微量毒素

白の魔歌 〜大学祭〜 p.17


魔歌 大学祭・目次 back next

★ 混沌の中、道は開ける

 11時過ぎに、自治会室にメンバーが集まっていた。アユミがエリカに連れられてきており、みんなのためにお茶を入れたいと申し出ていた。アユミは少し緊張していたが、香りの高い茉莉花茶を出して、みんなに提供した。

「う゛ぁー、優雅―。落ち着くわー」

 アリサはお茶を味わい、机に突っ伏した。ほかのメンバーも、さすがに張り詰め続けていた神経が疲れてきたところだったので、ちょうどいいティー・ブレイクだった。アリサはふと顔を上げて言った。

「ところで、エリカ。イガさんは来たの?」

 全員の視線がエリカに集まった。

「ええ。朝一番で」

「ずっと一緒?」

「いいえ、パトロールがあるんで、任せておきました」

 アリサは体を起こした。

「任せたって、何を?」

「何って、アリサさんの言っていた、彼の大学の人たちのおもてなしです」

 アリサは再び、机に突っ伏したが、それはリラックスのためではなく、力が抜けたせいだった。それは、エリカを除く他のメンバーも同様だった。アユミもがっくり首を落としていた。

「なんなのよ、それは。それじゃあ意味がないの。他大学の人間が、うちに来た他大学の人間をもてなして、何が楽しいのよ。エリカ、あんたって本当に...まあ、いいわ。指示を出し直します、わかりやすく」

 アリサはエリカを睨みつけて言った。

「むさい大学から来た人間は、美しい女性にもてなされた方が嬉しいの。そこで引いてる人たちを、引っ張り込む役をイガさんたちにお願いしたかったのよ。わかる?乗ってきたら、その連中はもう放り出していいから。放っといてもうまく拡散するでしょう。いいね?エリカはイガさんといるのよ。いかにも楽しいっていう雰囲気を漂わせて。それが一番大事なんだからね」

「それは難しいですね。特に、その漂わせるあたりが...」

 アリサは疲れきったように言った。

「アユミさん、私がお願いするのも変だけど、そのあたりの指導をお願いできない?放っておくと、どうもまた勘違いしたままになりそうなんで」

「喜んで、指導させていただきますわ。エリカ、行くわよ。いいから、クッキーも持ってきていいから。じゃあ、とりあえず失礼します」

 アユミはエリカを引っ張って出て行った。残された一同は溜息をついた。ヤンが呟いた。

「あれじゃあ、難しいんじゃないかね、イガさんとくっつけるの」

「そんなわけないんだけどな...エリカもものすごく傾いているはずなのに、何が邪魔してるんだろ」

「まったく、困ったもんだぜ」

「ヤン?人の事はいいから、あんたはどうなのよ。裏プロジェクトはもう一つ、ヤンさんに男をくっつける同盟が組織されてるんだからね。あんたもとっとと男を見繕って来なさい。ああ、ちなみにイガさんと一緒にいる男は駄目よ。売約済みらしいから」

「そんなこと言ったって、興味ないもんはしょうがないだろうが...」

 ぶつぶつ言いながら、ヤンも出て行った。アリサも愚痴を零した。

「今年の学園祭は表裏で忙しいからまいっちゃうわよね」

 クレハが苦笑しながら言った。

「表はともかく、裏は好きでやってるだけでしょうが。疲れてても、この話になるとみんな眼をぎらぎらさせるんだから。ほんと、いい迷惑よね、二人とも。でも、まあ、確かにいい方向に行くといいわね、エリカも、ヤンも。いい子達だから」

 クレハは窓から空を見上げた。


 エリカは、テニス教室の午後の部を受け持っていたので、その時間はパトロールを外れ、テニスコートで大人や子供に指導していた。なかには、ここでナンパをしようという不心得者もいたが、イガも特別コーチとして睨みを利かせていたので、ナンパをされるつもりでいたメンバー以外は、おかしな振る舞いをされることはなかった。イガはイガで、久しぶりにテニスウェア姿のエリカを見ることが出来、鼻の下を伸ばしていた。


 もうひとつ、意外なことがあった。街から学校まで、歩いてくる人の数が予想よりはるかに多かったのだ。

 実行委員が歩いてくる人に聞いてみたところ、せっかくいい天気だし、綺麗な花がずっと続いている道を歩いてみたくて、と言うことだった。さっそく、アリサはガーデニング研究会に連絡した。

 ガーデニング研究会のメンバーは、ここ数ヶ月、ずっと手をかけていた道路に出て、いつもは殆ど人の通らない道を、大勢の人たちが歩いて来るのを見た。子供たちは花を数えながら走ってくる。お父さんとお母さんや、カップルは、みんな幸せそうな顔をして、花の道を歩いてきている。

