微量毒素

白の魔歌 〜地吹雪〜 p.6


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 何をうれしそうに手を上げているのよ、この男は。

「やあ、じゃないわよ。なんであんたが来るのよ。」

「象がマラソン大会でもしているのかと思ってな。」

「来たら、か弱い美女が一人しかいないんで、びっくりしたでしょ。」

「ああ、まあ、いろんな意味で。自分の好みに作り変えると言うわけじゃないんだな。家具の配置は、ほぼ元のままなのか。」

「ここは私のうちじゃないから。」

「人によっては、1週間の滞在でも、自分の好きなようにインテリアをいじるようだが。」

「人によるのよ。あなたはどうなの、マロニエさん。」

「その名前、好かん。あんたはいちばん近い協力者なんだから、コウガと呼んでくれ。」

「相棒って言っていいわよ。そんな回りくどい言い方じゃなくて。それ、本名?正気の沙汰じゃないわね。」

「どっちみち、苗字だ。大した情報漏洩じゃない。そもそも、これが本名かどうか、どうしてわかる?」

「あなたが言ってるんじゃない。」

「聞いてるのはあんただけだ。」

「盗聴されているかもよ。」

「だから、あんたが一通り片付け終わったのを見計らってきたんだ。もう、大方始末がついたんだろ。」

「やっぱり、あんたって、そうとう嫌な奴ね。レディのへやの様子を窺っているなんて。」

「だから、ゾウの相撲大会かと思ったんだ。」

「ゾウでもレディよ。失礼しないで。」

「じゃあ、女相撲か。」

「あんたって、ほんっとに失礼な男ね。どうしたらそこまで下品になれるのよ。」

「これでもちゃんと言葉を選んでいるつもりだが。」

「わかったわよ、どうせあたしは田舎者よ。みんな納屋でさかってるのよ。しょっちゅう宴会をしてて、下ネタで盛り上がってるのよ。」

「そんなに謙遜することはない。まあ、多少本音を洩らせば、あんたはこれくらいは受け入れてくれるだろうと思っているから、こういう話し方をしている。」

「ま、人によっては、二度と口を聞いてくれなくなるでしょうね。例えば、相棒のキスゲ嬢とかだったら。」

「あの子はまだ子供だ。いちばん潔癖症になる時期だからな、無理もない。」

「あたしが潔癖症になれた時期なんて、あったかな...」

「あんたこそ、不用意に過去をほのめかしているな。」

「これくらい、大した情報漏洩じゃないわ。よくある話だから。」

「まあ、そうか。ああ、そうだ。これから潔癖症になるのかもしれないじゃないか。」

「そうしたら厄介でしょうね。まあ、私が若いってほのめかしているんだと受け取っておくわ。」

「受け取るのは自由だ。」

「好かんタコ!」

 あれ、気付かなかったけど、コウガさんたら、手持ち無沙汰そうに何かを持っているじゃない。なんかお届け物かしら。

「で、何?若い娘の部屋に入り込んで、長話をしているのは、何か下心があるって思われるわよ。」

「ああ、やっと本題に入れる。実は下心があってきたんだ。」

「何よ。男には不自由してないから、その手の話なら丁重にお断りするけど。」

「それはよかった。わたしも心配だったんだ。」

「あんた...」

「俺がこの下の階の者だというのは、実は本当だ。それで、引越しそばでもどうかと思って、コンビニで買ってきた。」

「...普通、引越しそばって、引っ越してきた人間が持っていくんじゃないの?」

「そこはそれ、田舎もんだから、都会の風習を知らないかと思ってな。で、どうかな。一緒にそばをすするというのは。」

「そうね。私は田舎もんだから、都会の風習には疎くって。いいわ、ご一緒させていただくわ。あなたしか知ってる顔もいないしね、ここじゃ。」

 うそだけど、まあ、いいでしょ。私には、知った顔など、この地球上で、ひとつもない。懐かしい顔はあるけど、もうこの世にはいないし。ま、それはさておき。とりあえずは、都会風の引越しそばを賞味させていただきましょう。お茶でも持ってこなくちゃ。


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