微量毒素

魔歌:Bonus Track 〜黒屋敷〜 p.4


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1 マヤの死 p.1
2 長雨町の黒屋敷
3 中庭で、少女と
4 マヤ p.2
5 恋人を待って p.3
6 笑いさざめく少女たち
7 お籠に、入れて p.4
8 捜索
9 私を、いかせて p.5
10 エピローグ

★ お籠に、入れて

 翠という少女は、コジローを土蔵の前に連れて行った。

「ここに入るのか?」

「お逃げになりたいんでしょう?それでは、入っていただかなければなりませんわ」

 微笑みながら言う翠に、コジローは不貞腐れたように言った。

「わかった。入ろう」

 翠は頑丈な扉の右側を指し示した。

「?」

 コジローがそこを見ると、鍵がかかっている。コジローは翠を振り返った。翠は唇を綻ばせて頷いた。コジローは鼻を鳴らしながら、土蔵の鍵を取り、錠を開けた。翠は言った。

「だって、その錠は開けるのが固いんですもの」

 コジローは自分から土蔵の中に入った。

「おそれいります。それでは、いい子にしていてくださいね。すぐにお食事をお持ちしますから」

 少女は扉を閉めようとする。コジローは手を伸ばして手伝った。少女はにっこりと微笑み、頭を少し下げる。扉が閉まり、鍵をかける音が響いた。少女は屋敷に戻って行く。しばらくその音に耳を澄ましていたコジローは、5メートルほど上にある明かり採りの窓から入る光で中を確認し、近くにある長持ちの上に腰を下ろした。

「まあ、とにかく早く餌を持ってきてくれるといいな。なにせ、朝から何も食べていないんだから」


 翠という少女が持ってくる食事は、猫まんまかと思っていたが、足付きの台に載せられた、本格的な食事だった。しかし、量が少ないので、駄目で元々でお替わりを頼んだところ、快く運んできてくれた。今度はほかの少女がお櫃も持ってきており、たっぷりと詰め込むことが出来た。

 ペットに食事を与えるのは、飼い主にとっては楽しいことらしい。二人の少女は、何か囁きあいながら、コジローが食べるのをずっと見ていた。

(たぶん、そのうち芸を仕込まれることになるんだろうな)

 食べ終わって、名残惜しそうに出て行く少女たちを送り出し、コジローはまた半闇の世界に一人取り残された。どんな者でも、土蔵に閉じ込められてしまうと逃げようがない。外部からの侵入者を遮断するために作られたこの建物は、通常の建物のような妥協がなく、内部から破壊することも不可能に近い。コジローはじたばたして体力を費やすのを避け、長持ちの上に寝転がった。少し、マヤという少女の顔が暗闇にちらついたが、すぐにコジローは寝息を立て始めた。


 コジローは、土蔵に近づく足音に気がついた。忍ばせるような足音に、コジローは闇の中で身を起こし、首を傾げた。

「朝飯にはまだ早いだろうしな」

 やがて足音は土蔵の扉の前で止まり、閉め木を外し、鍵を開く音が響いた。コジローは油断せず、気配を消した。扉が開いたが、光は入ってこない。まだ日は差していないのだ。雨の匂いが土蔵に流れ込んでくる。扉を開けた者は、内部を透かして見ているようだが、おそらく何も見えないだろう。

「もし、お外から来たお方」

 小さな声が聞こえた。コジローはその声に聞き覚えがあった。コジローは立ち上がり、扉の方に歩み寄った。

「たぶん、俺のことかな」

「ああ、いらっしゃった。翠さんがお食事を運んで行くのをお見かけしたので、あなたかと思って」

「大当たりだ。で、何のようだ?」

「今は夜明け前です。今ならお逃げになれます。どうぞ、いらっしゃって下さい」

 コジローは不審を感じた。

「なぜ俺を逃がそうとする?」

「あら、だって」

 少女は恥ずかしがっているらしい。

「あの人を呼んできて下さるっておっしゃったでしょ。ここに閉じ込められていたら、呼んできていただけないじゃありませんか」

「俺は呼んできてやるなんて...」

 言いかけてコジローは気付いた。この少女は、ずっとこうして外に向かって信号を送り続けているのだ。おそらくは、少女のところに来るもの全てに託して。もとより、その信号が届くことなどないということは、少女もわかっているのだろう。ただ、どこにいるかもわからない、不実な恋人に向かって信号を送り続けるのをやめることは出来ない。これをやめたら、少女は確実に崩壊してしまうから。

