微量毒素

青の魔歌 〜ガーベラ〜 p.4

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1 イガとムサシ、決闘をする。 p.1
2 Old fashioned love song
3 イガ、ムサシを無視する。
4 朝のバスケ。
5 ガーベラとコウガ、昼休みにデートする。
6 ムサシ、クワノ、ハヤシ、イガを心配する。 p.2
7 ルカ、ムサシを問い詰める。
8 ガーベラ、コウガを撒く。
9 イガ、ルカと会う。
10 夜遊び。 p.3
11 ガーベラ、イガの心を読む決意をする。
12 イガ、ムサシに決闘を迫る。 p.4
13 ルカ、ムサシに迫る。
14 ガーベラ、コウガの心を読む。 p.5
15 ガーベラ、故郷を離れる。
16 コウガ、ガーベラと別れる。
17 ムサシ、イガと決闘をする。

★ イガ、ムサシに決闘を迫る。

 ムサシは屋上にいる。それはさっき確認した。きょうは天気がよくて寄り道日和のせいか、授業が終わってもまだ、教室に残っている者がけっこういる。イガは全員に声をかけた。

「おい。誰か暇な奴はつきあってくれ。」

「暇な奴って?男女問わず?」

オソノが応える。イガは頷き、言った。

「これから、ちょっとしたイベントをムサシとするんだけど、逃げられないように証人になって欲しい。」

 おー、という声があがった。ほとんど全員がムサシとイガの確執(実情は、一方的にイガが決闘したがっているだけなのだが)を知っている。

「行くいく。どこ?」

 チィが寄って来た。

「屋上だ。あそこなら逃げ道はひとつしかない。」

 ぞろぞろとギャラリーが集まってきた。イガはそれを引き連れて、屋上へ向かった。ついていこうとしていたクミは、途中で止まった。

「ルカ?行かないの?」

 ルカは机に座ったまま、前を見ている。クミの声に、顔を向けて言った。

「私、ちょっと用事があるの。」

 強い意志を感じる瞳。クミはぴんと来るものがあった。もう、ギャラリーは教室の外に出てしまった。クミは腕を組み、ルカに声をかけた。

「ついに正面攻撃かい。がんばんな。」

 ルカはニッと笑ったが、顔が少し強張っている。お気楽そうに見えて、ルカはけっこう物事に正面から取り組むタイプなのだ。クミはそれをよく知っている。それ以上声をかけず、クミは教室を出て屋上に向かった。(ルカはムサシのことをよく知っている。きょうもムサシは、うまくイガの裏をかくだろう。しかし、その後、向かう先はひとつしかない。屋上からの出入り口は一つだから。)クミは歩きながら考え続けた。(追われることを考え、ムサシは最短距離で外へ向かうだろう。だとすれば、待っていられるポイントは3ヶ所ある。でも、ルカはムサシと徹底的に話をするつもりだろう。だとすれば、土曜日の午後、開いていて、誰も来る心配のないのは。)クミは顔をあげた。(音楽室。なら、ルカは3階の廊下で待つだろう。)クミはギャラリーの群れに追いついた。(とにかく、思うとおりにやってみるしかないよね、ルカ。こればっかりは、神様でもない限りわかんないだろうし、あいにく私は神様なんて信じちゃいない。だったら、私の出来ることは一つ。)階段の上で屋上に通じる扉が開き、まぶしい光が射した。片手を上げて光を遮りながら、クミは呟いた。

