白の魔歌 〜エリカ〜 p.10
魔歌 |
エリカは腰に手を当て、仁王立ちになって、きつい目で周りを見回した。どことなく埃っぽいような感じがする、キャンパス。他の大学の学生キャンパスに入れるかどうか、少し心配してきたのだが、来てみたら、八方どこからでも入れるキャンパスだ。ここまでアクセスフリーだと、逆に心配になる。ここの大学の人たちはこれで困んないんだろうか。のんびりした、不思議な空間だ。 「...困った...」 エリカは眉間にしわを寄せ、呟いた。 「あいつがどこにいるか、わからん...」 エリカは、イガに付きまとわれているうちに、なんとなく面白くない気持ちを感じたのだ。いつも、自分が待ち伏せされる立場である。生活の場に踏み込んでこられるのが、自分だけなのは、なんとも面白くない。それに、イガが以前言ったことが気になって、イガの真意を確認したいという理由もあった。押しかけられてきた時に聞いても、こちらの気持ちが受けに回っているので、十分に対抗できない。攻めに回ってこそ、十分にこちらの意を尽くせるというものだ。 もういちど、エリカは回りを見回した。黄色いTシャツに黒いジーンズジャケット。下は同じく黒のミニスカートだ。この学校の学生たちは、あまり身なりに気を使っていない。男女とも、TシャツにGパンか、ワイシャツにスラックスである。エリカの格好はかなり目立っている。エリカは身体を回して、もう一度ぐるりと見回した。大まかに束ねて、ラフなポニーテールスタイルで結んだ髪が、ばらりと揺れる。なかなかの見ものである。 「経済学部って言ってたっけ。」 エリカは、相手に関する情報を、自分がほとんど得ていないことを、残念に思っていた。もう少しわかっていれば、効果的に先制攻撃が出来たのに。 「んー、どうしよう。」 エリカは、振り向き、自分を見ている視線にぶつかった。相手が慌てて目をそらす。このキャンパスでは珍しい、派手な姿を見て、見とれていた男子学生である。エリカは大またで、ずかずかとその男に近寄った。男は慌てたが、エリカは、自分を意識している人間に質問するのが、いちばんやりやすいと思い、訊くために近寄ったに過ぎなかった。 「こんちは。」 「こ、こんにちは。」 腰が引けている。勢い、エリカは身を乗り出して声をかけた。 「ちょっと訊きたいいんだけど、いい?」 「ああ、なに?」 エリカは腰に手を当て、半身を突き出している。相手が身を引いているためだが、そのせいで相手はさらに身を引いている。 「ね、経済の2年って、どこに行けば会える?」 「2年なら一般教養だから、この辺りにいれば会えるんじゃないかな。そろそろ昼飯時だし。授業がなければ、来てないかもしれないけど。」 授業がない、か。考えなかった。私はバカ?なんで、イガさんは外さないんだろ。エリカは、イガがエリカに会った時の、数倍もの時間を費やして、待ちぼうけを楽しんでいることを知らない。 「さんきゅー。助かったよ。」 エリカは身を引き、ぶらぶらと向こうに歩いていった。男はエリカの姿を眺めて、首を振っている。よほど、印象深かったらしい。エリカはまた目をつぶって、眉間にしわを寄せ、考え込んだ。 「んー。待つか。」 結論が早い。エリカは、大学生協前で、停めてある他人の自転車に横座りに寄りかかり、キャンパスを睥睨した。確かに、さっきの男が教えてくれた通り、講義が終わったらしい学生がぞろぞろと講義棟から溢れ出て来た。長い足を惜しげもなく晒して、自転車に寄りかかっているエリカの姿は、人目を引く。通る者がみな、じろじろと眺めていくが、エリカはこの人並みの中からイガを探さなくてはいけないので、それどころではない。 「まいったな...」 予想以上に人出が多い。しかも、見ていると八方に開いているキャンパスの、そこかしこから外へ流れて行く。こんなにダダ漏れで、方向性を持たないこの大学と学生たちに、エリカは次第に腹が立ってきた。こいつらは、少しはまとまって行動するってことをしないのか。うちの大学では、お昼になれば、みんな学生食堂に向かって、レストランか喫茶室で昼を食べるんだぞ。少しは見習え!エリカは、謂れのない怒りを募らせていた。 |
![]() |
その頃、イガとムサシは、講義を終えて、講義棟から出てきたところだった。イガは頭をくりくりといじりながら、ムサシに言った。 「ドイツ語はけっこうきついよなー。人称なんて、もうどうでもいいって感じだな...」 「人称をちゃんと覚えないと、ドイツ人には通じませんよ、ってさ。」 「人間には、ボディランゲージっていう便利なもんがあるじゃないか。」 「電話でか?」 「...おまえ、きらいだ。腹減ったな。」 「カレー?定食?」 「うどん。」 「おやおや、大きくなれないよ。」 「定食は混んでいる。よってカレーかうどんだな。ドイツ語の後は、どうしても出遅れるからな。」 「しゃーないな。カレーだ。」 イガとムサシは、キャンパスの北に位置する、カレー、うどんの食堂に向かった。ムサシはふと、生協の方に目をやり、この大学に合わない、華やかなものを目にした。 「あれ?」 次々に流れてくる学生を、じろじろと睨むようにしているのは、ひょっとして... 「おい。」 ムサシはイガの肩を押さえた。イガは急に引き止められて、バランスを崩しながら振り返った。 「あァ?」 ムサシは生協前を指差した。 「イガ、あれ、おまえの想い人じゃないか?」 「まさか。」 そう言いながら、眺めてみると、向こう向きで顔は見えないが、雰囲気が確かにエリカらしい。イガの頭の中に、疑問符が乱舞した。 「ちょっと、行ってみよう。」 「消えよっか?」 気を使うムサシに、 「いや、いい。」 と言い、イガは足早に生協の方に向かった。近づくと、確かにエリカだった。かなり、険しい顔で、やってくる学生を見ているので、学生たちは不審な顔を向けて通り過ぎてゆく。イガは後ろからエリカに声をかけた。 「おい、エリカさん。」 |