白の魔歌 〜大学祭〜 p.3
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★ 第2回学園祭実行委員会。 |
アリサは腕を組んで、講義室の中を眺めている。前回に比べ、2/3程度の人数しかいない。クレハは長い髪を後ろからかきあげて、ばさりと落とした。 「まあまあ、ね。2〜3人しか残らなくて、また頼んでまわらなければならないんじゃないかと思ったわ。前回はぎりぎりの線よ。あんなに早く、アリサとノダさんが正面衝突するとは思わなかったわよ」 「けっこう、すっきりしたな、あれは。でも、この盛況は、思っていたよりずっといい感じね」 「ったく。こっちは冷や冷やもんだったんだからね」 「すまぬ、すまぬ」 ノックのように、2回リズミカルな音がして、ドアが開け放たれた。ジーンズの足を振り出して、勢いよく文学研究会のノダが入ってきた。 「あれ、ノダ文、来たわよ!信じらんない!」 「ちょっと、ノダ文って何よ」 「決まってんじゃない。ノダ・オブ・文学研究会の略よ」 ノダは前回と同じく、一番前の席にどかっと腰をかけた。アリサは迷わずノダのところに向かった。ノダの横に行って、アリサは片手を上げて言った。 「ハウ」 「ハオ」 ノダは顔をアリサの方にねじ向けて答えた。アリサはにこやかに言った。 「大びっくりだわ。悪いけど、あなたは来てくれないと思ってた。なんで来てくれる気になったの?」 「隠しだまにやられたよ、あんたんとこの娘?あの娘。あのもったいないお化け。ありゃ天然なの?ちょっとキャラクター的に面白すぎるんで、見過ごせなくなっちまったのよ」 「あなたもそう思う?最初、あの娘に声かけたら、ふられちゃったのよ。ああ、うわさ話は下品ね。直接聞いてみなさいよ。おもしろいわよ」 「とにかく、協力するよ。ほんとはね、おもしろそうだって思ってたんだ。でもあんたが何か企んでるんじゃないかと思ってたんでね。あんたもいろいろ言われてる人だから。そんでいろいろかき回してみたの。悪く思わんでね」 「ぜんぜん。あなたが手を貸してくれれば百人力だわ。お願いします」 「ああら、お上手ね」 「まあ、わたくし、生まれてこの方、おせいじなど口にのぼらせたことも、食したこともございませんわ」 ノダはにやりとする。アリサは右手を伸ばす。ノダはそれを受け、握手をする。そこへエリカがやってきた。やはり一番前、ノダの隣に来る。アリサとノダが並んでいるのを見て、ぱっと明るい顔になる。 「あら。仲直りできたんですか?」 「あー、まあね。おかげさんで」 アリサは微笑み、その場を離れる。ノダはエリカと何か話を始めた。壁の時計が16時を指し、クレハが前に出た。開会を宣言し、続いて、計画の説明に入る。 「今日来ていただいた人たちは、自ら進んで深みに嵌ろうとしている方たちだと存じます。きょうは皆さまの頭を、思いっきり淵の中へ沈めてさし上げるつもりです。皆さんなら、さぞ立派な沼女になれると思います」 笑いが起こる。いい感じだ。 「それでは、本日は初めに、学園祭に当たっての私たちの基本的な考え方をお伝えします」 クレハはぐるりと全員を見渡した。 「私たちは、今回の学園祭を歴史に残るようなものにしたいと考えています。そのためにどのようなことをしていけばいいか、検討に検討を重ねた結果、やはり当たり前のことを当たり前にするのが一番であるという結論に達しました」 出席者はざわめいた。ノダは眉間にしわを寄せて聞いている。エリカは机の上に両手を乗せて、熱心に聴いている。 「それでは、基本方針をあげます。 ひとつ、生徒および教職員の全員参加。 ひとつ、内容に関する規制をほとんどなくし、生徒への大幅な権限の委譲を求めます。もちろん、自由とのトレード・オフとして生徒は重い責任を負うことになりますが、もちろんこれも参加者全員に担ってもらうことになります。 以上の二つをベースとして、学園祭を作り上げていきます」 「そんな、無理よ...」 「許可だって下りるとは思えないわ...」 出席者の間で大きなざわめきが起きる。ノダも口を開け、会長を見つめている。はっと我に返り、エリカを見る。エリカはむしろ楽しそうに聞いている。 「具体的なイベントとしては次のようなものを考えています。 ひとつ、後夜祭は翌朝まで、徹夜で開催する。 ひとつ、大学までのバス道路を、可能なかぎり花で埋め尽くされたフラワーロードとする。 ひとつ、予算の制限を減らすために、外部の企業・商店よりの協力を求める。 