「会長!」

 嬉しさを隠し切れないように、メンバーの一人が声をかけてきた。会長は頷いた。胸がいっぱいで、声が出なかったのである。その後、一同は道を確認していきながら、Gおばさんのところにお礼によった。久しぶりにGおばさんの家を訪れたメンバーは、今度こそ泣きじゃくることになる。花がいっぱいだったGおばさんのうちの庭には、もう花がほとんど残っていなかった。ぜんぶ、花の少ないところに植えてくれたのである。泣きじゃくる学生を前に、Gおばさんも目をうるませながら、はっぱをかけていた。


「どうもやりにくいんだけどな」

 エリカは小声でぶつぶつ言っていた。

「何を言ってるんだよ。委員長の指示なんだろう。ちゃんと学園祭に来たカップルの楽しさを演出しなくちゃ」

「ちょっと、この手は何だよ」

「だから、ちゃんと仲のよさをアピールしなくちゃ」

 揉めながら校舎の中を歩いていくイガとエリカであった。

「楽しさの演出ねえ...」

 イガは展示を眺めながら歩いて行く。

「おっ、これはどうだ?」

 イガは手芸部の展示のある教室で足を止めた。エリカは不審そうに振り返る。

「ほらほら、これ」

 イガの指したのは、『あなたそっくりの人形を10分で作ります。世界に一つしかないアクセサリはいかが?』という、手芸部の案内である。

「うむう」

 イガは、腕を組んで唸るエリカを無理やり連れて、教室に入って行った。10分後出てきたイガのベルトには、エリカとイガの人形が下がっていた。エリカも同じものを手に持っていたが、真っ赤な顔をして、それを隠そうとしている。イガは大きな声で喋っている。

「いやあ、こんな立派なもんだとは思わなかった。器用なもんだな。フェルトの中に綿を入れて、ちゃんとふっくらしてるんだもんな。顔も...けっこう似てるよな」

 イガはエリカの方に顔を寄せて、小声で囁いた。

「おい、ちゃんと盛り上げろよ。せっかく作って貰ったんだからさ」

「出来るか!あほ、ばか、信じらんない!」

「ええい、しょうがないな」

 イガは首を振り、また回りに聞こえるように大きな声で言った。

「そんなに喜ぶなよ。嬉しくなっちゃうじゃないか。ほんとうに世界で二つしかない、俺とおまえの人形だ。大事にしような。手芸部ってすごいよな」

「おまえ、後でぜったい後悔させてやる...覚悟しておけよな」

 エリカは真っ赤になってイガに囁いた。真っ赤な顔で何事かを相手に囁くエリカの姿は初々しく見え、周りの微笑みを誘った。そしてこの二人を見て手芸部を訪れる客も多く、楽しさの演出は十分に成功を収めていた。


 もう一つ、当初から懸念されている問題が一つあった。これだけの広い敷地に家族連れで来ると、必ず起きる問題である。迷子、あるいは迷い親の問題である。これについては、一つの方策として、保育科のメンバーで、託児所という企画が出ており、これを有効に使ってもらうことにした。

 この学校は伝統があるので、OGもかなり来訪する。子育て真っ最中のOGたちは、学園祭の雰囲気に当てられ、ついつい若かった頃を思い出して、羽目を外してしまうのだ。結果として、気がつくと近くにいたはずの子供を見失ってしまっているという事態が起こる。それならば、最初から託児所に預けてもらって羽目を外し、その後にゆっくりと親子で見てもらう、あるいはその逆パターンをとるという考え方である。

 保育科のメンバーは、実習にも行っており、それなりのスキルを持っている。この時期は、既に就職先を決めている者も多く、またとない自主実習の機会でもある。預けるもの、預けられるものの双方にとって、メリットのあるやり方であり、迷子の問題もある程度解消できるのだ。実際は親は子供に、自分の出た学校を見せて歩きたいようだったが、子供の方は一通り見て回ると飽きてしまい、同じような年齢の子供がいる託児所にいきたがった。親はそれで溜息をついて子供を預け、そこら中を行き交っている同窓生と偶然出会い、昔話に花を咲かせるのだ。


 その迷子は、噴水のそばで、難しい顔をして噴水の中を覗いていた。まわりに親らしい人の姿が見つからなかったので、通りかかったヤンが声をかけたのだ。小学生くらいだったので、一人で来ているのかと思ったが、念のために聞いてみると、分別臭くこう言ったのだ。

「僕が迷子というより、お母さんが迷子だね」

「お母さんなら、迷い親だろう」

 ヤンが言うと、男の子は笑った。ヤンが放送を入れようとすると、男の子は引き止めた。

「大丈夫。舞い上がってるだけだから、すぐに探しにくると思う。いつも、そうなんだ」

 それならとヤンは立ち去ろうと思ったが、男の子はヤンにいて欲しいようなそぶりだった。とりあえず、パトロールは足りているし、しばらく迷子の相手をしてやろうと、ヤンは男の子のそばにしゃがみこんだ。男の子は、ヤンの髪に手を伸ばして来た。