「がんばれよ、ルカ。」


 イガは屋上につながるドアを開けた。ムサシの背中が見えた。

「ムサシ!」

「お〜、イガ。どうしたんだ、元気のいい声出して。」

 振り向いたムサシはぎょっとした。イガの後ろからクラスメートがぞろぞろついてきている。

「ここは学校の屋上だ。ギャラリーにも来てもらった。きょうは逃げられんぞ!」

 ムサシは左右を見回したが、どうも逃げ道はないようだ。ムサシはイガに顔を向け、首を傾げてにっこりと微笑んだ。

「逃げるって、何から?」

「と・ぼ・け・ん・な」

 イガは、持ってきた武器をムサシに見せた。

「これは竹刀だ。竹刀なら折れることはないからな。」

 イガはにやりと笑った。無責任なギャラリーは、いつの間にか実況中継を始めている。アナウンサーはオソノ。

「常になく、綿密なイガさんです。きょうは期待できそうですね、格闘技評論家のエルさん。」

「あ〜、う〜、腰のひねり〜、え〜。」

「ねえ、ねえ、あたしラウンドガールをやる!」

「はしゃがないで、チィ。」

 クミがたしなめる。後ろではクワノとハヤシが話をしている。

「ま、これでようやくイガの望みもかなうのかな。」

「どうだかね。なにせ、ムサシだからな〜。」

 イガは自分の竹刀を構え、正眼につける。

「きょうは逃げられないぜ、ムサシ。」

「あ、あの、イガくん?落ち着いて、ね?ああっ、せまらないで...」

 オソノの実況は続いている。

「さすが、逃げのムサシも、きょうは追い詰められたようですね。エルさん。」

「あ〜、サル知恵、う〜、身欠きにしん。」

「ねえ、賞品は何なのかしら。」

「あるわけないだろ。」

 クミはチィに突っ込みながら、ふとルカに思いをはせる。(思いつめた顔しちゃってさ。まったく、可愛いったら。)おそらく、今もムサシが戻って来るのを、あの顔で待っているのだろう。