ひとつ、学園祭のためのピンバッチを作り、生徒全員に付けてもらい、宣伝の一助とし、また士気高揚の一助とする。 ひとつ、...」 ノダは途中で口をはさんだ。 「ちょ、ちょっと待って。これは企画案だよな。あんた、どこまでやるつもりでいる?」 クレハはノダを見て、不思議な笑みをうかべた。 「もちろん、すべてをやるつもりでいますわ、ノダさん」 「そんな」 クレハは全員を見回して言った。 「企画案はまだまだあります。おわかりいただけたでしょうか、私たちがお手をお借りしたいといったわけが。少しでも多くの力を入れることで、我々のできることがどんどん広がっていくからです。けして手抜きをしたいからなどという理由でないことはおわかりいただけるでしょう」 多くのものが頷く中で、経営研究会のサエリが挙手して言った。 「ちょっと、よろしいかしら」 |
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クレハはサエリの発言を認めた。 「いろいろな企画を考えておられるようだけど、ちょっと気になるな。この企画は全部メインの企画じゃないわよね。学園祭はやっぱり、各学科や、サークルの展示企画がメインでしょ。そっちはどうするの?大宣伝して、せっかく来てもらっても、肝心の企画や展示がしょぼかったら、お客さんに失礼じゃない?集客ばかり考えても、竜頭蛇尾に終わっちゃわない?」 「確かにその通りです。それについて、我々は一つの腹案を持っています。ヤン、資料を黒板に貼って」 クレハが事務局の一人に言った。ガムをくちゃくちゃ噛みながら、髪を赤く染めた子が、巻いた紙を持って立ち上がった。 「ヤンはやめてくんない?ちゃんとシズコって名前があんだから」 文句を言いながらも、ヤンは手際よく黒板に紙を貼った。アリサが混ぜっ返す。 「どう見ても、この伝統ある学園において浮きまくってるあなたに、敬意を表してのネーミングなのに。」 ヤンはガムをチッと鳴らした。 「どうせ、ヤンキーのヤンだろ」 「当たりだわ。何て頭が切れるのかしら」 「やっぱり今度、絞めちゃるわ。あん時、フーが来なけりゃ、今ごろしずかーになってたのによ」 「あら、フーさんが来なくても、あたし一人で十分でしたわよ。こう見えてもあたくし…」 言い合う二人に、クレハが割って入った。 「漫才はそれくらいにして、進行が遅れるから。皆さん、こちらをご覧ください」 紙には、企画内容の承認についての流れ図が描かれている。 「昨年度までは、教室使用の申請をしていただければ、ほとんどチェックなしで許可が下りていました。本年度の展示については、申請していただく段階で、内容について細かい確認をさせていただき、ある程度の水準に達していない場合は、却下させていただきます」 「ばかな」 ノダが立ち上がった。 「誰が判断するんだよ。基準はどうするんだ?それこそ、誰かの好きなようになっちまうじゃないか。冗談じゃない。これは絶対認められないぞ」 「しかし、こういうような形をとらないと、いい加減な企画が大手を振って通ってしまうことになります。そういう事態は避けたいんです。判断する者は、実行委員から一名、学内の有識者一名、教授の中から一名の3名を考えています。そのような形をとれば、誰かの好きなようになる、という事態は避けられると思いますが」 「馬鹿言うなっての。ちょっと力のある奴なら、2人くらいの懐柔なんて簡単だろ。だめだ。これは、駄目!」 「人選は、かなり厳密な考慮の上で行うつもりなんですが…」 ノダはかなり殺気立っている。クレハの説得では、とても納得しそうにない。アリサが立ち上がった。 「生ぬるいわ、クレハ。ちょうどいい。ここでぶつかってしまいましょう」 「アリサ!やっぱり。学園祭の名前で何をやらかすつもりだ?こりゃ、完全な自由の抑圧じゃないのか?いくらなんでも、これは行き過ぎだ。これだけは認められない。撤回しろ」 場内のざわめきは、間違いなくノダを支持している。何人かは発言の機会を求めて立ち上がろうとしている。アリサは全体を見渡して言った。 「恐怖政治が必要なのよ、この羊の群れにはね」 ノダは目を剥いた。立ち上がろうとしていた者も、その場に凍りついた。ざわめきがぴたりと納まり、静まりかえった中で、ノダはようやく言葉を押し出した。 「アリサ……」 「だから、申し上げておりますのよ、ノダさん。この学園の人間の大半は、誰かに怒鳴られない限り、どちらを向いていいかもわからない、迷える子羊だって。羊を導くためには、羊飼いと牧羊犬が必要なんですよ。おわかりでしょう?