微量毒素

おはなし
追跡者

 近づいてくる集団に、初めに気づいたのは今年12歳になるシザラである。シザラはそれほど多くはない他の子供と、村の回りに生える木に上って遊んでいた。木に登った時に、四方に目を配るのは、村の人間の嗜みである。早い時期の来訪者の発見は、村の存続を左右することもある。子供とはいえ、シザラもその重要さを認識していた。隙間なく雲に覆われ、陰鬱な様相を見せる空が地面と接する遥か彼方の地平に、見慣れぬ黒点を見たシザラは、他の子供に声をかけ、遊びを中断させた。全員が止まり、地平に目を凝らす。

「いるな」

 シザラが言うと、一つ下の枝にいた2歳年長のアリユも頷いた。

「来る。一人じゃないな」

 アリユは声をあげた。

「サウラ。頼む」

 下のほうの枝にいた少女が頷き、機敏に枝から飛び降り、そのまま村に向かって走る。

「任せる」

 アリユはシザラに声をかけ、木を降りていった。シザラは頷き、そのまま黒点を注視し続けた。回りの子供にシザラの伝令を頼み、アリユも村に向かった。ほとんど動かないように見える黒点は、おそらく数時間のうちに村に入ることになるだろう。シザラはさらに周囲を見渡して、他のものの接近がないかどうかにも注意した。他には接近するものはない。目を戻すと、黒点はやはりそこにあった。

「悪いものでなければいいけど」

 シザラは一人だったので、その言葉を聞くものはいなかった。この場合のシザラの言葉は、むしろ祈りに近い性質のものだった。

 やがて村から数人の大人がやってきた。一人がするするとシザラのいるところまで上ってきた。数年前まで、よく一緒に遊んでくれていたデミである。デミはシザラの背中をぽんと叩いた。シザラは誇らしい気持ちになった。訪問者を発見したのはシザラなのだ。

「降りてもいいぞ」

 デミは言ったが、シザラは首を振った。デミは頷き、地平線を見た。すぐに見つけたらしく、頷いて、そのままシザラの隣りの枝に腰を落ち着けた。

「悪いものでなければいいけど」

 シザラは、もう一度先ほどと同じ言葉を呟いたが、今度の言葉はデミに聞かせるためのものだった。デミは頷いた。シザラは一人でここにいたときより、少し弱くなった自分に気づき、気を引き締めた。

「天と地と、二つの目が我らをお守りくださるように」

 デミは古い祈りの言葉を呟いた。シザラは身震いした。この祈りの言葉は、いつ聞いても何となく薄気味が悪い。二人はそのまま言葉を交わすこともなく、ほとんど動いていないように見える黒点を見守った。



 くすんだ景色の中を、一塊の黒い集団が近づいてくる。いや、黒く見えるが、ある程度近づいてくると、非常に深い緑だということが見て取れる。

「抑制者だ...」

 正しいものであるのだが、抑制者は迎える人の心に不安と畏怖を呼び起こす。それは、善し悪しではなく、抑制者の本来持っている属性である。人々は不安を胸のうちに、近づいてくる、よく訓練された集団を待ち受けていた。ようやくお互いの顔が見分けられる距離まで来て、近づいてきた集団は軽く頭を下げた。待ち受けていた村の人間たちも、深々と頭を下げた。迎える人々の前で、抑制者の集団は、左右に分かれ、中央を一人の男が歩み出てきた。

