微量毒素

魔歌:Bonus Track 〜黒屋敷〜 p.1


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1 マヤの死 p.1
2 長雨町の黒屋敷
3 中庭で、少女と
4 マヤ p.2
5 恋人を待って p.3
6 笑いさざめく少女たち
7 お籠に、入れて p.4
8 捜索
9 私を、いかせて p.5
10 エピローグ

魔歌:Bonus Track 〜 黒屋敷 【乙女の館(The Mansion of Maiden)】 
李・青山華
★ マヤの死

 コジローは毛布にくるまれて震えている。救急車とパトカーがたくさん来ており、時々救急車がサイレンを鳴らして、飛び出して行く。大勢の警官が行ったり来たりしており、ごった返している中、コジローは忘れ去られたように、仮設テントの下で何らかの情報がもたらされるのを待っていた。

「きみ、コジロー君」

 さっき話をした刑事が近づいてきた。

「マヤは、マヤさんはいましたか?」

 コジローは性急に問いかけた。刑事の表情は固い。その表情を見続けるうちに、コジローは力が抜けていくのを感じた。

「残念だが...」

 コジローはがっくりと首を落とし、毛布に顔を埋めた。宙に飛び散った血潮を見た。だから、駄目だとは思っていた。でもひょっとしたら、と思っていたのに...コジローは艶(あで)やかな中に、怒りを溢れさせた少女の面影を思い出していた。それは、ほんとうに数時間前のことだったのだが。

「嘘つき...後から来ると言ったくせに...」

 毛布に顔を埋めたまま呟くコジローを、刑事は心配そうに覗き込んだ。コジロ−は顔を埋めたまま、首を振り、また鳴り出した救急車のサイレンに耳を傾けていた。



★ 長雨町の黒屋敷

 しとしとと、際限なく秋の冷たい雨が降りしきっている。ホームから見えるのは、海。眼下いっぱいに広がっている。片側は山肌が迫り、人の気配も感じられない。何世紀も前に、見捨てられたような場所。駅前に、建物の一つもない小さな駅。雨のせいで、あらゆるものが、モノクロームに沈んで見える。

 電車が入ってきた。屋根もない、吹きっさらしのホームに降り立つコジロー。コジローだけを吐き出して、列車は沈んだ音を立ててけぶる岬に向かって去って行く。

 コジローは傘を広げた。黒いこうもりがさは、ハーフトーンの無彩色の世界で、存在を誇示するように、黒い。コジローは、今列車が去っていった方向に向けて歩き出した。


 コジローは、南野の飯場で、少女を買い集めてきて教育し、高値で売り捌く組織の存在を聞いた。もちろん、単なる噂話だが、コジローはそれに食いついた。少なくとも、噂にはその元があるはずだ。そして3ヶ月をかけて調査し、ようやくこの駅にたどり着いたのだ。

 現在も、その屋敷は、生きて機能していると言う。屋敷の名は、黒屋敷。コジローは、妹を探して来ているのだが、もし妹とは無関係だったとしても、この屋敷と、そのシステムを、完全に崩壊させるつもりだった。上流階級の中で暗黙のうちに存在を認められているがために、官憲の手が伸びることのないという、この黒屋敷を。


 コジローは駅の回りを歩き回り、店の一つもないのに驚いた。店どころか、建物自体がほとんどない。この駅は、町の入り口としての役目をまったく果たしていない。コジローは首をひねった。

 話によれば、黒屋敷は海の近くの、崖の際に立っているということだ。かつては、このあたりの海を支配していた漁師の長が建てた、大きな古い旧家らしい。岬の回りこんだところにあり、普通に観光で歩いて見つかるところにはない。外壁も、屋敷の壁も、黒光りしているため、黒屋敷と呼ばれている。まずは、そこを探し当てなければならない。

 そこから考えて、この町は漁業の町であり、入り口は港になるのかもしれない。だとすれば、この駅の様子も説明がつく。

 事前に調べたところでは、確かにこの町には、ほとんど人がいない。たぶん、海の近くには、昔からの漁師たちが住んではいるのだろう。が、魚が減ってしまい、漁業も不振になり、昔のような賑わいはない。土地は痩せており、海からの潮風が強いので、農作物も育たない。それがこの町の現状というわけだ。だとすれば、黒屋敷のようなものを作る者にとっては、願ってもない環境といえる。また、町にとっても、黒屋敷のような存在は、金を落としてくれるので、願ってもない。黒屋敷は、この町に作られるべくして作られた存在なのかもしれない。

「聞き取りは無理だな。目立ちすぎるし」

 コジローは早々に諦め、自分で歩きまわることにした。話の通りなら、海沿いにあるはずだ。コジローは、海に向かって歩き始めた。


 そんなに小さいわけでもないのだから、簡単に見つかるだろうと思っていたら、これがなかなか大変だった。ここの海岸は、切り立った崖がほとんどである。崖の際まで行って海を見たりする必要などあるわけもなく、港でもない限り、道は海までは届いていない。海沿いの道をてくてく歩いていれば、黒屋敷が見えてくるだろうと思っていたコジローには、これは大誤算だった。