あなたなら」 ノダはものも言わず、つかつかとアリサのところに歩み寄った。ヤンが立ち上がり、アリサの前に立つ。 「ヤン?」 フーが声をかける。ヤンはチッとガムを鳴らした。 「手は出さねえ」 ヤンは低い声で答えた。ノダの身体から炎が吹き出るようだ。アリサは表情を動かさずに言った。 「ヤン、いいから。あたしの獲物よ」 「おい。どういうつもりだ?アリサ。絶対に裏があるんだろ?」 ノダはヤンに目もくれず、アリサに話しかけた。ヤンはそれでも動かない。 「もちろん、あるわよ。私はそのために、望む限りの精鋭を集めて、この学園祭実行委員会を結成したんだから。ただ、問題なのは、みんな私を信用してくれないってことよ。私一人で十分だって言ってるのに、何でみんな出てきてくれちゃうのかしら」 「おちゃらけはいい。今すぐ、私を納得させるだけの言い訳をしろ。さもなければ、私はこの委員会をぶっつぶす」 「まあ、怖い。でも、やるでしょうね、あなたなら。じゃあ、聞いてちょうだい。ノダさんの脳味噌にもよおくわかるように説明するから」 アリサは半分閉じた目を光らせて、集まっている全員をぐるっと見回し、最後にその眼をノダに向けて止めた。 「本当に、あなた方は、この学園にいるのが羊ではないと思ってらっしゃるんですか?本当に、心の底から?」 |
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アリサはノダを見据えていった。 「そうだとしたら、あなた方はとんだ大馬鹿野郎だわね。これ以上説得する必要もないくらい」 ノダはアリサの一閃で、受け太刀に回らざるを得なかった。 「そりゃあ、中にはいい加減な奴もいるさ。でも…」 「ノダさん?それを言っていいの、あなたが?それは自分の信念に対する裏切りじゃなくって?」 ノダは一言もない。アリサはふいに表情を和らげた。 「いいのよ、ノダさん。それがあなたの本当に言いたいことじゃないってわかってるから」 「いや。そうじゃないかもしれない」 ノダは歯軋りするような声を出した。 「私はそう思ってるんだ。口ではなんと言おうと…」 ヤンは下がって、自分の席についた。フーは頷いている。 「さすがノダさんね。どうしたらそこまで自分をセーブしていけるのか、わからないわ。私だったら暴れてるとこ」 ノダはきつい眼をアリサに向けた。アリサは笑っている。 「もっと、いい子ぶりっ子をされないと、私の説得の効果は半減しちゃうんだけど。ノダさん相手じゃ、仕方ないわね。では、裏のお話しをしましょう。ノダさん、席にお戻りください」 アリサに促され、ノダは席に戻った。机に両肘を突き、アリサを見据えている。アリサは話しだした。 |
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「先ほど申し上げたとおり、この学園の人間の大半は、自分では行く先も決められない、迷える子羊です。誰かが決めた通り、今までの慣例通り、物事を進めていって、自分が流れの中に埋没していくことを、善しとしている人間です。ここに来ている方々は、みなさん多かれ少なかれ、それを感じ、そう言う風潮に唇を噛んできた経験がおありだと思います。違いますか?」 アリサは言葉を切り、全員を見渡した。座は水を打ったように静まり返っている。アリサは続けて話し出した。 「でも、それは本当にそうなんですか?みんな新しいことをやりたがっていないのでしょうか?」 「でも実際、新歓のときにもいろいろな企画を考えたけど、結局誰も乗ってこなくて、ただの客引きとクラス訪問で終わったわ…」 漫画研究会のアンドウが言った。大きな声ではなかったが、静まり返った部屋の中では、全員が聞き取ることが出来た。そして、ざわざわと同意の声が広がっていた。アリサはその様子をじっと眺めて、そして言った。 「確かに、新しいことをしようとすると、反対する人もいます。面倒くさがる人もいます。それは当たり前のことです。旅立とうとする時に、行く手への不安はあって当然なんです。ここにいらしている方々は、自分から旅立てる人たちです。でも、本当に反対する人、面倒くさがる人は、旅立ちたくないんでしょうか。ほんとうに?」 ノダは、いつの間にか、呆然としてアリサを見ていた。アリサは、逆にいつの間にか、目を伏せていた。 「みんな同じなのではないでしょうか。この学校に来たこと自体、誰にとっても大きな旅立ちだったと思います。大きな希望を持って、この学園に来たはずなんです。