微量毒素

白の魔歌 〜大学祭〜 p.18

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★ 学園祭、最終日

「おや、珍しい」

 クレハが呟いた。フーが男と歩いているのである。男はフーに話しかけているのだが、フーはろくに受け答えもしていない。

「予備軍かな。望み薄な感じだけど」

 フーは干渉されることを嫌うのを知っていたので、クレハは自分の横にいる男に意識を戻した。隣りに座って、クレープを食べている。地元のブルーベリーをたっぷり使ったこのクレープは、確かになかなかおいしいのだが、この男は3個めを半分ほど食べ終えている。クレハは控えめに抗議の意思を伝えた。

「うぇっぷ」

「知り合いかい」

「実行委員の中核よ。ぶっきらぼうだけど、いい子」

「一緒にいるのを嫌がっているな、彼女。声をかけようか?」

「あの子は干渉されるのが嫌いだから。自分で断われる子だから大丈夫」

「なるほど」

 男は立ち上がった。クレハは男に向き直って言った。

「ねえ、また買う気?」

「いやあ、ブルーベリーは目にいいって言うから」

「目にもいいけど、腹も出るわよ」

「そうか。じゃあ、消化しよう。どこか、身体を動かせるところはあるのかな」

「テニスに卓球にフォークダンス」

「行ってみよう」

「どれに?」

「クレハ様の好まれる方に」

 クレハも立ち上がり、先に立って歩き出した。

「目が悪いのを気にするんなら、少し映画を控えたら?」

「そうすると、共通の話題が一つ減るな」

「なるほど、ねえ」

 クレハは肩をすくめた。


 フーはいい加減面倒くさくなってきていた。いろいろ気を使っているつもりなのだろうが、回りをちょろちょろ動き回られるのは好きではない。話も当り障りのない話や、フーにはまったく興味のない話だ。いろいろなことを知っており、その知識を誇りたいようだが、これでは興味のない授業に出席しているのと大差ない。アリサたちと話している方がよほどスリリングで楽しい。男の話を聞き流して、フーは思い切り伸びをした。男は慌てて、ポップコーンを買いに行った。フーはそこのベンチに座る。男とはサークルの交流会で知り合ったのだが、ステディというわけではない。男はカップルになりたがっているらしいが、フーはそれほど惹かれてはいない。ただ、ついてくるから一緒にいるだけである。

「さっきから見てると、動きに無駄がない。頭がいいからだ」

 時間を持て余してうじうじしているところに、いきなり話しかけられて、フーはびっくりした。目の前に男が立っている。これは、かなり...背が低い。フーより20センチは低いのではないだろうか。フーは180くらいあるので、座っていても、それほど視線の高さが変わらない。

「話をしたい。つきあわないか」

 男は傍若無人に話しかけてくる。

「連れがいるんだ、ケド...一応」

「単なる連れだろ。俺は君に興味がある。そんなにつまらなそうな顔をしているから。少しは楽しい持間を提供できるかもしれない。話をしてみないか」

 フーは困惑した。連れがいるから、声をかけられなくて楽だったのに(そうだったのか!自分でも気付かなかった)、いきなりナンパしてくるこの男をどう扱ったらいいのか。とりあえず、フーは断る口実を探した。

「背が、違いすぎない?」

「話をするのに、大きさは関係ないだろう。並べて飾るわけでもない」

「でも、並んで歩いたりすると、違和感がない?」

「試してみればいい。180の男と160の女のカップルはよくいるだろう。別に、違和感はないと思うよ」

「でも、男の方が小さいのはちょっと...」

「それが重要だとほんとに思ってる?みんなが言ってる意見だろ。それにとらわれるような人とも思えなかったが」

 フーは答えに詰まった。男はフーを試すように眺めた。

「俺と歩いているところを想像してみてくれ。男女が逆じゃないと、みんなが笑うだろう。あなたはそれが本当に恥ずかしいか?」

 言われてフーはさらに詰まった。ちょっと待ってよ、突然話しかけてきて、この突っ込みは何?アリサだってもう少し遠慮があるわよ。答えられないフー。男はがっかりした様子だった。

「ごめんよ、いきなり。もう少し、回転が速いと思ってたもんで。まあ、また会える時までに、考えておいてくれ。きっと、君はそう思っていないから」

 男は去った。いつの間にか、ポップコーンを持った男が横に来て、フーと一緒に今の男を見送っていた。

「なんだよ、あのちび。まさかおまえをナンパしようとしてたんじゃないよな。見るからに釣り合わないだろうが」

 連れの男の言い方が、フーのどこかをつついた。

「釣り合わないって、何が?けっこう、いい感じだよ」

 フーは想像した。あの男と歩いていて、笑っている連中。笑われている自分。あの男はそういうことをまったく気にしないのだろうか。フーは自分の中の何かをつつかれた。私は気にするんだろうか。私は、世間体とか、そういったものから、背の高いことをコンプレックスに感じるようなところから、自由になれるのだろうか。フーは男ともう一度話してみたいと思った。フーは横でポップコーンを持って立っている男を振り返った。

