白の魔歌 〜大学祭〜 p.15
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1 | いつも一緒 |
2 | 学園祭、前夜 |
★ いつも、一緒 |
クレハは12時近くになって、ようやくアパートについた。 「さすがにきついじゃん...」 独り言を言いながら、流しで手を洗い、うがいをする。 「がらがらがら...」 音が止まった。横目でテーブルの方を見ている。 「がら。がら」 少しずつうがいをしながら、顔を捩じ曲げている。テーブルの上に白い紙が乗っているのだ。 「がらんら。がらら。(きたんだ。あいつ。)」 のどの汚れを流し終え、冷やしたウーロン茶をグラスに注ぎ、テーブルの前にちょこんと正座した。二つに折ってある紙を開く。 『お疲れさま。勝手にくつろいでいた。シュウマイをいただいたので、かわりに餃子を入れておく。今日の映画はなかなかだった。ビデオにとってあるから、見たけりゃ見るように。できれば、次回感想を聞きたいものだが。 あんたの男』 クレハは紙をかざして頭を下げた。 「申し訳ない。ほっぽっといて」 ビデオを確認すると、巻き戻してある。 「やっぱり、これはぜひ見ろ、ってことだな」 クレハは再生のスイッチを入れた。なるほど、なかなか面白い。アクションも、少しひねられていて、新鮮な感じだ。主人公が泥の中から必死で這い上がってくるシーンを見て、クレハは思わず膝を叩いた。 「ねえ、あれって...」 話しかけた隣には、もちろん誰もいない。クレハは話しかけた顔のまま、そろそろと前を向いて、小さい声で言った。 「そっか」 クレハは、しばらく下を向いていたが、やがて顔をあげた。 「一緒に見てるんだよね、今も」 クレハはまた画面に熱中し始めた。そう。今、彼女の横には、数時間前までここにいた、クレハの男がいるのだ。彼もまた、一緒に見ているように楽しんだに違いない。そして、今はクレハが同じように楽しんでいる。お互いに、相手が感じるだろう面白さを感じ、突っ込むだろうところを思い、泣きたくなるところでは手を握りあって、見ているのだ。見ている時間がずれていても、いっしょに見ているのだ。クレハは、少しだけ泣きたくなった。もちろん、会えない悲しさからではなく、うれしさのために。映画のストーリーと同じように、クレハはクレハの時間を、今まさに生きていた。 |
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「アドバルーン、見たか」 カタコンベの控え室で、ドグ・ラ・マ・グラのリーダーが喋っていた。 「あの女、ほんとうにやる気やな。テッテ的なバカや」 「リーダー、のっこんじゃうねえ」 「しゃあないわな。ここまでアホやと、サポートしたらな、つう気になってまうがな。あんたらもよろしくな」 「リーダーに言われんでも」 「聞いた女がみんな失禁するような演奏を聞かしてやるわ」 「おまえらのほうが、ずい分と危ない気がするけど、気のせいか?」 |
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「ちゃーっす。アドバルーンの撤収、完了しました!」 アリサは元気よく戻ってきたヤンとクレハを振り返った。 「ご苦労様。けっこう、目立ってるみたいね」 「そうね。ニュースでもチラッと取り上げてくれたらしいよ。アド千軒さんのところの人が教えてくれたよ」 「ほう、それはすごい」 「取り上げてくれたのは、もちろん、大学祭のお知らせをやらせてくれた例の局だよ」 「ありがたいことです」 アリサは頭を下げた。ふとアリサの手元を見ると、なんと、その手の平の上に、黒くてぬめぬめとしたものがあるではないか。クレハは驚いた。ヤンも同じものを見て、目を丸くしている。 「姉さん、それ、まさか」 「うふふ。イモちゃんよ」 「おお、触れるようになったんだね」 クレハが感動して言うと、アリサは不敵な笑いを浮かべて、言った。 「ふふふ、それだけではないよ」 アリサはイモちゃんの横腹をおして、ひっくり返らせた。少しもがいたが、アリサが優しく腹を撫でてやると、アリサの手の上で、仰向けになったまま動かなくなった。 「おおっ!」 「殺したのか?」 「誰が殺すか!眠らせただけよ。生物研究会のメーヨに教わったの。でも、イモリは毒を持っているから、あまりこういうことはしないほうがいいんだって」 アリサはイモちゃんをひっくり返した。イモちゃんはしばらくじっとしていたが、突然はっと気づいたように頭を上げた。アリサはイモちゃんを水槽に戻した。クレハはその様子を見ながら言った。 「ずっと飼うつもり?」 アリサは笑った。 「まさか。大学祭が終わったら沼に放してあげるよ」 「放流式、しないとね」 クレハの言葉を聞き、アリサは頷いたが、その横顔はハッとするほど寂しそうだった。 |