それなのに、せっかくこの学園に集まったのに、遠慮したり、思い込んで自分を閉じ込めている人たち、みんなを引っ張り出すのが、今回の学園祭の、一番の目的です。この学園のひとり一人、誰もが記憶に残る学園祭を作り上げるのが、私たちの望みなんです。だから」 アリサは顔を上げ、ノダの方を見て微笑んだ。 「無理やりにでも、全員に参加するという意識を持っていただきたいんです。なあなあでやる、適当な企画では、絶対に遠慮する人や、参加しなくてもいいと思う人が出てしまうでしょう。だから、いい加減な企画は通しません」 「しかし、それじゃあ、基準が不明確だろ。そこはどうするんだ」 アリサは笑みを広げた。 「基本的に、企画を却下するつもりはないのよ、ノダさん」 「え?何だよ、それ。どういうこと?」 「企画内容について、こちらは文句をつけます。つけまくります。私たちが納得するまで、説明をしてもらいます。場合によっては、日を変えて来てもらうこともあるでしょう。そこまでして掘り下げた企画は、納得できるものになると思うんです。文句をつけられるほうは、却下されるより、もっと大変になるでしょうけどね」 「どうでもいい企画は、自然消滅しちまうってわけか……」 「そういうことです。ですから、特定の誰かの意図によって、選別されてしまうという心配はほとんどないと思いますよ、ノダさん。もちろん、やりようはありますけど」 「目的がわかれば、私の心配は杞憂だって納得できるさ。了解。わかった。私は認める」 ノダは両手を上げて見せた。アリサは講義室内を見回して言った。 「今すぐ結論を出して欲しいとは思っていません。賛否について、できれば次回までに考えてきてください」 アリサは深追いせず、ここで引っ込んだ。ノダはいすに深く座り込み、腕組みをして聞いている。 <<ここまで考えていたのか...だれが聞いても不可能だと思える計画だな。それを手伝えと、百人力だと。本気なのか。そうだろうな。考えていた以上に大変なことに参加しちまったな... >> ノダは隣のエリカを見る。エリカの目はきらきら輝いている。他の出席者も私語をしながらも否定的な目の者はいない。興奮して目を輝かせている。 <<みんな、すっかりその気だぜ...こいつは千人力かもしれない。まったく、厄介なことに巻き込んでくれるぜ、会長さん。あんたが本気なかぎり、私もやってやるよ。こりゃ、大変なことになりそうだぜ>> クレハは、時計をちらりと見て言った。 「いけない。もう8時50分だわ。残念ですが、ここが使用できるのは9時までです。もう少し話を進めておきたかったのですが、きょうはそろそろ終わりにしたいと思います。最後に、学園祭のテーマについて、考えていただきたいのです。テーマというより、標語、あおり、コピー、合言葉のようなものをイメージしてください。みんなが、より深く学園祭に関わりたくなるような言葉を考えてきてください。こちらでも考えては見たのですが...」 クレハが、歯切れ悪く言葉を濁した。それを待っていたかのように、アリサが立ち上がり、黒板の前まで行った。 「今回の学園祭のテーマを提案します」 みんな、固唾を呑んで見守る。アリサは皆をちらりと見て、迷いのない勢いで書き上げた。 『チリも積もれば山になる』 唖然とする出席者に、アリサは自信満々で言い放った。 「いかがでしょうか?」 出席者全員が盛大にブーイングをかました。アリサは半身を引き、憮然とする。クレハは苦笑いをしながら言った。 「脅すわけではありませんが、皆様からいいテーマがいただけなければ、これがテーマになってしまいますよ。せめて、もう少し聞こえのよい言葉を考えましょう。自治会室の前に、テーマ投票用のポストを設置して置きますので、事前にいただければ、こちらでまとめておきます。次回は半分の時間を使って、これを検討することになると思いますので、よろしくお願いします。」 「脅してんじゃん、しっかり。何でこれがいけないかなあ」 アリサは黒板を見ながらぶつぶつ言った。クレハは無視をして、閉会を宣言した。 「次回は来週の同じ時間に開催します。皆様とまたお会いするのを楽しみにしています。それでは、本日の会はこれで終了させていただきます。長い時間に渡り、ありがとうございました。」 「それでは、みなさん、また会いましょう。テーマは考えてこなくていいからね」 アリサが言った。ノダが言い返した。 「冗談じゃないわよ。こんなテーマを受け入れるくらいなら、徹夜してでも考えてくるわ」 出席者は笑いながら、講義室を出て行き始めた。ノダはエリカに話しかけていた。エリカは頷いて立ち上がり、アリサとクレハの方を見て会釈して、ノダに連れられて出て行った。 |