 そして、コジローにも見えてしまった、切ないストーリーがある。少女の恋人は、本当にすぐ少女を迎えにくるつもりだったのだ。しかし、不慮の事故により、少年は来られなくなり、怪我の治った恋人は少女を探し回っている。その恋人に申し訳の出来ない自分に、少女は大きな負い目を負っている。だから、少女は信号を送り続けなければならないのだ。その、百万に一つもあり得ないストーリーも、可能性はゼロではない。コジローは言った。

「わかった。きっと伝えよう」

 少女は感謝の眼をコジローに向けた。コジローは外の闇を透かしてみる。やはり、細い雨が降り続いているようだ。

「どうぞ」

 少女は傘をコジローに差し出した。コジローは受け取り、差した。コジローは、少女を見て、言った。

「まだ、やらなけりゃならないことがある。それを済ませてから、きっとあんたの恋人に伝えてやろう。恋人の名前をまだ聞いていなかったな」

 少女は、傘を持っている手をぎゅっと握りしめた。思ってもいない言葉だったのだ。少女はしばらくコジローを見つめてから言った。

「サカバ シロウ」

「わかった。じゃあ」

 コジローは雨の中を歩き出した。少女はコジローが歩いて行くのを、じっと見守っていた。コジローは屋敷の軒下に入ると傘を閉じ、左右を見てふっと消えた。少女には消えたようにしか見えなかった。眼を見張った少女は、歌うように呟いた。

「あの人は忍者...?それとも悪魔?私の心を、大事な人に伝えてくれると言ったあの人は」

 少女の瞳に、涙が溢れた。

「それとも物の怪?あれがいいもののはずがない。私の願いをかなえてくれようなんて」

 涙は作り物のように、次から次へと溢れ出してくる。

「私...私は大事な人に会えるのかしら」

 少女は、会わなければいけないと思った。少女が悪くても、恋人が悪くても。それを確認できないから、少女はここから動けないのだ。確認できれば?もし本当のことが確認できたら...

 既に外から来た男は気配もない。本当にいたのだろうか、あの人は。しかし、少女は今までと違う、大事な核が自分の中に生まれたことを知った。今、このとき、少女は初めて本当に痛切に、シロウに会いたいと思った。悪い結果が出るのを恐れて、本当は会いたくないと思い続けていた恋人に。少女は今、再びシロウへの恋に落ちたのだ。恋に胸を焦がして立ち尽くす少女を包み込むように、冷たい細かい雨が空気を満たしていた。


 まだ明け方だったが、翠は目が覚めてしまった。新しく飼い始めたペットのことが気になってどうしても様子を見に行きたくなったのだ。犬の飼い方や猫の飼い方の本を読んでみると、買い始めのころは神経質になっているから、あまり構わないほうがいいと書いてあった。それで我慢していたのだが、かわいがりたくて飼い始めたのだ。どうにも我慢が出来なくなり、様子を見に行ってみることにした。

「ほら、お腹をすかしているかも知れませんから」

 翠は昨夜のコジローの食欲を思い出して、忍び笑いをした。食事二人前に、お櫃いっぱいのご飯を食べたのだ。

「よく食べる子ってかわいいわ。でも、あまり太らせると健康によくないらしいから、色々考えてあげませんとね。本当に、手がかかってしまいますわ...」

 翠は嬉しそうに呟きながら、土蔵に向かった。その途中で茜とすれ違った。こんな時間に?と思ったが、茜の様子が変わったように見える方が気になった。茜はいつもぼうっとしているのだが、今朝は何となく芯のようなものが感じられるのだ。気になりながらも会釈をし合い、翠はそのまま土蔵に向かった。


 土蔵の扉が開いていた。翠は、それを見た瞬間に、茜の仕業だとさとった。何の根拠もないのだが、確信があった。もちろん、中に大事なペットがいるはずがない。翠は悲しさでお腹が痛くなった。翠は本当に悲しかったのだ。素のままで泣いてしまいそうなほど。翠はそのまま右の屋敷を回って、角の扉を叩いた。ここには必ず衛士が詰めていることになっているのだ。不機嫌そうな男が顔を出した。