「お尋ねする。抑制者のザンダだ。この前の町で、破壊者が目撃されている。こちらには来ていないだろうか」

 村の長は、礼を返して答えた。

「こちらにはここしばらく、よそ者は来ておりません」

「そうか。こちらではなかったか」

 ザンダは右の方、赤い荒野の方を見やる。

「では、ラゼンの方かもしれんな」

「抑制者の方々は、これからどちらに向かわれますか」

「赤い荒野のほうへ行こうと思っているが...ここから向かう方角に、宿をとれるような町はあるだろうか」

「ありますが、明るいうちには着けません。どうか、ここでお休みください」

「よろしいのか」

「十分ではありませんが、お休みいただけます。どうぞ」

「それでは、お世話になる」

 全員が刀を引き、わずかに頭を傾ける。

「礼が浅いのは許してください。我々は、このようにすることになっています」

 村の長は了解していることを伝えるために軽く頷き、左右に控えている村の代表者たちに手を上げて、案内するように指図した。



 シザラは村の気配に耳を澄ました。村はいつもよりもずっと静かである。抑制者たちは大騒ぎをしたりしないと聞いたが、まさにその通りだった。行商人のキャラバンが寄った時などは、夜っぴての大騒ぎになるのだが、抑制者は楽しまないという噂は本当らしい、とシザラは何となくつまらないように感じながら思った。食事も貧しい村の食事を文句も言わずに黙々と食べたと給仕についた姉が言っていた。その言の端に、憤慨のようなものを感じたのはシザラの気のせいではないだろう。

「抑制者って、つまんないんだな」

 シザラはぽつんと呟いた。明らかに祈りではないこれは何だろう。シザラは、期待を裏切られたようなこの気持ちを誰とも分け合えないために、自分の影に話しかけているのだと感じた。これはそれほど悪いことではない。過度に到らなければ、害にはならない。もう、これ以上何も起きそうもない。シザラは寝ることにした。家族に挨拶をして、寝間に入り、横になった。しかし、妙に目がさえて眠れない。何度も反転を繰り返しているうちに、いつの間にか眠り込んでいた。



 シザラは夜半に目を覚ました。目を覚ましたら目が涙で濡れていたが、何で涙が流れているのかわからない。夢でも見ていたのかもしれないが、夢の記憶もまったくない。ただ、涙が流れている。しかし、鋭敏になった感覚が、家の外の気配までシザラに伝えた。誰かが家の外を歩いていく。見回すと、家族はみんな寝入っている。だとすれば、今は真夜中だ。真夜中に道を歩くのは人以外の何かだ。シザラは、まだ人以外のものを見たことがなかった。そっと寝床を抜け出す。幸い、咎める声はかからなかった。

 外は真っ暗だった。夜でさえ、雲は天を覆い尽くしている。それでも、雲を通して僅かな光があり、まったくの暗黒と言うわけではない。それに、物の形はわかる程度には、闇に目が慣れている。シザラは足音が向かっていた村外れに向かって、足音を忍ばせて歩き出した。いつも通る道だから、物の形がわかればたどるのは容易だ。自分の立てる足音が不安だったので、シザラはそろそろと移動していた。やがて、前方に気配を感じ、シザラは傍らに生えている木に身を潜ませた。

 気配は、今までシザラが感じたこともないほど強いものだった。シザラは初めて畏怖を感じ、目を瞑った。土蛇の攻撃音のようなシュッという音がして、空を3度切る音がして、最後にカツンという音がした。それが二度続いた。3度目になる前に、シザラは目を開け、そろそろと闇を透かした。