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皆が出て行き、講義室の中には、資料などを片付けている事務局のメンバーだけが残った。ヤンとフーは片付ける手を止め、アリサの方を見た。 「異常にうまくいっていますね」 フーが言った。クレハが応えた。 「ノダさんのリアクションはおいし過ぎるわ。まるで、こっちの思惑をわかっているみたい」 「それはない。殺気は本物だった。」 ヤンがぼそりと言う。アリサは思い出したようにヤンに抗議をした。 「そうだ、ヤン、あんた、何で出てきたのよ。私は世にも珍しい女同士の掴み合いって奴を実演できるかと思ってワクワクしてたのに」 「ノダは殴り合いを考えていた。あんたが顔に痣をこしらえると、これからのきっつい交渉がやりにくくなんだろ」 「痣がいくつかあったほうが、交渉ごとにはよかったかもね」 フーが考えながら言う。ヤンはフーをちらりと見て言った。 「だめだ。顔に傷をこさえてるような奴を、人は信用しない。せめて、目に見える部分は綺麗にしておくべきだ」 「経験則ね、それ」 「人は、結局のところ、外見で判断されるのさ」 アリサはふっとヤンの顔を覗き込んだ。 「それでヤンは髪を染めてるのね」 ヤンはちょっと痛いような顔をした。フーはまじめな顔で頷いた。 「何でおまえが頷くんだよ」 「あたしは背が高いからねえ。それこそ外見でいろいろ損をしてきたよ。だから、ヤンが髪を染めるのが、それが格好いいと思ってるからでないことはわかる。だって、ヤンはそれを自慢してないもん。どっちかというと、烙印を押されていると思っているみたい」 「なんだよ、それ」 抗議するヤンの声に迫力がない。アリサが言った。 「わたし、ヤンは好きよ。ぎりぎりのところで生きようとしてるから」 ヤンは向こうを向いてしまった。クレハが柔らかく言った。 「こっちもこれから、ぎりぎりのところを行くんだからね。そうでなきゃ、ヤンだって来てくれる気になんないわよね。フーも、ヤンも、アリサも、これからが大変なのよ。幸いなことに、今のところはこちらの思っている以上にうまく進んでる。羊も狼も、中に秘める思いの強さは同じって、アリサの言い分が合ってたってことね。でも、私はもうちょっとシニカルな性質なんで、そうそううまくいくとも思っていない。いい?これからはもっともっと大変なのよ。褌を締めなおしてかからないとね」 「がんばりましょう」 「それこそ、望むところだ」 「ねえ、褌って気持ちいいの?」 アリサ以外の3人が首を落とした。フーが言った。 「まあ、こんなとこかな」 「そうね」 「やっぱり、あの時に絞めておくべきだった...」 「ねえ、誰か締めたことある?」 「あるわけないだろ!」 突っ込むヤンに、フーが遠慮がちに言った。 「わたし、あるよ」 3人の視線は、瞬時にフーに集中した。 「ほんと?」 「マジ?」 「気持ちいい?」 ヤンは何も言わず、アリサの頭をパシッと叩いた。しかし、3人の視線はフーから離れない。クレハが咳払いをして、さりげなく聞いた。 「それで、いつごろお締めになったの?幼稚園とか、小さい頃でしょ?」 「おしめってなんだよ」 「中学生までやったかな。お祭りで、そういうのがあったんだよ」 「女子中学生が褌を締めるお祭り?」 「何か、その言い方はやだな。老若男女関係なく褌を締めるの。さすがに中学生以上になると、そういう格好をする人もあまりいなくなるけど」 「じゃあ、いるはいるの?」 「うん」 「すっげえ祭りだな...大丈夫なのかよ...」 「褌の下には何か穿いて、その上に褌をするのよね」 「ううん。じかに締める」 「マジっすか!」 「鼻血が出そうなお祭りね...」 「あんたは女だろ!」 「女でも出るわよ、それじゃ」 「確かに...」 「で、気持ちいいの?」 ヤンはスパーンとアリサの頭を叩いた。アリサは前にのめった。 「あなた、だんだん手加減がなくなってきてる...」 「当たり前だろ。ほんとに、じか締めなのか?」 「もうこの話はやめましょう。でも、褌を締めるのは気持ちいいよ。何か、きりっとした気持ちになれるの」 「なるほど...」 3人は感慨深げに頷いた。そして、4人はそそくさと片付けの続きを始めた。資料をまとめ、講義室を出る。クレハが最後に中を見回して、にこりと笑って電気を消し、ドアを閉めた。 |
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