「ペットが逃げてしまいましたの。捜してくださいませんこと?」

「ペット?こんな時間に...何のペットだ」

「同い年くらいの、男の子ですわ。昨日つかまえたんですけど、篭から逃げてしまったんです」

「男?男が侵入しているのか?」

「土蔵に閉じ込めておいたんですけど、誰かが鍵を開けてしまって」

 男は中を振り返り、顔を戻して翠に言った。

「わかった。あんたは部屋に帰っていなさい。俺たちがつかまえてやろう」

「殺しちゃ駄目ですよ?」

「わからんな。手足の2・3本は折っちまうかもしれん」

 翠はにっこりと微笑んだ。

「あら、それなら構いませんわ。もともと、足の腱を切るつもりでしたから。こんなおいたをするようだと、足ごと切っていただいたほうがいいかもしれませんね」

 男は一瞬化け物でも見るような目で翠を見て、頷いた。翠はお辞儀をして、屋敷の方に戻っていった。男はその後姿を見て呟いた。

「時々、あいつらが人間だとは思えなくなっちまう...」

 男は中に首を突っ込み、叫んだ。

「おい、男が侵入している。できれば殺さないで捕まえろ。手足の2・3本は折っても構わん。場合によっては切り落としても構わんぞ」



★ 捜索

 黒屋敷の男たちは、全員が衛士であり、先生である。日夜区別なく、男たちは少女を教育し、商品に仕立て上げる。半年もここにいると、どんな男でもいい加減荒んでくるので、定期的に入れ替えなければならない。しかも、一度ここに来たことのあるものは、ここに来たがらない。

「金は悪くなく、女に事欠くわけでもないのだが、ここにいると、だんだん気鬱になってくる」

 そう言った男がいたが、この環境は、男にとって、何か根本的に欠けているものがあるのかもしれない。気鬱になった男たちの気分を無条件に引き立ててくれるのは。狩りである。憂さ晴らしに狩られる男はたまったものではないが、大抵は殴りまくられて放り出されるくらいである。警察に訴えても、警察が入っても不審な点は見つからない。かえって訴えた男が、不法侵入者としてつかまるだけのことである。

 しかも、今回の狩りは、殺さない程度に傷つけてもいいということである。場合によっては、足を切り落としても構わないとまで言われている。男たちは、自分の裡で膨れ上がりつつある昏いものをその侵入者にぶつけるべく、手に手に剣を持って捜し始めた。既に空は白んでおり、逃げるものの優位はない。気まぐれな女たちがどう出るかはわからないが、結局は引きずり出せるだろう。

 男たちは昏い喜びを持って、侵入者を捜している。


 今朝方から、屋敷の中がざわついているのを、浅黄はうとましく夢うつつの中で聞いていた。昨夜もたっぷりと蜜を味わっていたので、身体全体が重い。不快なわけではないのだが、もうしばらく布団の中に沈みこんでいたかった。ここでなら、浅黄は本当の浅黄自身でいることができるのだから。その時、音も立てずに、浅黄の部屋の重い扉が開き、また閉まる気配があった。屋敷のものでも、お客様でもないひそやかな気配。

 浅黄は呼吸を乱さずに、部屋の気配を探った。やはり、それは部屋の中にいる。浅黄は寝返りを打つふりをして、寝具を捲り上げた。寝具に足をからめて、赤い襦袢の裾を乱し、白い足を露出した。

「!」

 気配は明らかにとまどっている。

「なんだ」

 浅黄は呟いて身体を起こした。

「昨日の仔猫ちゃんね。もう逃げ出されましたの?まったく、翠ちゃんたら、きつくおしおきをしてあげないといけませんわね」

 しどけなく乱れた裾から、惜しげもなく足を出したまま、浅黄はコジローに対した。

「けさから賑やかだと思ったら、あなたが騒ぎを起こしていらっしゃったのね。もう、とても迷惑ですわ」

 誘うような流し目でコジローを睨むと、意に反してコジローは近づいてくる。ここで警備のものがくるまで、足止めをしておこうと思ったのだが。まあ、近づいてくればもっと確実に足止めできるかしらね。薄く微笑む浅黄に、コジローは囁いた。