「まいったね...」

 コジローは人気のない田舎道で途方にくれていた。来た方にも、行く方にも、人の気配どころか、人家の気配すらない。たぶん、根本的にアプローチ方法を誤っているのだろう。コジローは捜し方を変えることにした。

 電車から見える範囲には、黒屋敷はないだろう。そして電車の線路は回りより高くなっているので、大概のところは見えてしまう。これが見えないところで、それなりの屋敷が入るようなところがあるとすれば、そこに黒屋敷があるはず。海沿いで、電車から見えないとすれば、それは岬の先のほうにしかあり得ない。電車の線路と岬の間には、広い松林があるのだ。

「あそこになければ、黒屋敷はないぜ」

 コジローは呟いて、雨の中、岬に足を向けて歩き出した。岬までは大分距離はある。岬とこちらを隔てる森は、まだ遠い先で雨に煙っていた。



★ 中庭で、少女と

 細い糸のように降り続く冷たい雨はやむ気配をみせない。

(まいったな。体温が下がると体力が殺がれる)

 コジローは広い土塀の瓦の上にぴったりと張り付いて寝転んでいる。立派な木のおかげで、この位置なら屋敷内から見つかることはない。仰向けなので、雨は遠慮なく顔に降りかかる。霧のような細かい雨は、皮膚に着き、次第に集まって大きな水玉になり、滑り落ちていく。時に順序を狂わして滑り落ちていく雨粒を感じながら、コジローは屋敷の中の気配を感じ取っている。

 さっきまで、こちらの縁側に何人かの女がいた。雨を見ながら、何か言い交わしていたが、他愛のないことばかりだった。今はどこかに行って、ここにはいない。少女たちの会話から、「大奥」と呼ばれる場所に少女たちはいるらしいことがわかった。とりあえず、そこを目指して行き、そこから先は、その場で考えることにする。

 その前は、庭の中ほどを男が一人歩いて行った。足運びから見て、それなりの訓練を受けた者らしいが、足に不覚ともとれるふらつきが感じられる。男は口の中で悪態をつきながら、右の奥に消えていった。荒んだ気配が空気の中に残り、雨に溶けていった。過去1時間はこんな具合である。ここは、どうやら侵入者の存在をそれほど想定していないらしい。コジローは意外に思った。

 もちろん、気付かれないように外を回った時、それほど訓練された者たちではないにせよ、中に相当数の男の気配を感じた。コジローは、それが警備の人数だと思ったのだが、どうやら違うらしい。そこで感じたのも、悪事をやる場によくある、張りつめた緊張感ではなく、気だるいような気配に含まれる、刺すような悪意と、頽廃の気配。コジローはその時も首を傾げたのだったが。

 コジローは屋根の上を、音をさせないように走った。降り続く雨で濡れた瓦は滑りやすく、神経を使う。外に人の気配はない。コジローは中に入ってみることにした。さいわい、下に敷石がけっこうある。建物の裏側、窓のないところをコジローは捜した。それはほどなく見つかった。


 コジローはあたりを確認し、気配のないことを確認してから、屋根から敷石の上に飛び降りた。この雨続きでは、土の上では痕跡を残してしまう。敷地もかなり広く、母屋のほかに何軒も建物がある。コジローは人気のないのを確認して、建物伝いに移動を開始した。

 いくつかの建物を通り過ぎ、次の建物の角まで行ったところで、コジローの全身が緊張した。先に人の気配がある。コジローは慎重に角の先を確認する。そこは建物に囲まれ、中庭のようになっている。地面は苔に覆われ、雨に流されて鮮やかな緑。建物は黒々として、重く沈んでいるようである。その苔の上に薄紅色の着物を着た少女が手を差し伸べて立っていた。幾分開いた唇は血の気がなく、存在感がなく、淡い。少女はとても幼く、儚く見えた。霧のように降りしきる雨を、手のひらに感じ取ろうとしているようである。

 ムサシは、話を聞くために、隠れていた場所から踏み出した。少女はきっとコジローのほうを振り向いた。緊張で引き締まったその顔は、先ほどまでの弱さが欠片もなく、年齢もコジローより上のように見えた。コジローを見て、睨みつけたその瞳が、不審に揺れる。

「驚かせてすみません。少しお聞きしたいことがあってお邪魔しました」

「お見かけしないお顔ですわ。あなた、この屋敷のものではございませんね。お客様にも見えませんし...」

「はい。この屋敷のことを知りたくて来ました。よろしかったら、教えてください。この屋敷について」

 少女は疲れたように笑った。

「このお屋敷についてお知りになりたいことがあるのですって?いったい何をお聞きになりたいのかしら」

 コジローが少し離れて立つと、少女はコジローの首を傾げて、顔を覗き込んだ。コジローは、何がなし、胸が騒ぐのを感じた。少女はふっと笑い、コジローを手招いた。


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