「ポップコーンは私に?」

「あ、ああ」

「ありがと。もらってくねえ」

「え?おい、ちょっと」

 フーは軽やかに駆け出した。男は2−3歩前に踏み出して、止まった。フーは人の間を縫って走る。フーは大きくて目立つので、人ごみの中で走るのは嫌いだった。でも、今日は何か違う。フーが大きな身体で軽やかに駆け抜けていくのを、みんなが見ているが、フーはむしろ気持ちよかった。名前も知らない男の人。何か、私を解放してくれる魔法を持っている男の人。また会いたいな。

 エリカがイガと一緒に不自然な楽しさを演出している。エリカはフーに気付き、声をかけようとしているのを見て、フーは減速せずにそのまま突っ込んだ。もちろん、フーはエリカを巻き込んでひっくり返った。抗議をしているエリカに、フーは思い切り抱きついた。


 学園祭は2日目を迎え、外来客は、昨日を上回る勢いで増加していた。お店部門は、当初見込んでいた来客数を大幅に上回ることが早い時機にわかったため、事務局に相談した。

「このままだと、きょうの午前中に全部なくなっちゃうんだけど」

 事務局の回答は、

「せっかく来てくださったお客さんをがっかりさせないで。」

 事務局から各実行委員にフォローの指示が飛んだ。実行委員は集まって、担当店を決め、担当店について、現状と、追加の可能性、フォローについて相談し、外部との交渉の必要があれば、事務局に連絡し、更なるフォローを依頼した。

 例えば。

 飲食店は下拵えした材料がなくなってしまったため、学園食堂の出入り業者への食材納入依頼を、学園事務局と連携して行い、確保できる店は更なる飲食物の提供を出来るようにした。調理も、学園の調理実習室の利用許可をもらい、そこでも調理できる体制を整えた。

「こんなに出るかしら」

「余ったら後夜祭の時に山盛りにしておきましょう」


 手作りグッズの店は、コンセプトを見直して、材料の確保をした上で、公開製作、製作指導を始めた。これならこの場で作ることも出来るし、作る楽しさを味わってもらうことも出来る。

「真っ最中だろ。持って行こうか?」

 いつも出入りしているお店の中には、在庫を聞いただけで、そんなふうに言ってくれるお店も多く、不足分はあっという間に補充された。このようにして、お店はこの日も来てくれたお客さんたちに十分な祭りの楽しさを提供することが出来た。実行委員たちはお茶を飲む暇もなく走り回ることになったが、誰一人疲れを訴えることもなく、目をきらきらとさせて仕事を片付けていた。


 一通りフォローの手配も済み、各部門に任せられるところまで漕ぎ着けたので、実行委員は一服すべく、自治会室に向かっていた。その途中、エリカは思いもかけない人を見つけた。エリカたちが配っていたビラを投げ捨てた男性が、来てくれていたのである。

「いらっしゃい!来ていただけないかと思っていました。楽しんでくださいね!」

 突然エリカに声をかけられて、投げ捨て男はあたりを見回したが、他に人もいない。歴史研究会のヤサカが俄然興味をそそられてエリカに囁いた。

「誰?ボーイフレンド?にしちゃ、他人行儀な感じ」

「そいつのお相手は違うよ。もっと軽い感じのいい男だよ」

 エリカは首をぶんぶん振って、大きな声で行った。

「違いますよ、チナさんは覚えてますよね。あの、私たちの配ってたビラを投げ捨てた男の人」

「あいつかぁ?」

 チナは眉を吊り上げた。もちろん、エリカの声は大きいので、投げ捨て男にもよく聞こえている。

「何ですって?」

 フーが言った。エリカは嬉しそうに答えた。

「だから、あの人は私たちのビラを配ってる目の前で投げ捨てたんです。ほんっとに腹が立ったけど、殴りかかったりしなくてよかった。だって、来てくれたんですもの!すごく、素敵ですよ、ね?」

