微量毒素

魔歌:Bonus Track 〜黒屋敷〜 p.2


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1 マヤの死 p.1
2 長雨町の黒屋敷
3 中庭で、少女と
4 マヤ p.2
5 恋人を待って p.3
6 笑いさざめく少女たち
7 お籠に、入れて p.4
8 捜索
9 私を、いかせて p.5
10 エピローグ

★ マヤ

 縁側からあがり込み、コジローは靴を手に下げた。少女はそれを見て眉を顰めたが、すぐに微笑んだ。

「どなたかに見つかるとよろしくないから、ですの?」

「ええ、まあ」

 コジローは曖昧に答えた。この少女も得体が知れない。外部の人間だとわかっているのだから、怯えて騒ぐか、一緒に逃げたがるか、どちらかの反応をしなければおかしいとコジローは思っている。なぜ、落ち着いてコジローを招き入れたのか。罠かもしれないが、そのような気配もない。少女は後ろのコジローを不安に思っている気配もなく、暗い廊下を進んでいる。両側に部屋があるようだが、扉は無垢の木で作られた引き戸である。これも外と同じように黒く塗られているので、廊下は暗く感じられる。いくつかの部屋を過ぎて、少女はコジローのほうに身体を向けて止まった。

「こちらが私のお部屋です。どうぞ、お入りになってくださいな」

 少女に差し招かれて、コジローは部屋に足を踏み入れた。


 部屋の中は少し縦長で、8畳くらいはあるようだ。窓が2枚、海側に開いている。壁は白い漆喰塗りだが、太い柱は、それも黒く塗られている。立派な箪笥が2棹あり、黒と赤の塗りが施された鏡台が置いてある。やはり同じような塗りの文机があり、その前には和歌集のようなものが置いてある。ばらばらと置いてあるカードは、百人一首だろうか。金の塗りが剥げかけているが、その雰囲気は安物ではない。奥に布団が畳んであるが、赤と金を基調にした派手なものだ。部屋全体の雰囲気は重厚で、安物は一つも置いていない。もちろん、ここの主の少女も、並大抵のものではなさそうだ。

 少女は洗練された所作で、朱を基調とした分厚い座布団をコジローに勧めた。コジローは全身が濡れているので、座布団を避けて、畳に座ろうとした。

「おざぶに座って下さいませ」

「いや、濡れてるから...」

「だったら、なおのこと、おざぶにお座りください。おざぶが濡れたら替えればよろしいけれど、畳が濡れたら畳を替えなければなりませんの。それでもよろしいんですけど、ほこりが立つのが嫌ですので」

 コジローは慌てて立ち上がった。少女はくすりと笑った。

「濡れた服のままでは、お風邪を召しますわ。お着替えになられては?こちらには、殿方の服も用意してございます」

 確かに、濡れたままでは体力もどんどん奪われていくし、動きにくい。コジローが逡巡していると、少女は大きな箪笥を開けて見せた。中には、色々な服がかかっている。コジローが覗いてみると、どうも着られそうな服がない。絶望したようなコジローの顔を見て、少女がすい、と立ち上がった。

「私がお選びしてさし上げましょう。ちょっと、失礼いたします」

 少女はコジローの肩と腕、背中に触れて、箪笥の中を眺め、コジローを振り返った。

「目立たない方がよろしいのですよね」

 コジローが頷くと、少女は黒い色の中国服を取り出した。滑らかな手触りはどうも絹らしい。渡されたコジローは、情けない顔をした。少女はさらに、タオルと下着をコジローに渡した。コジローがきょろきょろしていると、少女は微笑んで言った。

「お着替えなされませ」

「でも、失礼じゃないか」

「私ならぜんぜん気にいたしませんから、どうぞ」

「こっちが気になるんだ!」

 どうにも格好がつかない。

「ああ、気がつきませんで」

 少女は詫びを言って、屏風を立てまわした。

「こちらで、どうぞ。汚れ物はこちらに」

 コジローは服を脱いで身体を拭き、新しい服を身に着けた。絹がさらさらと肌の上を滑り、どうにも落ち着きが悪い。何とか服を身につけて、コジローは屏風の陰から出てきた。少女はまた屏風を仕舞い、コジローに座布団を勧めた。コジローは座布団に腰を下ろした。何か、とんでもなく無駄な時間を過ごしているような気がしたが、ここの状況がわからないことには話にならない。コジローは、目の前で正座して微笑んでいる少女に聞いた。

「ここはどういうところなんだ」


「御殿ですわ」

 少女は答えた。

「御殿、ね。それで、ここが大奥というわけか」

「ええ。その通りですわ」

「でも、殿様は一人じゃない。そうだね」

「ええ。いろいろな方がいらっしゃいます。若い方はあまりいらっしゃいませんけど、おじ様からお年を召した方まで、いろいろと。でも、一番多いのはよその国のお客様ですわ」

