微量毒素

白の魔歌 〜地吹雪〜 p.12


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 私は受付用テントの下、赤いブレザーと白いミニスカート姿で、にこやかに微笑んでお客様の来るのをお待ちしている。完璧な形の笑みを浮かべた口から出る言葉は...

「...聞いてたわね、しっかり。」

 今度の調査は、不定期に開催されるイベントの来客のプロフィール収集。これも必要なんだけど、受付嬢までする必要がある?現に、コウガはイベント広場で、客の流れを見ている。人の流れ、一時的に多くなったり、少なくなったりすることがあるかどうかを調べているらしい。入場者の流れやプロフィールなら、離れたところで観察していてもいいじゃない?でも、キスゲ嬢は、入り口付近にずっといる若い女は、不信を招くっていうの。そりゃそうかもしれない、って納得させられたのが間違いよ。そうよ、ここにコウガが座ってもいいんだし...わかってるわよ、無理よ。くそー、頭のいい奴は、ほんっとに陰険なことをするわね。まあ、いい。二日間、二日間ここで踏ん張ればいいんだから。

「いらっしゃいませ。パンフレットをお受け取りください。」

「どうも。」

 けっこう、来るのよね、お客さん。そのたびににっこりどころか、どこで誰が見ているかわからないから、ずーっとスマイル維持しなくちゃならない。普段使っていない筋肉だから、すごく疲れそう。

「いらっしゃいませ。パンフレットをどうぞ。」

「ああ。」

 私以外にふたり、受け付け嬢がいるんだけど、組織とはまったく関係のない人たちみたい。当初ふたりという話だったのに、急に私が参加することになったらしい。まったく、組織っていうのは、どういう伝手を持っているのかしら。昨日の顔合わせで、挨拶をしたんだけど、ほんとうに普通の方々だったわ。そういう方々と、「何気ない日常会話」をしなければならなかったのよ。きょうの受付より、そっちのほうが、よっぽどきつかったわ。おっと、これは絶対キスゲ嬢に知られないようにしとかないとね。

 きょうはいいお天気ですわね。ええ、ほんとうに。明日もいい天気だといいのですけど。でも、あまりお日様が照ってもねえ。そうですねえ。うふふふふふ。ところで、そちらはどこの事務所から?え?わたくしですか?え、ええ、東都芸能からです。ご存知ないでしょう、小さなところですから。はあ、そうですの...おえー。うぐぐ、おえー。駄目だわ。わたし、絶対これだけは耐えられない。これ以上こんな会話をさせられたら、暴れだしてしまうわ。大丈夫、今日は大丈夫...

「あら、もうお昼ですわね。」

「そうですね。そろそろ交代の方が見えると思うんですけど。」

「そうですね。まだいらっしゃらないのかしら。」

 あ、来た。これで解放される。しばらくの間は。

「ごくろうさまです。」

「ごくろうさまです。」

「じゃあ、行きましょう、早乙女さん。」

 腕をとられた。え?何?あれ、この人、昨日の顔合わせで、やたら汗を拭きながら、説明していた人だわ。何?どこへ連れて行くの?私はそっと腕を振りほどいた。

「や、失礼。ご案内しようと思いまして。お気に障ったなら、勘弁してください。」

「いえ、何でもありませんわ。」

「じゃあ、こちらへどうぞ。お食事が用意してありますので。ま、ただの弁当ですがな。はっはっは。」

 はっはっは...じゃない。なにか、すごく嫌―な予感がしてきた...

「じゃ、どうぞ、みなさん。こちらに来てください。暑かったでしょう。冷房も入っていますから。」

 冗談じゃないわ。わたしは解放されるのよ。一人でレストランに行って、1時間のんびりと過ごすのよ。皆さんとご一緒だなんて、そんな、おほほほほ...

「あの、わたし...」

 この男、またあたしの手をとった。とった、というより、握り締めている。汗が、脂がよくのって、とっても不快。プライベートで会ったら、殺してしまうかも。

「あの...」

「じゃあ、行きましょうか、早乙女さん。」

「早く行って、またいろいろお話しましょう。」

 うっぎゃー。それが嫌だっちゅうとんねん。それが、いちばん、嫌だ、ってんねん。この手を振りほどいて、人のまったくいない原生林に逃げ込みたい。人の気配もない洞窟に潜んでしまいたい。ああ、わたくし、わたくし...

「あの...」

 うあー。助けてー。誰か、助けてー。

「早乙女さんは、どんな習い事をしていらっしゃるの?」

「付き合って方はいらっしゃるの?」

「きれいな肌ですなー。そうやって維持してるんですか?うちの家内なんざ...」

 人を殺して、血を塗りつけてるんですーう。そうすると、いつまでも美しい肌でいられるんですーう。付き合った人は、しつこいと殺しますーう。習い事は、人の殺し方を、常住坐臥、あらゆる時に考えることですーう。だれか、たすけて...助けてくれたら、なんでもしてあげる。一生奴隷になるから、お願い、だれか、助けて、ください......


「お、昼休みか。」

 コウガは、キスゲが実行委員長に手を引かれて、ほかの受付嬢と一緒に、事務所のほうに行くのを見かけた。少しふらふらしているように見える。キスゲらしくもない。慣れない事をしているので、疲れたのか?まあ、これから休憩のようだから大丈夫だろう。

「それにしても、いいな。こちらは代わりも来ないから、ホットドッグにコカコーラだ。きれいどころと一緒に、冷房の聞いた部屋で一休みか。できれば、代わってもらいたいもんだ。」

 キスゲがこれを聞いたら、すぐにでも代わってくれただろう。しかし、これはコウガの独り言だったし、実際にそんなことをするわけには行かないのは百も承知だった。コウガはホットドッグの残りを口に押し込み、コカコーラで飲み下した。さすがに昼時で、人の流れは落ち着いている。しばらくは、のんびりできそうだった。


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