱり春だからかなあ。」

 川下は空を見上げた。つられて八島も見上げた。白い雲が浮かぶ空は、暖かい光に満ちている。



 練習が終わるのを待っていて、イガはあの子に声をかけた。

「こんちは。先日はどうも。」

「こちらこそ、どうもありがとう。」

 そう言って、彼女はイガに冷たい視線を向けた。

「でも、あのことで私に付き纏うなら、あの男たちとかわりませんよ。」

「いや、そんなつもりは...」

 言いかけて、イガは首をかしげた。

「いや、そんなつもりはあるな。下心を持っています。別にあのことを恩に着せるつもりはないから、安心して拒否してください。」

「拒否します。」

「いや、それはこれから少しお話をしてからでも...」

「あなたにまったく興味がありません。お話を聞いても変わるとは思えません。それでは。お会いできてよかったです。」

 向こうを向いて去ってゆく女の子を見て、イガは首を振りながら呟いた。

「いいな。やっぱり惚れた。たいへんそうだけど、ちょっと頑張ってみるかな。」


 エリカは着替えを終え、更衣室から出てきた。アユミと話しながら歩いていると、イガが顔を出した。

「よっ、こんちは。」

 この男は、自分が着替えている間、ずっと待っていたのだ。エリカは、それを考え、非常な不快感を覚えた。完全に無視して歩き出す。

「え?あたし?」

 アユミの声がした。エリカが振り返ると、イガがアユミに話しかけていた。アユミは困ったように、エリカの方を向いて言った。

「この人、あたしに話があるんだって。ねえ、付き合ってくれない?」

 エリカは無表情にイガを見た。しばらくイガを見つめて、それから言った。

「ええ、いいわよ。付き合ってあげる。」


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