「い〜のち〜、みじいかし〜、こいせよ お〜とめ〜、か。」

 クミが場違いな歌を口ずさんでいる横で、実況はさらに白熱してきている。

「興味の焦点、これから先の展開ですが、いったいどうなってしまうんでしょうか、エルさん!」

「わかりませんね〜。楽しいですね〜。」

「はらたいらさんに50点!」

「あ〜かき〜くちいびる〜あ〜せぬ〜まに〜」

 ムサシはギャラリーの方を見て言った。

「おまえらな〜。」

「ムサシっ!」

 イガの気迫のこもった声に、ギャラリーも声を失った。

「おお、よ、よし、わかった。武器をくれ。」

「よし。」

 イガは満足した顔をして、もう一本の竹刀を拾い上げた。

「これ、」とイガが言って顔を上げると、学生服が目の前に広がっていた。
「だーっ!」

 バキ。

 学生服の間から、ムサシの手が出入り口から出て、上下に振られているのが見えた。

「さいなら〜。」

 手は消えた。実況が再開された。

「ムサシ、見事に逃げました。しかし、イガくんの詰めの甘さが惜しまれますね〜。」

「あー、かけひき。うー、脆すぎ。」

「やはりもう少し駆け引きのやり方を学ぶ必要があるという、エル親方のお言葉でした。少し脆すぎた、というのが総評です。今後の精進に期待しましょう。」

「あ〜、ムサシ。攻撃、う〜。」

「まあ、初めてムサシが能動的な攻撃に出たわけですから、今後の展開が楽しみだ、ということですね、エル親方。」

「ごっつぁん、す。」

「以上実況を終わります。」

 力尽きたイガは、うつ伏せのまま呟いた。

「く、くそ〜。」

 空は抜けるように青い。クミは呟いた。

「さて。私は待つか...」



★ ルカ、ムサシに迫る。

 ムサシは笑いながら息を切らし、時々後ろを見ながら階段を走り降りてくる。その目の前に、白い手が突き出された。

「わっ。」

 階段の下、壁の陰から、思いつめた顔のルカが姿を現した。ムサシは思わず、

「い、一難去ってまた一難...」

「だれが一難よ、誰が。」

 ルカはこぶしを作って言った。仁王立ちになり、何と言われようと引かない構えだ。さっきのイガより、数段上の迫力である。ルカはムサシを見据え、顎をしゃくった。

「?」

「ムサシさま、お話があるの。お時間をくださいな。」

「お時間、っておまえ。俺、今ちょっと忙しくて...」

 ルカはムサシの言葉になぞ、耳を貸すつもりはないようだ。

「つきあって。こっちへ。」

 ルカは後ろを見ずに歩き出した。さすがのムサシも、渋い顔をしながらついて行くしかない。ルカは右の突き当たり、音楽室の前まで行き、ドアを開いた。


 音楽室の教壇の横に立ち、ルカは言った。

「ここなら、二人っきり。邪魔は入らないわ。」

「き、危険なセリフ...」

 ルカはムサシの言葉にかまわず、顔をあげてムサシを見つめている。ムサシはさすがに少したじろいだ。

「...どうしても、確認しておきたいことがあるの。」

「何だ。」

 ムサシも真顔で受けた。これ以上はぐらかすのはルカにとって失礼だと考え、真剣に立ち会うつもりになったのだ。イガはまだまだ真剣に向かってきてはいない。だから、いつもはぐらかしている。しかし、今のルカは、身体全体でぶつかってきている。だから、ムサシは受けなければいけないのだ。それがムサシの考え方である。

「この間、あなたは言ったわ。」

 ルカは言葉を選ぶ様子もなく、言った。

「私とムサシさまは、わかりあえなくて当たり前だって。言ったわよね。」

「ああ。言った。」

 ルカは、瞬きもせず、食い入るようにムサシの眼を見つめ続けている。必死な眼。

「私は。」

 言葉を切り、力を込め直して言った。

「私は、今までずっと、ムサシさまのことをわかりたくて。もっともっとわかりたくて。」

 言葉を続けられず、ルカは口を噤んだ。ルカの手は拳を握り、それでも震えを止められないでいる。呼吸を整え、ルカは続けた。

「なのに、前よりもわからなくなって。それで悩んで。一人でずっとずうっと考えて、それでもわかんなくて。」

 ルカの目はムサシから離れない。ムサシも、受け止めたまま、静かに聞いている。

「さんざん考えて、どうしてもダメで。悔しくて、でもこのままじゃ嫌だから、死ぬ思いでやっと打ち明けたのに。わからなくって当たり前、ですって。」

 ルカの眼が炎を噴いた。

「いきなり核心を突くけど、じゃあ、あなたにとって私はいったい何なの?こんなこと言うのは、死ぬほど恥ずかしいのよ!わかってんの?私だって、もっとましな言い方をしたいわよ!でも、他の言葉じゃない、これしか浮かばない。だから、言ってんのよ。恥ずかしくって歌っちゃうわよ!」

 ルカはいきなり高らかに、ベートーヴェン 交響曲第九番「歓喜の歌」を歌い出した。

  歓喜よ 神の火 天津乙女よ
  迎えよ 我らを 光の殿へ
  汝が手の 結ばん 奇しきあやに
  生きとし生くなる 人みな友ぞ

  こよなき 友なる いとしき妻よ
  かちえて 幸ある 人よ歌えよ
  歌えよ 一人の 友だに持たば
  さあらで 寂しき 者は去るべし (1956年 堀内 敬三訳)

 歌い終わり、ルカはきっとムサシを睨みつけた。歌ったことで、勢いがついたようだ。反対に、ムサシは少しぼうっとしているようだ。

「ルカ...」

「何よ!泣かないわよ!大丈夫よ!」

「う...」

 ムサシはたじろいだ。

「泣きゃしないわよ!」

 ルカは肩を怒らし、両手を握り締めて叫んだ。一瞬の間があり、ルカはくるりと向こうを向き、しゃがみこんだ。

「......」

 沈黙。窓越しに、校庭の部活動の掛け声が入ってくる。外は明るく、賑やかである。その外、屋上の上で、クミが手すりにもたれ、走り回る生徒たちを眺めている。再び、音楽室。

「ルカ...」

「泣かないわよ!」

 そう言うルカの頬を、大粒の涙が流れとなって滴り落ちている。ムサシもそれは気付いているが、きっぱりと否定されているだけに、非常に指摘しにくい。

「......床になんか落ちてるけど...」

「砂糖よ!女の子は砂糖菓子で出来てんのよ!」

 ルカは向こうを向いたまま、後ろ手に正確にムサシを指さし、言い切った。

「あんたなんか!かたつむりよ!」

 ムサシは肩を少し落として言った。

「マザーグースじゃないって...」

 そう言いながら、上げたムサシの瞳はやさしい。相変わらず床にぽたぽた落ちる砂糖を見ながら、ムサシは言った。

「こんなに取り乱してるルカを見るのは初めてだ。」

「そーいう女よ!」

「それ、だな。」

「どれよっ!」

 ルカは勢いよく振り返った。涙が飛び散る。ムサシは、泣いてるよ、滂沱だよ、飛び散ってるよと思ったが、心の中で思うにとどめた。ルカも気付いたらしく、またくるりと向こうを向いた。ルカの背中に、ムサシの言葉がかけられる。