「そして、ここの娘を見繕って、買い上げていくと。それで間違いはない?」

「そうですね。お気にいっていただけたら、お輿入れをすることになります」

「お輿入れ、ね…」

 コジローは目の前の少女をもう一度見た。少女は恥じている様子も、悲しがっている様子もない。どちらかと言えば、とても満ち足りているように見える。どうも、コジローが考えていた組織のイメージとは違っている。

「あなたには家族はいるのか?」

「ええ、もちろん居りますわ」

「その人たちは、あなたがここにいることを知っているのか?」

「いいえ、もちろん存じてはおらないと思いますわ。私は家出をして、ここに来たんですもの」


「家出」

 コジロ−は、少女がここで満足している理由が分かったような気がした。彼女がもし、逃げてきたのであれば、ここは天国だろう。いい生活をしているようだし、それなりに重く扱われているだろうし。たとえそれが、商品としての価値によるものだとしても。

「なんで家出をしたんだ」

 少女は目を大きく見開き、首を傾げてコジローの目を覗き込んだ。

「なぜ、そんなことをそちらにお話しなければなりませんの?」

 確かに、初対面の怪しげな人間に、立ち入った話をすることはない。しかしコジローは聞きたくてならなかったのだ。

「せっかく一緒に住んでいる家族がいながら、なぜ家を出なければならないのか、理解できないからだ。俺は両親を亡くして、妹も行方知れずだ。両親が亡くなったのはしょうがない。でも、妹は捜すことができる。俺はいなくなってからずっと捜しているんだ。だから、あんたみたいに家出をするような人間を見ると、首に縄をつけてでもそいつの家に連れて帰りたくなるんだ。心配している家族のために」

「あなたに何がおわかりになるって言うの?何も知らないくせに」

 少女は怒っている。それも凄まじく。顔は変わらず、微笑んでいるが、コジローにはその下で吹き荒れる嵐の音が聞こえた。それでもここはコジローも譲れなかった。

「何があったとしても、残されたものは心配するだろう」

 少女は目をコジローに合わせた。黒曜石のように深く黒い瞳は、コジローの視神経に食い込み、脳髄を騒がせた。この子の闇は深く、切ない。

「いいわ、私の家出の理由を教えてさし上げます。回りの方々が、馬鹿ばっかりだったから、これからの人生すべてに絶望して、ですわ」

 少女は、もと居た場所では、その感情の激しさゆえに、持て余されていたのだろう。今は、ずいぶん矯められてはいるのだろうが、それでも、少女の吹き荒れる心は隠し切れない。

「ここは、回りには馬鹿じゃないのがいるのか」

 コジローに向けられた少女の瞳のきつさが、その答えを明らかにしていた。

「馬鹿ばっかりですわよ、ここも、ね」

「なら、どうしてここに居るんだ」

「ここなら、馬鹿を馬鹿だと思っても、全然平気だからですわ」

「元のところでは、つらかったんだな…」

 少女はくいと横を向いた。コジローの言葉を完全に拒否するという意思表示だろう。コジローは、少女の傷の深さを思った。少女は食い縛った歯の下から、美しい声で言葉を紡ぎ出した。

「いずれ、私はここも去ります。出来るだけ、遠くの国に連れて行っていただければいいと思っています。言葉も、習慣も、まったく違うところへ」

「ここにも、あんたの居場所はないって言うのか....」

 少女はあでやかに微笑んだ。しかしコジローは、その金襴の背後に見える荒野と、そこで風に煽られて泣きそうになっている少女の姿が透けて見えるようで、少女を見ているのに耐えられず、目を逸らした。

「そんなもの、この世のどこにもありませんわ」

 少女はコジローから目を離して、窓の外に目をやった。窓の外は灰色の空。いつあがるとも知れぬ雨は、相変わらず空を煙らせている。

「それで我慢しているのか」

「我慢なんて、していませんわ。ここはいいところですのよ。あらゆるものが一流品ばかりで。そちらがどういう方かは存じ上げませんけれど、ここに来る殿方も一流の方々ばかりですから」

「そうだ、話をしてもらうばかりじゃなく、こっちの事情も話さないとな。俺は人探しをしている。ここに知り合いが居るんじゃないかと思って、ここに来た」

「先ほど言われた妹さんですのね...それは、難しいかもしれませんわね。ここに来られた方は、みんな外の世界から離れたくて来た方ばかりですから。たとえここでその方にお会いできたとしても、お帰りにはなりたがらないと思いますわ」

 コジローは、なぜここに居る女性たちにとって、ここがそんなに居心地がいいのかが理解できなかった。

「ここには、どんな女性たちが集められているんだ?」

 少女は首を傾げた。

「どんな、とおっしゃられても...」

「言い替えよう。どんな風にして集めてこられるんだ?誘拐とか、人身売買とか」

「私のお聞きした限りでは、私と同じように家出してきて、どこにも行き場のなくなった方がほとんどのようですわ。皆さん、ちゃんとお話をされて、納得した方しか連れてこられないとお聞きしています。私もそうでした。ですから、帰りたいとかいうお話はほとんどお聞きしません。何人かいらっしゃいましたけれど、いつの間にかお見かけしなくなって。お帰りになられたのか、それともどこか別のところに行かれたのか...」

