微量毒素

魔歌:Bonus Track 〜初めてのデート〜 p.3

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1 二日後の電話 p.1
2 待ち合わせ
3 初めてのデート p.2
4 ハルモニア
5 デートも終わりに近づいて
6 ディナー・タイム p.3
7 後朝(きぬぎぬ)の別れ、の、前 p.4

★ ディナー・タイム

 エリカとイガは奥まったところに席をとった。照明も間接照明がメインで、テーブルにはロウソクの、いや、キャンドルと言うべきなのだろう、炎が揺れている。厚いテーブルクロスに、布ナプキン。イガは腰のあたりがこそばゆくなった。違う。これはおれの守備範囲を大きく越えている。イガはたまらなくなり、出よう、とエリカに声をかけようとしたが、エリカはキャンドルの火の揺らめきをじっと見ている。表情がおごそかで、イガは声をかけそびれた。それに、揺らめく炎に照らされるエリカは美しく、このまま、ずっと見ていたい気にさせられた。

 イガがエリカに見とれていると、エリカはふと目を上げ、イガと目を合わせた。なにか言ってくるかなと、心の中で構えたが、エリカはふ、と微笑った。その様子が常になく、気弱な感じだったので、イガは大丈夫か、と声をかけようとしたが、その時、給仕が近くに寄ってきた。

 イガがあせっていると、エリカが軽く手を上げ、給仕を呼んだ。給仕に向かって、メニューを伏せたまま、何か注文しているらしい。注文しているさまが、堂に入っている。イガは感心してみていた。いつも、両親とそれなりのレストランに入っているのだろう。イガはなんとなく、劣等感を感じた。注文が終わると、給仕は一礼して下がり、エリカがイガの方を見た。

「好き嫌いはなかったよね?」

 まるで年上のおばさんみたいなことを言う、と思いながら、イガは答えた。

「通常、日本人が食べるものなら何でも」


 この言葉は、エリカの何かを刺激したらしい。

「ほんと?」

「たぶん」

「じゃあ、ハチの仔の佃煮なんてのもOK?」

 うっときた。

「なんでいきなり、そう来るんじゃ」

「だって、前にテレビでやってたんだよ、日本のゲテモノ料理。わたし、見ただけで気持ち悪くって」

「じゃあ、言うなよ」

「でも、地元では普通に食べてるみたいだよ」

「うーむ。佃煮ねえ。蝗は食べた事ある、というより、親が取ってきて作ってたな。取るのは俺も手伝ったけど」

「いなご?バッタの?」

「そう。けっこううまかったな」

「よく食べたねえ」

「子供のころは、ちゃんと皿に乗せられて食卓に出たものは、すべて食べられるもんだと思ってたからな」

「でも、バッタじゃない。あ、それとも、形なんてわからないくらいに調理されてるのかな」

「いや。色以外はほとんどそのまま」

「足も?」

「足がうまいんだ。ポリポリしてて」

「むー、耐えられそうにない。でも、イガさんちでは食べるんだよね」

「ああ」

「じゃあ、それくらい食べられないといけないね。よし、ハチの仔を買ってきて、訓練しよう」

「いや、だからハチの仔は食べないって」

「でも、どうせ訓練するのなら、より過激なもので訓練しないと」

「訓練になんないだろ。かたや芋虫、かたやバッタだ。食感も全然違うだろ」

 この言葉を聞いて、さすがにエリカは蒼ざめた。言ったイガ自身もむかむかしてきた。考えてみれば食事前である。なんで、こんな話になったのだ。と思っているうちに、ワインが運ばれてきた。エリカは受け取ってすぐに、おいしそうに飲んでいたが、イガは今の会話が後を引いており、あまり口に出来なかった。すぐにスープが来た。ここでイガの頭にふぃっと疑問が湧いた。

「エリカ、ひょっとして、コースを頼んだのか?」

「うん」

「高いんじゃないのか?」

「まあ、普通だよ」

「普通ってどのくらい?」

「秘密。私がおごるんだから、イガさんは気にしないで」

 不得要領のまま、イガはスープを飲んだ。おいしかった。


 食事をしながら、エリカは自分が入る会社の事や、中学校や高校のこと、小学校のことを話した。イガは、エリカのことを、ほとんど知らなかったのだ、ということを、あらためて認識した。今、エリカが話してくれることを、すべて頭の中に織り込んでいった。

 エリカは小学校3年生の運動会で、リレーの選手になりながら、転んで一等になれなかった。みんなが慰めてくれたけど、くやしくってしょうがなかった。中学校の時に好きな子が出来たが、けっきょく告白しないままに卒業した。高校のときは、バス通学で、痴漢にあったが、乗っていた女子生徒全員でその場で大糾弾をして以来、その路線では痴漢が起きなくなった、とか。

 イガの中で、エリカの像がどんどん形と色を整え、活き活きとしてきて、ついには動き始めた。

 エリカの話を聞きながら、イガは自分の話もしていた。二人の間で、それぞれに対する情報が交換され。自分自身の鏡像が、相手の中に作り上げられるのを感じた。ところどころ歪な部分もあるが、それはまた修正していけばよい。こうして、人間は、それぞれがお互いを理解するのだが、これはとても楽しく、心踊る作業である。


 コースの最後に、コーヒーが出た。楽しい晩餐会もいよいよ終わりだ。イガは香り高いコーヒーを一口味わった。苦いねえ...

