微量毒素

白の魔歌 〜地吹雪〜 p.10


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 住処の近くに、それなりのアスレチッククラブがあったので、ユカルはそこに通うことにした。スイミング関係と、マシン・トレーニングルームが充実しているので、ここに決めたのだ。難点は、住処が近い(階下なのだ)コウガが、同じクラブに、既に所属していたこと。ま、気にするほどのことはない。

 ユカルは適度な負荷をかけたレッグトレーニングを終え、胸のトレーニングに入った。すぐそばに、コウガが立っている。音もなく近寄ってくるので、この男は困る。コウガは、実は尋常でない筋肉を持っている。それを隠すため、いつもだぶだぶのトレーニング・スーツを着ている。私はいつも、レオタード。他の会員のおば様方は、なにか陰で言っているようだけど、これが一番気分がいいので、この恰好を変える気はない。

「ナンパなら間に合ってるわよ。」

「素晴らしい身体に見惚れていた。鍛えているが、無粋じゃない。いい身体だ。」

「それはどうも。何の話がしたいの?」

「あんたは、会話を楽しむということを知らんのか。」

「楽しむ会話をする相手は、別にいるわ。なにか言いたいんでしょ。さ、どうぞ。話してごらん。」

「まったく、風情のない。少しは人生に余裕を...」

「人生に余裕を持って付き合いたい相手は、別にいるの。さあ、お話し。」

「そういう風に言われると、どうも入りにくいな。個人的な話なんだ。仕事の話じゃない。まあ、少しは関係するか。」

「ふうん。聞いてあげるわ。どんなこと?」

 コウガは、私を見ながら、何かを数え上げている。

「身体は健康だし、頭もいい。やろうと思えば、他の選択肢がいくらでもあったはずだ。なんで、こんな世界に入った。」

 おーっと、いきなりの大反則技か?

「おい、おにいさん。こういう職業で、そういう質問はまずいんじゃないの?即、お口を塞がれても、文句は言えないでしょう?」

「人を選んで訊いている。」

「私は今、あなたを殺す方法を10通りくらい考えたわよ?まあ、実行に移すほどの気はないけどね、今のところは。」

「わかっている。実行に移す気になったら、実行してくれ。俺自身も、それなりの対応はするが、後で泣き言は言わない。」

「そうまでして、訊きまわってるの?」

「実は、まだ2−3人だ。訊ける相手は、そう多くはない。しかも、一人はもう死んだ。」

「世知辛い世の中ねえ。ま、一肌脱いで、コウガさんのコレクションに、一人分追加してあげましょう。」

「一肌脱いだら、目のやり場に困る状況じゃないか?」

 私は自分の姿を見下ろした。たしかに。

「よく、こういう状況で、そういう親父ギャグをとばせるわね。」

「すまん。根がおやじなんだ。」

「質問は、『なんで、こんな世界に』だったわね。」

 私は考えた。真面目に考えた。命懸けで質問してきたコウガのために、必死で考えた。今までの人生をかけて...ま、そこまではないが、真剣に考えた。結論は一つだった。

「...考えたこと、ない。」


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