微量毒素

白の魔歌 〜地吹雪〜 p.7


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 男の人と、向かい合って蕎麦をすするって、なにか意味深よね。でも、引越しそばだからいいか。それに、どう考えてもしっとりした雰囲気じゃないし。

「最近は、コンビニのそばも捨てたもんじゃない。下手な蕎麦屋よりましなこともある。」

「都会もんは、よっぽど味覚が麻痺してるのね。作り置きの、延びきった蕎麦が口に入るなんて。」

「もぐもぐ食いながら、言うセリフじゃないな、それは。」

「あらあら、ひょっとして、あたしも都会もんになってきてるのかしら。おいしいわ、このお蕎麦。」

「マラソン大会で疲れたんだろうよ。」

「都会もんの冗談は、中に針が入ってるのよね。もっと柔らかいギャグは出て来ないの?」

「頭が固いんでな。すまん。」

 とりあえず、おそばを食べ終わったところで、少しコウガさんから情報をもらうことにした。せっかく来てくれたんだから、それくらいさせてあげないと。

「教えたくなければ、教えてくれなくてもいいけど、少し教えてください、先輩。」

「答えられることなら答えよう、後輩。」

「この組織って、いったい何なの。裏系にしてはいくら何でも小奇麗過ぎるし、表系にしてはおかしいし。あのキスゲって子は何?どう見ても中学生くらいの感じだけど。」

「最初の質問は答えられない。俺自身が雇われだしな。俺の勘では、たぶん表だ。裏では、ここまで統制を徹底できない。表の、地下組織あたりがいい線だろう。キスゲは見た目で判断してはいけない。戦略立案能力は、おそらくプラタナスより上だ。だが、安定していない。俺の感覚だけどな。」

「やっぱり、そうよね。裏とは思えない。ものすごくしっかりしたバックボーンがあるような感じ。それこそ国家規模の。そうそう、ピーピング・トム対策は一通りやったんだけど、どんな感じ?」

「こんなことまで喋っているからわかると思うが、特に凝った盗み見はしていないようだ。監視する側は、そこまでする必要を感じていないのかもしれない。通常の確認だけで十分だろう。」

「何をやらされるの、私たちは。」

「調査から、実行まで。学生アルバイトで問題のないようなものから、我々の特殊技能を活かすものまで、様々な仕事がある。リサーチと調査の繰り返しから、いろいろなイベントの実施を決めるらしい。時には、かなりえげつないものもある。」

「えげつないものねえ。だいたい、わかった。あなた、こんなに私に情報をくれていいの?私はこの百分の一くらいの情報提供を想定してたんだけど。」

「とりあえず、チームだ。頭を悩ます要件を、少しでも減らしておいた方が、お仕事の時に頼ることが出来そうだしな。」

「私はあなたをサポートしたりはしないわよ。」

「わかっている。足手まといにならないでいてくれれば、それでいい。」

「ずいぶんね。」

「あんたが水を向けたんだろう。とにかく、仲間だ。よろしく頼むぜ。」

「私の不利益にならない範囲で、任せておいて。」

「上等だ。」

 ずいぶん、情報を吐き出してくれてから、コウガは帰った。たぶん、コウガも不安なのだろう。バックボーンが信用できないとなると、頼れるのは自分と、自分に利害関係の近い、チームのメンバーだ。

「...だとすれば。」

 私は、口に出して言った。

「今までと変わらない。それなら、私はやっていける。」

 独り言ではない。私は、自分自身に対して、そう宣言したのだ。そう、私はやっていける。そして、幸せになってやる。私はそのために、危険を冒して、ここまで来たんだ。


 部屋全体に掃除機をかけて、掃除終了。カーペットを剥がした時に、下にカスごみも虫の卵らしいものもなかったから、こんなもんで大丈夫。新居の準備はこんなもんね。

 ユカルはマスクを取り、バンダナをほどく。割烹着を放り出すように脱ぎ、Tシャツとジーンズを、ふるふると払い落とすように脱ぐ。下着だけの格好になり、洗い物を抱えて浴室へ。洗い物を洗濯機に放り込み、給湯のスイッチを入れる。そのまま、シャワーの下に行き、シャワーを出す。

「冷た...」

 冷たいままのシャワーを浴び、家捜しでかぶった埃を流す。次第に水が温かくなって来た。髪を丁寧に洗い、タオルで大雑把に拭って頭に巻く。身体を拭いて、濃紺のショーツだけを履き、バスローブを羽織って、大またでリビングに戻る。ソファに深く腰をかけ、足を組む。ふと、顔を上げると、開けたままのカーテンの向こうで、雪が降っている。

「あ、雪だ。」

 ユカルは窓際による。窓を大きく開くと、しんしんと音も立てずに、雪が降っている。ユカルは故郷の雪を思い出す。白くうねり、吹き荒れて、沈め、襲い来る白い魔魅。

「ここでは、雪も優しく降るんだ...」

 底冷えがする。クシュンとくしゃみをしたユカルは、窓を開け放ったまま、寝室のベッドから毛布を引き剥がして持ってきた。ソファを窓際に運び、毛布にくるまって、降り続ける雪を見続けている。

 雪の降る夜の空は明るい。白い闇の底に、ユカルを置き去りにして、雪は降り続ける。


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