 コジローはいろいろな可能性を思った。

「家出人を集めているのか...じゃあ、どんなに若くても中学生か」

「あら、そんなに若い方はいらっしゃいませんよ。いろいろ、危ないことがあるので、16歳より下の方はここには参りません」

「そうか...」

 コジローは、エミがここに来ている可能性がない事を知り、安心すると同時に落胆した。捜している妹は、ここにはいない。ここで、コジローは方針を切り替えざるを得ない。

「ここにいる子の中で、出て行きたがっている子はどれくらいいいる?」

 少女は、呆れたように笑った。

「そちらは、私の言うことを少しも聞いていらっしゃらないのね。ここにいる者は、ここでの生活に、みんな満足しておりますよ」

「ずっと閉じ込められて、そのうちにどこの誰とも知れないところに売り飛ばされるのにか?」

「そのような言い方をされると、とてもひどいことのようですわね。でも、そうじゃありませんわ。皆、胸をときめかせて、運命の殿方をお待ちしておりますのよ」

「あんたは少し違うんだな。あんただけは男を、じゃなくて、この世界からの脱出口を捜しているんだ...」

 少女は微笑んで答えない。しかし、柔らかな当たりの背後に、この世の何を以ってしても砕けない、頑丈な遮断壁が降りてしまったのを、コジローは感じた。コジローには、この子は救えない。妹を捜している身で、この少女の運命まで背負うことは、今のコジローにはとても出来なかった。コジローは立ち上がった。

「いろいろ教えてくれてありがとう。よかったら、名前を教えてくれるか」

「ここでのお名前?それとも、外で呼ばれていた名前?」

「外だ」

 コジローの性急な答え方がおかしかったのか、マヤはふわんと笑って答えた。

「マヤ」


「マヤさん、ありがとう。ここに16歳以上の女性しか居ないのなら、俺の人探しは終わりだ。マヤさんは、ここを出て行く気はないのか?」

「なぜここから出なくちゃなりませんの。いい服を着て、いいものを食べて、可愛がられていられるのに。不満など、まったくございませんわ。そしていずれは、お輿入れをして、そこでも大事にしてもらえるというのに、どうして出て行かなければなりませんの?」

「身体を売ってか?」

「身体を売る?今、私がやっていることが、世の中の奥様方のやっていることと何が違うとおっしゃるの?」

「夫婦なら、愛情があるだろう。それは大きな違いだと思うが」

「愛情って何ですの?夫婦の間の愛情と、私を可愛がってくださる方との間の愛情に、どんな違いがあるとお考えになっているの?夫婦の間にある愛情も、肉欲と打算しかないんじゃありませんこと?それに比べれば、ここにおいでになる方々は、ほんとうに私だけを求めてくださいます。そのほうが、よほど美しい愛情なのだとは思われませんか?」

 コジローは、少女の言うことに答えられなかった。愛情と言う言葉をよく使うが、コジローはそこまで突き詰めて考えたことはなかった。

「それに、愛情のないご夫婦だって、たくさんいらっしゃいますわよ。うちの親たちもそうでしたわ。それでもお二人は別れることもせず、ずっとお互いに寄生し合って生きていらっしゃるんですから」

 遮断壁を以ってしても、隠し切れない憤りと、その背後に隠された絶望。それをぶつけた相手に、理解されなかった哀しみ。少女は両親を愛していたのだろう。だからこそ、その裏切りを許せなかったのだ。

「あんたは、潔癖すぎるんだ。過ぎるって言いようはないよな。汚れを受け付けられないんだ。だから、身体を使って心を守るんだ」

 少女の表情は、端正さを保ったまま、微妙に歪んだ。

「私は潔癖なんかじゃありませんわ。すべてを受け入れて、ここにいるんですから」

「潔癖さを失ったものに、あんたみたいな怒りはないさ。すべてのものを灼き尽くしても飽き足りないような怒りはね」

 コジローは部屋を見回した。

「ほかの子の話を聞いてみる。出て行きたい子がいないかどうか」

「どちらにいらっしゃっても、変わりはないと思いますけど」

 少女はコジローから興味を失ったようだった。袖を払い、文机に向かう。何か書き物を始めた少女に、扉に手をかけたコジローは声をかけた。

「あんたはここを出たほうがいいと思う。また迎えに来るから」

 少女は答えず、書き物を続けている。コジローは扉を開け、滑り出て行った。少女は、筆を優雅に滑らせている。美しい和紙の上に描かれているものは、無数の幾何学図形。そのすべてに細かい棘がびっしりとついている。少女は黙々と、紙を棘で埋めていった。


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