微量毒素

白の魔歌 〜地吹雪〜 p.13


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 午後からはけっこう人が来たけど、「お話し」をする時間がなくて、助かった。それに、ちょっと面白いお客さんを見つけちゃった。ハンサムなお顔に、ひどい擦り傷の後が残っちゃってるお兄さん。初めて東京に来た日にあった方たちの一人よね。遠くで私を見て、慌てて隠れてたけど、そんなことをするから目立つのよ。こっちを伺いながら、電話してたけど、何か仕掛けてくる気なのかな。仕掛けてきてくれるといいな。今日はまずいから、他の人と一緒に帰ろう。途中で撒けばいい。明日、お仕事が終わったら、仕掛けてもらいましょ。

「やっぱり、この時間になると、電車は込みますわね。」

 忘れてたー。一緒に帰るってのと、「お話し」はセットメニューだった。

「主催者の方も、気を使って、車でも出してくださればいいのに。ねえ、早乙女さん。」

「はあ、そーでございますわねえー。でも電車の方が自由がききますから...」

「自由...ねえ。車で好きなところに連れて行っていただいたほうが、よろしいんじゃありません?」

「そうですねえ、それは気付きませんでしたわ。おほほほほほほ。」

「まあ、早乙女さんたら。うふふふふふ」

「おほほほほほ。」

「えへへへへへ。」

「あら、今のは何?」

「ああ、きっとももんがですわよ。よく、そういう声で鳴くんです。」

「...でも、ここは電車の中ですわよ。」

「あら、いやだ、冗談、冗談ですわよ。」

「まあ、冗談ですの。早乙女さんって、おもしろい方ね。」

「ああら、いやだ。おほほほほほ。」

「うふふふふふ。」

「おほほほほほ。」

 駄目だ。限界。このままでは、この車両がひとつ、血で満たされることになる。撤退、撤退。この状況は、危険すぎる。速やかに、脱出する。

「あ、ごめんなさい。わたくし、少し用事がありますので。」

「あら、銀座?そうね、わたくしたちもお付き合いしようかしら。」

「そうね、まだ時間も早いし。一緒に行きましょうか?」

 なんでやねーん。駄目だ。もう頭が働こうとしない。とにかく、断固拒否しないと。

「いえ、いえ。ごめんなさい。プライベートなことなんで、きょうは一人で行きたいの。ごめんなさい、皆さん。」

「あら、ごめんなさい。気が付かなくて。」

 こら、急に好奇心に満ちた目で見つめるんじゃない。

「もしかして、おデート?」

 うわ、どう言い抜けよう。でも、デートならついて来ないよね。

「え、ええ。待ち合わせなんです。」

「いいわねー。ねえ、お相手の方に会わせていただいてはいけない?」

 だから、なんだっちゅうねんー。なんでこうなるねん。あてのどこがいけまへんのや。なんで、世間さまはこういう方向にくるねん。あて、もう、わややわ。

「あ、いや、見せるほどのもんじゃないっちゅうか。」

「またまた。素敵すぎて、わたしたちに見せるのがもったいないんでしょ。いいわねえ。」

「いや、もう、ほんと。ネアンデルタール人みたいなもんですから。」

 わたし、この時、コウガさんを思い浮かべてた。ごめん、コウガさん。

「まあ、ほんとうに早乙女さんたら、冗談が...」

 ちょうど、その時、電車の扉が開いた。わたしは人の間をすり抜け、外に出た。電車の扉が閉まった。二人に向かって手を振る。こちらを見て、にっこり笑った二人は、そのまま話を続けているらしい。

「...お好きなんだから。うふふふふふ。」

「おほほほほほ。」

 笑い声が聞こえてきたような気がした。

「おほほほほほ。」

 わたしもつい、口に出してしまった。その時、視界に見たことのある顔が飛び込んできた。擦り傷のある顔。どうやら、わたしが降りたのが突然だったので、いっしょに降り損ねたらしい。目の隅に悔しがる顔が一瞬映り、電車はホームを出て行った。

「うふふふふふ....」

 わたしは完全に脱力していた。きょうは、ほんとうに疲れる一日だった。とりあえず、うちに帰ろう。わたしはとぼとぼと歩き始めた。


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