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「どうぞ。ぜひ、いらっしゃって下さい」 学園祭まで、あと二日。エリカを含めた4名ほどのメンバーが、繁華街の入り口でビラ配りをしている。アリサは本気だったのだ。配っている一人が、笑顔の合間に文句を吐いた。 「なんで私がこんなことをしなくちゃならないのよ、まったくもう!」 それを聞いたエリカは、にっこり笑って言った。 「それは、私たちが一番魅力的だからじゃないですか?」 文句を言った彼女は、呆気にとられた。 「本気で言ってる?」 「もちろんですよ。チナさんはそう思わないんですか?」 「い、いや、そこまでは思っていなかったけど...」 毒気を抜かれたチナは、気を取り直してまたビラを渡し始めた。今のエリカの言葉を信じたわけではないが、ビラ配り部隊は、みんな、ちょっと嬉しい気持ちになっていた。声に張りが出ている。 「どうぞ。あさってからですので、ぜひいらして下さい」 一人の男が、エリカの渡したビラをチラッと見て、そのまま投げ捨てた。エリカはショックを受けたが、笑顔を見せて言った。 「ぜひ、いらしてくださいね」 言いながら捨てられたビラを拾い上げ、ゴミ袋に入れる。男は気まずそうな顔をして、立ち去った。 「むかつくわねー、今の男。何で怒んないのよ、エリカ」 「もちろん、怒ってますよ。腹が煮込みすぎたカレーみたいにブクブク言ってます。でも、もし私があの人をノックアウトしたら、来てくれる人が減っちゃうじゃないですか」 「なるほど...うん、根性あるわね、あなた。私たちも頑張らなくっちゃね」 秋の日はとうに落ち、色々なものを隠した闇が下りてきている中で、声にいっそうの張りと甘みを加えて、彼女たちはビラを配り続ける。学園祭を成功させるために。 |
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★ 学園祭、前夜。 |
「いよいよ明日は学園祭の本番です。今までご苦労様でしたが、よろしくお願いします」 学園長の言葉を受けて、実行委員たちは頭を下げた。今日は学園祭前の最後の教職員とのミーティングとあって、実行委員は全員出席している。顔を上げると、教頭がじっと皆を見詰めていた。 「ご苦労さん。ここまで来たんだから、後3日、よろしくお願いしますよ」 アリサはもう一度深々と頭を下げた。いろいろ対立することもあったが、結果として、かなりわがままを聞いてもらった。後夜祭も、最後は教頭が近隣との交渉も含めて仕切ってくれた。これ以上、望むことは何もない。メンバーもアリサに習って頭を下げている。 「おいおい、そんなに神妙にされると調子が狂ってしまいますよ。最後まで全力で行ってくださいよ」 「本当にありがとうございます。明日からの3日間、問題が起きないように精一杯頑張りますので、よろしくお願いします」 アリサの気負った言葉を聞き、学園長は微笑んだ。 「手に負えないことがあったら、いつでも言って下さい。教職員は全員、学校に来ていますからね、あなた方の要望通り」 打ち合わせを終えた帰り、アリサはみんなに燃焼度を確認した。 「どう?みんな、思っていたことは全部やれたかな?」 クレハが一番に答えた。 「極めて順調よ。このまま行けば、望んだ以上のことが出来そうだわ」 フーが冷静に分析する。 「今のところはいいですね。後は明日からです。段取りを素直にこなしていけば、問題なく終われるはずです」 ヤンは首を振っている。 「何か、ぴんと来ないんだよな。学祭が終わるまでに一皮剥ければいいんだけどな。とりあえず、実際にパトロールで回ってみないと、どんな問題があるかわからないから、後は明日、本番を迎えてからだな」 エリカは楽しさを隠し切れないように言った。 「ものすごく、楽しかったですね。でも、明日からの本番で問題が起きちゃったら台無しですから、気を抜かないでいきましょう」 アリサは頷いた。自治会室に近づいていくと、いつもは人のあまりいない、サークル棟の最上階が妙に騒がしい。多勢の責任者が、明日の本番を控えて、実行委員の話を聞きに来ているのだ。クレハはにっこりと笑ってアリサに言った。 「みんなに声をかけなくちゃね」 アリサは黙って頷き、自治会室の扉に向かった。 |