「何をしている」

 いきなり声をかけられ、シザラは動きを止めた。烈しく動悸がした。足音が近づいてきた。

「子供か」

 シザラは、この声が抑制者のリーダーの声だと気づいた。

「お、俺。あんた」

「夜中に出歩くものが私以外にいるとはな。おまえ、破壊者か?」

 シザラは首を振り、それが相手に見えないことに気づいた。

「違う。あんたは今日来た人たちのリーダーだろ」

「そう。私はザンダだ。おまえが破壊者でも抑制者でもないなら、なぜ深夜にこんなところにいる?」

「足音が通って行った」

「夜に出歩くものが人以外の何かだと教えられていないのか?」

 厳しい声ながら、どことなく興がっているように聞こえたので、シザラは自分の思っていることをそのまま言った。どの道、言い訳など考えつける状況ではない。

「見たことがない」

「何だって?」

「俺は、人以外のものを見たことがない。だから、見てみたかった」

「ほう。それは」

 ザンダは、シザラをまじまじと見つめ直しているらしい。

「恐ろしくはなかったのか」

「知らないから怖くない」

 ザンダは頷いたようだった。シザラは疑問をザンダにぶつけた。

「抑制者は人じゃないの?」

 ザンダは虚を突かれたようだった。

「いや、人だ」

「じゃ、破壊者は?破壊者は人じゃない?」

 今度は少し時間を置いてから返事が返ってきた。

「いや。破壊者も人だ。人の中の、異種だ。なぜそんなことを訊く?」

「だってあんたは、夜中に出歩くものは破壊者か抑制者だって言った。夜中に出歩くのは人ではないものだ、とも言った」
 ザンダはしばらく沈黙した。

「そうか。そう言ったな」

 ザンダが近づいてきて、シザラの頭に手を乗せた。

「おまえは幾つになる」

「12歳だ。頭に手を乗せるな」

 ザンダは手を離した。

「おお、すまん。おまえは度胸もあるし、頭もいい。いずれこの里には飽き足らなくなりそうだな。その時に、その気があればザンダを尋ねて来い。抑制者に訊けば、俺のいるところはわかる。まだ俺が生きていればな。生きていなくても、おまえが身を託せる誰かを頼んでおいてやろう」

「俺はこの里を離れない」

「わかっている。もしもの時は、だ。しばらくそこにいろ。送ってやる」

 そう言ってザンダは向こうを向いた。

「まだ、答えてくれてない」

 闇が、シザラを大胆にしていた。ザンダは振り返った。

「抑制者が人であるかどうか」

 シザラは頷き、再び相手に見えないことに気づいて、慌てて言った。

「そうだ」

「人ではあるのだが」

 ザンダは間を空けた。

「里にいるものと同じようには、人ではないのかもしれない。破壊者と同じように」

 話は終わっていないようだ。シザラは息を詰めて待った。

「我々は畏れるものが里の人々より少ないのだ。だから、夜も出歩く」

「畏れるものが少ないのは、人と違っている?」

「そうだ。おそらく、人とは少し違うのかもしれない」

 シザラは、ザンダの声音に、残念さのようなものを感じた。無念さ?いや、寂しさの方が近いかもしれない。

「それで、こんな夜に何をしているの?」

「質問が多いな、子供」

「シザラだ」

「シザラか。剣を確かめている。自分の破魔の剣を」

「こんな夜に?」

「闇に向けて剣を使うのは、自分の身に剣を送り込むのに似ている。自分の身に剣を送り込むことで、剣技の不足を知るのだ」
 ザンダは再びシザラに向き直った。

「そうだ、シザラ。おまえは俺の剣をどう感じた? 恐ろしかったか?」

 しばらく考えて、シザラは言った。

「いや。いや、音を聞いただけ」

「音か。どう聞いた?」

「ザンダさんも質問が多いじゃないか。抜いて、3回斬って、収めた?」

 ザンダは笑ったようだ。

「そこまで聞こえるのか。俺もまだまだだな。だが、恐ろしくないのはいい。剣に余計な気持ちが入っていないということだから」

「ふうん」

 ザンダの言葉の最後は、独り言のようだった。

「じゃあ、待っていろ。もちろん、一人で帰ってもいいが」

「待っている」

 シザラは、ザンダと話をするのが楽しくなっていた。12歳であると知りながら、ザンダはシザラを対等のものとして扱ってくれている。もうしばらく、そばにいて話を聞きたかった。シザラから十分に離れて、ザンダは汐合いを極め始めた。シザラにも、ザンダの気配が膨れ上がってくるのが感じられる。やはり、抑制者は普通ではない力を持っている。だから、人ではないと思えてしまうのかもしれない。後でザンダに話そうと思いながら、シザラは心を澄ました。

 十分に極まった汐合いから、閃光が走り、再び柄に収められる。ザンダの剣は、両刃の真直ぐな剣である。その長い剣が複雑な軌跡を通って再び鞘に収められるのを見極めるのは不可能だった。しかし目で見られないところだと、音で少年にすら掴まれてしまっている。ザンダは自分が越えるべき新たな壁を、シザラに示してもらったことになる。無鉄砲な少年に感謝をしながら、ザンダは剣を振るい続けた。



「おい、シザラ。どうだ、だいぶ早くなっただろう」

 声をかけながらシザラに近づくと、シザラは眠り込んでいた。

「すまん、長すぎたか」

 そっとシザラの身体を揺すってみたが、起きる気配はない。ザンダは苦笑した。

「仕方ない。連れて帰って寝かせよう。家がどこかわからん。明日の朝早くに、村の者に訊いて送り届けてやるしかない」

 剣をしっかりと留め、ザンダはシザラを抱き上げて、村への道をたどり始めた。

おはなし

微量毒素