「感情豊かだが流されず。意志が強く自分をよく抑え。明るく優しいいい子。」

 ルカは低い声で返す。

「何よ。そのいい子ぶりっ子は。」

「ルカのイメージ。」

 ルカは鼻を鳴らした。

「...悪かったわね。本質はこんなもんよ。めちゃくちゃな女よ。」

「だから、それだって。」

 ムサシは言葉を継いだ。

「爆発する感情。抑え切れない気持ち。意地っ張り。依怙地。さらに見栄っ張り。支離滅裂。それが。」

 ルカはそろそろとムサシを振り返った。

「俺のわからなかった他人のルカ。わからなくて当たり前のルカだ。」

 また床に砂糖のかけらが落ちた。涙の後をいっぱいに残し、見開いたままのルカの眼はムサシから離れない。砂糖の滴は、流れを止めている。ムサシはゆっくりとルカに近づきながら、言った。

「俺にだって、おまえはわからない。おまえにだって、俺はわからない。」

 ムサシはルカの前に立ち、右手を差し伸べた。

「わからないから嫌いじゃなくて、わからないから面白いんだよ。」

 ルカはじっとムサシを見上げている。ムサシは見返す。ルカは、おずおずと右手をムサシの手に伸ばした。ムサシはルカを見つめている。ルカはふっと笑み、目を閉じた。睫毛の先に、砂糖のかけらが残っている。

「わからないからきらいじゃなくて、わからないから面白い。」

 ルカはムサシの言葉を繰り返した。

「紋切りじゃなかったのね。あの言葉は。」

 ムサシの眉間にしわが寄った。

「?何のことだ?ま、いいから立てよ、ほら。」

 ムサシが促すと、ルカはほわんと笑った。

「ごめん。立てないの。ほっとして、全身の力が抜けちゃったみたい。ムサシさまが来て。」

 ルカは握り合った手をぐっと引っ張った。ムサシはよろけ、言った。

「しょーないなー、もう。」

 ムサシはルカの横の教壇に腰を下ろした。そのムサシに、いきなりルカが抱きついてきた。

「よかった!...」

「お、おい...」

 ムサシは赤くなり、引き離そうとしたが、ルカは離れようとしない。顔をムサシの胸に埋めたまま、ルカはくぐもった声で言った。

「力が戻るまで、もうちょっとこうしてて。」

 ムサシは、おまえの知らない、すけべな俺もいるのに〜、と思いながらルカを見下ろしたが、ルカはまだすん、すんと鼻を鳴らしている。ムサシは困り顔でにやっと笑い、呟いた。

「ま、しかたない。しばらくはいい子でいましょうかね。」

 陽のさんさんと入る音楽室で、ムサシとルカは、眠くなるような、暖かい時間を過ごした。


「こらー、そこ。タバコ吸ってんじゃないだろうなー。」

 クミが屋上から見下ろすと、体育の先生がクミに言っているのだということがわかった。クミは口から棒を引き抜いた。

「飴でーす。」

「よーし。」

 本来なら飴も学校で食べたりしてはいけないのだが、あの先生は案外話がわかるらしい。またクミが飴を咥えて見下ろすと、ルカとムサシが校庭に出てきていた。裏門から帰るらしい。クミはふっと寂しそうに笑った。

「何とかよりを戻したか。よしよし。」

 クミは、二人から目を離し、遠い風景を見やった。晩秋の空気は澄み切って、遠くの景色が常になくくっきりと見える。クミはぽつりと呟いた。

「あ〜あ。男欲し〜な。なんてね。」

 クミの呟きは風に流れた。


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