微量毒素

白の魔歌 〜友だち〜 p.6


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 母親は静かに話している。エリカは、とても奇妙な気持ちでそれを聞いていた。考えているうちに、その違和感の原因がわかった。母親は、エリカを対等の位置において話をしているのだ。

「あと、半年で、おまえは帰ってくる事になるんだけど、それでいいの?思い残すことはない?」

 何を言いたいんだろう。エリカにはわからなかった。

「帰ってくるわよ。最初からの約束じゃない。」

「そう...」

 母親は立ち上がった。

「どうしたの?」

「スイカを食べる。あんたももう1個、つき合いなさい。」

 エリカは頷いた。母親は、スイカを切って、お盆に載せて持ってきた。

「エリカ、こっち。」

 母親は顎をしゃくった。

「え?どこで食べるの。」

 母親は大股でずんずんと歩き、エリカはついて行った。母親は、庭に面した縁側に、お盆を置いた。つっかけを履き、庭に出る。

「来なさい。」

「庭に?」

 庭はけっこうちゃんとした、和風の庭園になっている。エリカは庭に下りた。母親はスイカを両手に取り、ひとつをエリカに渡した。スイカに塩が振ってある。

「こういう風に食べるのが、いちばんおいしいのよ。」

 母親はいきなりスイカにかぶりついた。顔を上げると、口の周りがスイカの汁で濡れている。

「おかあさん...」

 エリカは笑っていいのかどうかわからなかった。

「さあ。」

 母親に促され、エリカはおそるおそるスイカに口をつけた。フォークごしでない、直接のスイカの味。頬が濡れるのがわかったが、かまわず噛みとった。溢れるつゆが、スイカの匂いを強烈に発散している。塩が味覚を刺激し、スイカの甘さがさらに際立ってくる。

「おいしい...!」

 母親はエリカに向かってウィンクし、さらにスイカにかぶりついた。エリカも、それにならって、スイカを賞味した。おおむね、赤い部分が姿を消した頃、母親が言った。

「こういう食べ方をするとき、注意しなけりゃいけないのは、白い服を着て食べない、ということね。」

「ひっどーい、おかあさん、先に言ってよ。」

 エリカは情けない顔で、自分のTシャツを見下ろした。喉からたれた汁が、Tシャツの胸元を赤く染めている。見下ろしているうちに、笑いがこみ上げてきた。

「くっくっく...」

「どうしたのよ、エリカ。」

 わかっているくせに、母親は澄まして聞く。それがおかしくて、エリカの笑いはさらに大きくなる。

「なんか、赤ちゃんみたいね。せめて、よだれかけをしてから食べなさいよ。」

 言った母親も耐え切れなくなり笑い始めた。なかなか止まらない。しばらく笑いつづけて、母親は言った。

「種をいっぱい飛ばしたから、来年はこのあたりにスイカが出るかもしれないわね。」

 それを聞いたエリカの胸のなかに、落ち着いた和風庭園の中で、繁殖しているスイカの図が浮かんできた。とても奇妙だけど、不思議に調和している。

「それもいいね。」

 二人はしばし、瞑想に耽った。やがて、母親が言った。

「ねえ、エリカ、大学生活は楽しい?」

「ええ。とっても楽しんでいるわ。心配しないで。」

「そう。それが何よりね。」

 母親はそう言った後、さりげなく付け加えた。

「そうそう、ヤナカさんが明日、来ることになってるの。覚えといてね。」

「うん、わかった。」

 エリカはそう答えながら胸の奥に、ちくりとうずくものを感じた。なんだろう、と思う間もなく、母親の顔に帰った母親が、言った。

「さあ、はやくシャツを着替えて。早く洗わないと、染みになっちゃうから。」


 エリカは荷物を持って、自分の部屋に入った。

「ただいま、私のお部屋。」

 エリカは、さっそくベッドに倒れこんだ。そのまま顔を横に向け、手を伸ばしてオコジョのぬいぐるみをつかまえる。そのまま横向きになり、歌を口ずさみ始める。

『ぼくの 見る夢は 秘密だよ。誰にも 言えない 秘密だよ...』

 エリカは大学のことを思い出す。校舎に授業、先生方に、友だち。アユミに...イガさん。みんな、エリカに何か言っている。エリカを手招いている。

 突然、エリカの頬を水滴が滑り落ちた。はっとして、天井を見る。なんともない。顔をなぞると、睫毛が濡れている。涙...?

「なんで。」

 涙は一滴だけ、確かにエリカの瞳から零れ落ちたのだが、涙の理由は理解できなかった。


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