「明日は会えるかな」

 イガの問いに、エリカは不思議そうな顔をした。

「うん。当然だろう。何か差し障りでもあるのか?」

「いいや、こっちは何も。じゃあな。明日になったら電話をくれ」

「じゃな?電話?どこへ行く?」

「どこって、うちに」

「なんで?」

「何でって...ずっとここにいて歌でも歌っているか?」

「それも魅力的な提案だが、それでいいのか?」

「いいのかって...」

「ちょっと、待て」

 エリカは荷物の中をごそごそ捜して、何かを取り出してイガに手渡した。

「はい」

 イガは受け取った。Noの彫られた白く四角い棒に、キーが付いている。

「...なに、これ」

「へやの鍵」

「どこの」

「宿の」

「何で俺に」

 エリカはイガの顔をいぶかしげに見た。

「だって、しばらく会えないんだ。一緒にいてくれるだろ?」

「いつまで」

「朝まで」


 イガはまだ状況が飲み込めない。何かの冗談だと思ったが、エリカに冗談はそぐわない。しかし...

「冗談だろ」

「冗談じゃない。ひょっとして、いやなの?」

「いや...」

「いやなんだ...」

「いや、そのいやじゃない。ちょっと待て。混乱している」

 イガは腕組みをして、キーを見て、エリカを見た。しばらく脳細胞をフル回転させて、現在の状況を分析する...

「ええーーーーーっ!」

 イガは叫び声を上げた。エリカは慌てて左右を見て、身を乗り出してきつい声でイガに囁いた。

「イガ、あまり目立つことをしないでくれ。私だって、けっこう緊張しているんだ」

 イガも前に乗り出し、ひそひそ声でエリカに言った。

「朝まで、へやに、来てくれって言ってんのか?」

「その通りだ」

「俺は男だぞ。そんな状況になったら、何をするかわからないぞ」

「その「何」をしてほしいのだ」

 イガの目が血走ってきている。

「何ってなに」

「私に言わせる気か?」

 エリカの顔も、赤くなっている。あたりを見回し、小声で囁いた。

「私たちは、恋人どうしになったんだろ」

「ああ、たぶん」

「たぶん、ってなんだ」

「ああ、間違いなく」

「だけど、おまえは私の手にしか触れたことがない。キスも一回しかしていない。これは不自然だろう」

 イガはぐっと詰まった。

「不自然っていうか、成り行きでそうなってるんだけど」

「わたしは、おまえが欲しいのだ」

 イガの首ががくっと落ちた。

「ずっと欲しかったんだが、自分が変わってしまいそうで、言い出せなかった。でも、もう恋人になったんだから、言い出してもいいだろ」


 イガはなかなかこの急展開についていけない

「すまん、混乱して...」

「やはり、おかしいのか? 私は。おまえにそばにいて欲しいんだ。しばらくは離れ離れに暮らすことになる。会う機会も限られる。それが、私にはつらいんだ。だから、抱いてくれ」

  エリカの言葉で、イガは貧血を起こしそうになった。後ろにひっくり返った首をかろうじて持ち上げ、目を開けると、赤くなりながら、イガの顔から目をそらさないエリカの顔があった。やっぱり、これがエリカである。このバカ正直なまでに真っ直ぐな思いは、イガのよく知っているそれであった。エリカは真剣だ。エリカは必死だ。イガはこれにうろたえたりしてはいけない。それは、真剣に向かってくるエリカに対して失礼である。イガの頭から、余分なものが抜けた。イガはエリカの真剣な目を見つめて言った。

「すまん、エリカ。俺が鈍すぎた。次に会うまで、互いのことを忘れないよう、おまえと朝まで一緒にいよう」

「うん...」

 イガは心を落ち着けようと、コーヒーの残りを飲んだ。エリカはほっとしたらしく、コーヒーカップを弄びながら言った。

「いちおうの準備はした。スキンも買ってある。念のため、1ダース用意したんだが、足りるのかな?」

 イガは、今度こそ、死ぬかと思った。コーヒーが鼻に逆流し、呼吸が止まったのだ。あわてておしぼりをひっつかみ、そこに吐き出した。エリカは気味悪そうにイガを見ながら、言った。

「こっちのおしぼりも使うか?」


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