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自治会室には、人が溢れかえっていた。入りきらない人数は、廊下で、アリサの言葉を聞いていた。 「明日が学園祭なんて、嘘みたいだけど、ついに来てしまいました。みんな、今まで、ほんとにありがとう。明日、あさって、よろしくお願いします。きょうはみんな、うちに帰ってゆっくりと休んでください。明日は、9時には学校に来てね。私は7時には来ているので、目が早く覚めちゃったとか、彼と喧嘩して飛び出したなんて人は来て、最終チェックを手伝ってくれればうれしいわ。みんな、本当にありがとう。それでは、最終準備ミーティングの終会を宣言します。じゃ、明日。よろしく」 様々な挨拶、呼びかけを交わしながら、それぞれの思いを抱いて、出席者は、ぞろぞろと自治会室を出ていった。出た後も色々な形の塊を作り、話し合いながら歩いていった。 きょう、さっさと家に帰って休んでしまうものは少ないだろう。今回の学園祭は、ここまでやってきたことで、参加者のそれぞれの心に深く根を下ろす、大きな、暖かい、考えると力が湧いてくるような何かに変わった。学生時代に通り過ぎる、もろもろのイベントの一つではなく、大きな力の源のひとつとなったのだ。おそらく、あの塊は街に散り、今までのことを語り合い、明日のことを語り合い、夜が更けるまで解散することはないだろう。そして明日、寝不足のまま、目をきらきらさせて集まってくるだろう。今までやってきたことを、更なる高みへと押し上げるために。そして、これこそ、アリサの望み、クレハの願いである。 まだ何人かのメンバーが自治会室に残っていた。アリサとクレハは、いつになく沈み込んでいるようだ。その様子を見たノダは、残っているメンバーに声をかけた。 「さあ、行くよ。きょうは休んどかないと、明日が大変だからね」 エリカも腰をあげた。 「アリサさん、疲れてるみたい。きょうはぐっすりと眠っておいてくださいね」 「そら疲れてるさ。なあ、アリサ。誰がどうでも、あんたこそ休息が必要だね。おやすみ。明日は早めに来るよ。5時か...6時には...たぶん...」 その前に前夜祭だ、と言いながら、ノダはみんなを追い立てた。どこかに飲みにでも連れて行くのだろう。また、くだを巻きまくるだろうから、連れて行かれたメンバーは大変だろうが... |
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「クレハ...?」 「いるわよ、ここに」 二人は自治会室に残っていた。 「一緒にいて」 「いいよ。私の彼が、あなたのうちまで送ってくれるから」 「いや...」 「心配しないで。今晩はずっと、あなたと一緒にいるから」 アリサはすねたように言った。 「彼氏が怒るでしょ」 「ぜんぜん、オッケーよ。あんたがナーバスになるのは目に見えてたから。彼も承知してるし。気にしないで」 「私のこと、読みまくってるわね」 「ごめん。気に障った?」 「ううん。少し、いい気分」 「だと思った」 「...今のは少し、気に障った」 アリサはクレハと顔を見合わせ、クスリと笑った。 「もう9割方終わったようなもんだけど、何かあったら台無しよ。さあ、アリサ。帰って、鋭気を十分に蓄えておきましょ」 「...そうね。明日は、いよいよ本番だもんね...」 クレハは立ち上がった。アリサはなおも机にもたれかかっていた。しばらくの間、クレハは待った。やがてアリサは大きな溜息をつき、立ち上がった。そして二人は、自治会室を出ていった。クレハは、最後に室内を見渡し、壁のスイッチを切った。部屋は闇に包まれ、静かにドアが閉じられた。二人分の足音が遠ざかってゆき、消えた。部屋の中には、月の明かりが差し込んでいた。 |
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街の明かりを窓に反射させながら、車がアリサのうちへ向かって走っている。アリサとクレハは、後部座席に座っている。アリサは窓の外、流れる光を眺めている。 「怖いの」 「なに?」 「心配なのよ。怖いの」 クレハは友人の腕に触れ、軽く叩いた。 「あんた、イノシシみたいにぶっ飛ばしてきたんだもの。そりゃ、怖かったりもするでしょう。大丈夫。今はあんた一人じゃない。ノダ文も、エリカも、みんなあなたとベクトルを同じくして進んでいるんだから。あなたがこけても、ポカしても、ちゃんと前に進むって。いい?あんたは一人じゃないの。ちゃんと同じ所を目指している奴らが大勢いるのよ。安心なさい、アリサ。とりあえず、きょうはお寝みなさい」 クレハはアリサを抱き寄せ、子守唄を口ずさみ始めた。運転しながら、男は小さな声で囁いた。 「俺もそいつを聞かせてもらいたいな。彼女みたいに、胸に抱かれて」 「お黙り、坊や」 クレハは柔らかい声で応え、静かに歌いつづけた。車は、夜の中にすべり込んでいった。 |
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