 一緒にいた仲間は笑いこけた。エリカは不審そうに皆を眺めた。私はこんなに真面目なのに、何で皆笑うのかしら、という顔である。投げ捨て男はいたたまれなくなったようだ。

「あなたたちったら!」

 アリサはたしなめて、投げ捨て男に話しかけた。

「私たちの学園祭に、よく来てくださいました。お楽しみになってくださいね。この子もとても喜んでおります。いらして下さって、感謝しておりますわ」

 投げ捨て男はようやく少し救われた顔をしながら、手を挙げて、離れて行った。エリカは嬉しそうに、男の後ろ姿に頭を下げた。アリサは優しい目でエリカを見つめて言った。

「エリカ。あなたって、本当に最高ね」

 エリカは顔を上げて、アリサを不審そうに見つめた。

「さあ、急いで行かないと、また何か起きちゃうぜ。お茶お茶。行こうぜ」

 ノダはアリサとエリカの背中を叩いて促した。一団はまたゆっくりと動き出した。


 のんびりとパトロールをしているクレハの目の前を、トラ髭危機一髪の着ぐるみのようなものが通り過ぎた。クレハは目をこすり、走り去っていくものを目で追った。

「えー・・・と、あれは?」

 樽から手足の出たような姿。顔はトラ髭危機一髪の海賊のようなメイク。どぎついメイクなのに、経営研究会のキャアコだとわかってしまうのはなぜだろう。

「あれがゲリラ企画か...ヤンが没にしたがったのもわかるな...」

 全体像はトラ髭危機一髪に酷似しているが、これは、刀を刺す代わりに、引出しを開けるようになっているようだ。その引出しから、色々なお菓子を出して、子供たちに配っている。子供たちは喜んで後ろを付いて行くが、お菓子のためというより、様子がおかしいからだと思う。

「キャアコちゃんって、何を考えているんだろう...」

 クレハが立ち止まって見つめるうちに、トラ髭はどんどん遠ざかっていった。キャアコの意図がどのあたりにあるのか、そもそも意図があるのかどうかすら、クレハにはさっぱり分からなかったが、妙に哀愁を感じさせる姿だった。

「一人一人にそれぞれの気持ちがある、だよな」

 クレハは呟いて、また回りに目を配り始めた。


 昼時が終わりに近づき、人の流れが講堂に集まり始めた。午後1時から、ドグ・ラ・マ・グラのコンサートが始まるのである。さすがにこのあたりではかなりの知名度があるらしく、予想した以上の人数が集まっていた。

 そのドグ・ラ・マ・グラのメンバーの一人が手洗いを捜して彷徨っている時、とある会話を小耳に挟んだ。

「ドグの演奏、聞きに行きたいんだけどな」

「まあ、しゃあないさ。お客さんが一番よ。今度また一緒にカタコンベに行きましょ」

「うん。漏れ聞こえる音で我慢しようね」

 差し迫った事情があったので、それ以上は聞いていられなかった。その差し迫った事情については、そのあと通りかかった、この学校にしては珍しい黄色い髪の、腕章をつけた女の子に聞いて解決した。

「男便所は少ないんだよね。あっちの斜めになっている校舎がわかる?あそこと、後は守衛所の脇。出入り口から入ってすぐのところ。一応、案内板もあるから。間に合わないようなら、女子便所でもいいから、入っちまいな」

 なかなか、そうはいかない。言われて指差されたところを見ると、確かに案内が書かれていた。急いでいると、見つけられないものである。首尾よく目的を果たし、みんなにもその貴重な情報を連絡した男は、もう一つの情報を伝えた。

「そりゃ、そうやな。仕事で来られん奴もけっこうおるか」

「せっかく来てるのに、聞いてもらえないのはちょっと可哀想じゃないか?リーダー」

「そやな」

「リーダー、どうせ明日は仕事もないよな」

「女子大に来る機会ってのもそうそうないよな」

「おまえら、何考えとるねん、って、ひょっとしたら、わいと同じか?」

 リーダーを含めたドグ・ラ・マ・グラのメンバーは、世にも不気味な笑顔を見せて、にぃーっと笑った。扉を叩く音がして、ミーハー研の女の子が顔を出した。本番直前の段取りに駆け回り、かなり神経を磨り減らしているようだ。

「ドグ・ラ・マ・グラさん、そろそろです。よろしいですか?」

「いつでもOKやで。ごくろうさん、お姉ちゃん」

 女の子は嬉しそうに笑って出て行った。

「まあ、後のことは後のこととして」

「行ったるか」

「ぶっとばすで」

「OK。奥歯がたがた言わしたりましょう」

「一人残らず立ち小便漏らさせたりましょう」

「それはNGだって」

 直前までチューニングしていた楽器を掴み、全員が立ち上がった。

「ドグ・ラ・マ・グラ、行くで!」

 リーダーが力を込めて言い、扉を押し開けた。

「おう!」

「よっしゃ!」

「ちぇいす!」

 それぞれに気合を入れながら、メンバーはステージに向かった。


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