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白の魔歌 ~エリカ~ p.8
| 魔歌 |
この場所では、過去から現在まで、驚くほどの量の情報を貯め込み、そしてその情報が単に蓄積されるだけでなく、随時利用されている。情報は蓄積するより、活用する方がはるかに難しいのだが、これに成功している数少ないシステムがここにある。成功の要因は、ひとつはその環境の特殊性と、それに起因する、情報を利用しなければならないという利用者の宿命にある。環境の特殊性というのは、研究と言う形で、実業のニーズにあるないに関わらず、あらゆる方面の情報が利用されるという点である。そして、そこの所属員は、定期的に研究成果を提起する必要があり、そのために情報は、否が応でも利用される。そのような必要のある環境というのは、大学であり、この情報蓄積システムは、大学の図書館である。 ムサシは、高校時代から、社会のありように、一抹の不審を抱いてきた。そして、大学に来て、1年生の間に、この情報蓄積システムの中から、ムサシなりに、社会のある切断面を切り出すことが出来た。そして、それは、あまり望ましい事には思えない結論だった。それに、まだまだ傍証が足りない。この推論を、理論にまで持っていくためには、まだしばしの調査と検討を重ねていく必要がある。 今、ムサシは過去の雑誌類を読むことで、大きな流れをつかんでいこうとしている。雑誌を読み、抜書きをしながら、推論に肉付けをしている。ある程度抜書きが溜まったら、今度はそれを統合し、分析をしていく。このようにして、ムサシは自分の推論を固めているのだ。 最近、イガと話をしていない。共通の授業には出席して、雑談はしているのだが、高校のときのように、お互いの考えを深く話しあうようなことができない。ムサシは、イガと話すことで、自分の考えをまとめていくことも多かったので、イガの不在は寂しかった。そんなある日、イガが図書館でつめているところにふらりと現われた。 「よお、ムサシ。相変わらず図書館住まいか。」 「おお、イガ。なんでこんなところに。」 「それはなかなか、含みのある言葉だねえ。おれも同じ大学生だぜ。図書館にも来るさ。」 「おまえの勉強は、図書館でやるような種類のものじゃないだろう。」 「言うねえ。ま、今はその通りだけど。」 「エリカさんとのことは、うまく進んでいるのか?」 「まあ、一進一退というところだ。ものすごくガードが固くて、なかなか打ち解けられない。」 「だからこそ、おまえがそれを崩してやろうと思ってるんだろう。」 「んー。そうか。そうなのかな。相変わらず、いいコースをついてくるねえ。図書館にこもらせておくのが、もったいないぜ。」 「おまえも少しは図書館にでもこもってみたらどうだ。」 「無理無理。とても耐えられないよ、俺には。」 「じゃあ、おまえは今、何をやっているんだ。」 「うん、リサーチかな。迷える子羊の。」 「しようがないな。ま、がんばってくれ。俺もがんばってるから。」 「ムサシ。教養部の間からそんなに専門分野の研究に入ってどうする?おまえ、夏休みの宿題は後に残すタイプだったじゃないか。」 「これは、自分がやりたくて、やっていることだからな。宿題とは違うさ。」 「1年の時からやってたじゃないか。何でそんなにすぐ、やりたいことが出てきたんだ。」 「高校のときからだ。俺がこの検証をやりたかったのは。」 「高校のときから?筋金入りだな。そんなにがり勉してたっけ。」 「勉強からじゃないんだ。普段の暮らしの中から、この疑問があったんだ。大学に来て、理論の展開のさせ方を習ったから、それを利用して、その疑問を追及している。おかげで、だいぶ形が見えてきた。」 「おまえみたいに、大学の教育を有効に活用する奴もいるんだな。おれは試験が終われば、すべて忘れてるのに。」 「イガ。前にも言ったけど、俺は3年になるあたりで、一度放浪生活をしてみるつもりだ。でも、ひとりだと心もとない。できれば、いっしょに来て欲しいんだ。考えておいてくれ。」 「けっこう前にも聞いたな、それ。ま、考えておこう。」 「その返事も、前と一緒だよ。」 「そうだっけか?まあ、おれはまたエリカ嬢にアタックしてくるわ。」 ムサシはにやりと笑った。 「吉報を期待してるぜ。そのうち、ダブルデートと行こう。」 「その時は、おもいっきり当ててやるぜ。楽しみにな。」 「ああ。じゃあ、また。」 イガは向こうを向いて行きながら、右手を振って見せた。ムサシも、小さく手を振り、また分析作業に戻った。イガの足音が遠ざかり、また静けさが戻った。しかし、その静けさの底には、ページをめくる音や、ペンを走らせる音、頭をかきむしる音などが重なって、静かな騒乱を作り出している。 静かに見えるが、ここでは常時何百人もの人間が、それぞれの研究に没頭している。大学の図書館というのは、まるで養蚕農家の養蚕室のような、勤勉でいながら、静かで、底の方で囁きのような騒がしさのある、独特の空間である。 そこではきょうも新しい考えが産み出され、消え、また浮かび上がる。知的生産者にとっての工場といってもいいだろう。そこで学者や学生は、自分の知性を磨き上げ、新たな理論、新たな発見を作り上げていくのだ。 |