「あんたはここから出たくないか」

 浅黄は思わず、目を見開いた。

「ここを出る?」

「全員に聞いて回っている。ここにいるのが苦痛なら、連れて行ってやる。そうでなければ、別にいい」

「全員にって、屋敷中の子たちに聞いて回っているんですの?」

「ああ」

「こんな時間に?」

「時間がないんで。しかし、ほとんどの連中が絡みついてくる。まいったぜ」

「こんな時間にお布団によられたら、私だって絡みつきますわよ。半分目が覚めている、とっても気持ちのいい時間なんですもの」

「そういうもんなのか」

 浅黄はおかしくなってきた。時間がないと言いながら、この男はなんで呑気にこんな話をしているのだろう。

「お時間がないんじゃありませんこと」

 からかうような浅黄の言葉に、コジローは言った。

「おっと、そうだった。あんたはどうだ。出て行きたくはないか」

 浅黄はねっとりとした笑みを浮かべた。

「いいえ。私は、ここの生活に満足しておりますわ。でも、なぜみんなに?」

「出たくても、言えない奴がいるといけないと思ってな」

「でも、そんなことをしてたら、あっという間に見つかってしまうんじゃありません?そちら様は侵入者なんでございましょう?」

「そうだ。せっかく侵入したんだから、なにかしておきたいじゃないか。目的のものは見つからなかったんだし」

「そういうものなんですか」

 浅黄は言いながら、衛士を呼ぶ気がいつの間にかなくなっている事に気付いた。勝手に侵入して、屋敷中かき回した挙句に、何をやっているのだろう、この男は。

「失礼ですけど、あなた様は、とってもお馬鹿でいらっしゃいますのね」

「みんなにそう言われた。どうも、そうなのかもしれない」

 本当に困っている男を見て、浅黄は知らずのうちに微笑んでいた。コジローは顔を上げた。

「おや。その笑顔、今までとぜんぜん違う」

 言われて浅黄は頬に触れた。自分では笑っているつもりはまったくなかったのに。

「それで、どうもこの屋敷を出たいと思っている者はいないようだと言うことがわかった。で、聞きたいんだが、あんたは他の子と違って、みんなをよく見ているようだ」

「ええ、一番長いので、自然にそうなってしまって」

「それで、マヤをどう思う?」

「マヤ?ああ、山吹のことですね。どう、とおっしゃるのは?」

「あの子は出て行きたいんじゃないかと思うんだ。心の底では」

「そんなことを聞かれましても...」

「あんたは他の子と違う。自分の事だけじゃなくて、みんなの事を見ている。あんた、ひょっとして長女だったんじゃないか?」

「ええ、私は...」

 浅黄は言いかけて口を押さえた。なんで、こんなことまで。ずっと忘れたくて、心の奥に埋めていたのに。浅黄はしばらく口を押さえて、心の動きを鎮めていた。忘れきったはずの過去と。そして、自分の心を切り裂く思い出は、とても新鮮な表情で、浅黄の心を覗き込んでいた。コジロ−は、浅黄が話し出すまで、辛抱強く横に控えていた。浅黄は静かに話し出した。

「山吹は、どこにいても満足できないんですわ。ここにいれば、色々考えずにいられるから、ここにいた方が幸せな気もいたしますが」

 コジローは立ち上がった。

「どこにいても同じなら、親の所にいた方がいいだろう。この世の中で、人間を本当に自分の命より重く見てくれるのは、親だけだ。ありがとう、浅黄さん」

 コジローは立ち上がり、扉に向かった。外の様子を窺い、するりと出て行く。音もなく閉められた扉に向かって、浅黄はぽつりと呟いた。

「そうとは限りませんわ。親の中には、子供を嫌っているものもいます」

 浅黄の声は、一人きりの部屋の中に虚しく響いた。浅黄の顔には、切ない懊悩の色が浮かんでいた。

「もう少し、議論をさせていただきたかったですわ...」

 浅黄は襦袢の乱れを直し、寝具を調えた。そしてふと思いつき、鏡台の前に行って、顔を映してみた。鏡には、少し困ったような、18歳の少女特有の、自然な笑顔が映っていた。


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