「黄色い髪」

「金髪だよ、金髪。珍しいか?」

 男の子は頷いた。

「さわっていい?」

 ヤンは、柄にもなく、胸がときめいたのに驚いた。それを振り切るように、乱暴に答えた。

「ああ。がさがさだけどな」

 男の子は、優しくヤンの髪を撫でた。

「女の髪に触りたがるなんて、おまえ、ませてんぞ」

 ヤンが照れ隠しに言った言葉に反応もせず、男の子は呟いた。

「お馬さんのたてがみみたい」

 ヤンはどきりとした。瞬間、ずっと続く風の吹き荒れる草原を、全力で走り抜けていく褐色の馬の姿を、ありありと思い描いたのだ。

「たてがみね...」

 ヤンは呟いた。

「お姉ちゃんは、僕の知っている女の子に似てる。すごく強そう」

 ヤンはにっと笑った。

「強そうに見えるか」

 男の子は頷いた。

「お姉ちゃんは強そう。すごく」

 そのとき、女の人が小走りに近寄ってきた。

「晃平、ごめん。つい、知り合いを見かけたんで追っかけてっちゃった」

 ヤンは立ち上がり、女の人に言った。

「迷子のようでしたが、ここで待っていれば探しにくるとこの子が言っていたので、しばらく付き合っていました。とてもしっかりしたお子さんですね」

「ああ、有難うございます。この子がしっかりしてくれてるから助かるんだけど、あたしもおっちょこちょいで」

 男の子は母親の手を引いた。

「ねえ、綺麗なたてがみみたいでしょ」

「まあ、ほんと。ライオンみたいな色ね」

「お馬さんだよ。ずっと、どこまでも駆けていける」

 母親は、ヤンの髪を眺めて、にっと笑った。

「そうね。天馬みたいね」

 男の子は頷き、つないだ手をぶらぶらと揺すった。

「ラジコンでしょ、わかってるわよ。じゃあ、本当にありがとうございました」

「いいえ、楽しいお話をさせてもらいました。じゃあ、ごゆっくり」

 母親は頭を下げて、男の子と手をつないで広場の方へ向かって歩いて行った。男の子はヤンを振り返り、にっと笑って手を振りながら、母親に連れられていった。ヤンは気が抜けたように、手を振り返していた。男の子が見えなくなり、ヤンはのろのろと。

「たてがみ、ね...」

 ヤンは、自分が髪を染めている理由がわかった。ヤンはさっき見た、一人で草原を駆けて行く馬だった。ヤンは、自分が自分だけである存在になりたかったのだ。大勢いる女子学生の一人として、学校生活を送り、卒業して、就職し、結婚していくという生活に埋没していくのが、たまらなく嫌だったのだ。だから、髪を染め、人と違う格好をしていたのだ。ヤンは、一人で走れるようになりたかったのだ。

「晃平、教えてくれて有難うよ」

 ヤンは回りを見回して歩き出した。ヤンは、自分に必要なものを理解した。自治会に参加したのも、アリサやクレハが、自分を確立しているのを見たからだ。自分もそのようになりたいと思い、参加した。そして、それは、ヤンにとって、男と付き合うより遥かにいい、何にも代えがたい素晴らしい体験だった。

「とりあえず、男はいらねえ」

 ヤンは呟いた。その時が来たら、それはそれでわかるだろう。でも、今は違う。ヤンの必要なものは、今、こうして、自分のやるべきことをやっていること。これが、ヤンを自分自身にしてくれる。顔を上げて歩くヤンは、すれ違った者がみんな振り向きたくなるような輝きを顔に浮かばせて、まっすぐに歩いて行った。その黄色い髪は、たてがみのように、雄々しく揺れていた。


 大きな問題もなく、一日目は暮れていった。鮮やかな夕焼けは、翌日もまた、天気に恵まれるであろうことを予告して燃えさかっていた。初日は17時に終了し、本日の整理と、翌日の仕込みをしても、19時には皆帰ることが出来た。アドバルーンも17時には降ろされた。帰りのバスを待ちながら、アリサは学園を振り返った。学園は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、暗く沈んでいた。そこから見える守衛所の灯りが、アリサの眼に眩しく映った。

「ごくろうさまです...」

 アリサは呟き、その呟きで、学園に対する愛情が溢れ出てくるのを感じた。

(十年後)

 ようやく来たバスに乗り込みながら、アリサは思った。

(私は自分の子供たちに、この気持ちを伝えられるかしら。私が本当に一生懸命やったこと、すごくいい仲間たちがいて、みんなで成し遂げたこと。それをうまく伝えることができるかしら)

 アリサは、いつか会うであろう恋人を、自分と生涯を共にすることになるであろう男のことを考えた。今はどこで何をしているのかはわからないが、きっと今、自分と同じように生きている男のことを。アリサは不意にものすごくその男に会いたくなった。もちろん、まだ会ってもいないのかもしれないし、遥かに離れたところにいるのかもしれない。しかし、アリサは痛切に、今、この瞬間に、その男に抱かれたいと思った。息も止まるほど抱きしめられていたいと。アリサを乗せたバスは、ゆっくりと闇の中を、町に向かって走り続けていた。


魔歌 大学祭・目次 back next

home