微量毒素

魔歌:Bonus Track 〜黒屋敷〜 p.3


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1 マヤの死 p.1
2 長雨町の黒屋敷
3 中庭で、少女と
4 マヤ p.2
5 恋人を待って p.3
6 笑いさざめく少女たち
7 お籠に、入れて p.4
8 捜索
9 私を、いかせて p.5
10 エピローグ

★ 恋人を待って

 コジローが入り込んだ、次の部屋もまた、豪華な錦で飾られた部屋だった。部屋に入ると、振り向いた少女がコジローをたしなめた。

「お入りになる時は、お声をかけて下さいまし」

「ああ、すいません」

 柔らかい輪郭の、目の大きい少女だ。豪奢な着物をまとっている。少女が椅子に腰掛けたまま、半身を捻ってこちらを見ているので、コジローは言葉を継いだ。

「あなたは、ここでいったい何をしてるんです」

「あら」

 少女は悪戯っぽく笑い、頬を上気させた。

「もちろん、恋人を待っているのですわ」

「恋人?あなたに色々なことを教え込む連中を、あなたは恋人って呼んでいるのか?」

「教えてくださる方々?ああ、先生方のことね。いいえ、先生は先生ですことよ。恋人は、恋人よ。そんなこともお分かりにならないの」

 コジローは首を振った。

「私とあの人は、大きな町の駅ではぐれてしまいましたの。お金は全部あの人が持っていましたから、きっと私を心配して、捜し回っておられたと思うんです。私も探し回りたかったけれど、二人とも動いたら、見つけられなくなるって言いますでしょう?私はあの人とはぐれた場所から、動くことが出来ませんでした。そこを動いたら、あの人が私を見つけられなくなってしまうでしょう?私はずっとそこで待っておりました。でも、電車が全部止まって、それから駅の電気が消え始めて、駅の係員の方が、駅を出るようにっておっしゃるんです。これでもう、あの方が私を見つけられなくなると思って、駅を出ました。私は涙を流しませんでした。だって、あの方が涙は嫌いだとおっしゃっていましたから」

「そいつとは、それから会えなかったのか?」

 コジローの問いに答えず、少女は歌うように続けた。

「私はどこにも行けなくて、仕方なくずっと駅の前に立っていました。だって、ほら、そこならあの人が見つけてくれるかもしれないじゃありませんか。でも、あの人は来なかった。私はそこにずっとずっと立って、あの人が見つけてくれるのを待っていた。そうしたら、ここの人が現われて、ここで待てばいいとおっしゃって下さったんです。あの方を見つけたら、ここに連れてくるから、心配せずにここにいればいいと」

「それはどれぐらい前なんだ」

「さあ...もう覚えていませんけど、ここに来て何回もお正月を迎えたような気がします。ご存知ですか?ここのお正月は。とても楽しいんですのよ。お客様が大勢いらっしゃって、常にもまして綺麗な着物を着せていただいて。とっても、神聖で、荘厳なお正月ですのよ」

「そして、その後男たちに抱かれるのか」

「よく覚えていませんけど、とても楽しくて、気持ちよくて、朝起きると、身に何も付けていませんから、後始末をして、また新しい素敵な着物を身に着けるんです。お正月の間は、日に何回もお召し替えしますのよ。そちら様にも見ていただきたいわ」

 コジローは苦渋に歪んだ顔を逸らし、少女から隠した。この少女は、既に現実から離れていってしまっている。

「...あんた、大事な男の名前や特徴は、この屋敷の連中に教えたのか?」

「どうしてそんな必要がありますの?だって、あの方は私の恋人なんですのよ。誰が見ても、すぐにわかりますもの」

 少女もわかってはいるのだろう。自分が騙されて、金だけ持ち逃げされたと言うことを。それを認めたくないために、少女は自分だけの世界を作り上げている。コジローはこの世界を、少女を傷つけずに壊せるのかどうかを試してみることにした。

「あんたの言う先生方な、あんたはあいつらと性行為をしてるんだろ。恋人が来た時に、どう言い訳するんだ?」

「あら、あれは夢ですわ。でなければ、あんなに気持ちがいいわけがないじゃありませんか。先生方は、わたくしの心を解放してくださるために、いろいろと治療をして下さっているんですわ。おかげさまで、前に比べて、随分と軽くなりましたのよ、私の心」

 少女は、どこまでも自分自身の世界から出ようという気配を見せなかった。コジローは自分の心の奥深くに、堅い殻を作り、必死で自分を守り続けている少女を、救い出せる力が自分にないことを理解していた。無理やり引き出しても、少女はその殻の外では生き続けることが出来ず、さらに深い狂気の中へ沈み込んでいってしまうだろう。コジローは自分の無力さを、ここでも思い知らされていた。

「それで、あなた様はどちらからいらっしゃいましたの?」

 あどけない少女の声がコジローにかかる。

「ああ、俺は外から来た。人を捜しているんだが、どうやらここにはいないらしい」

「あら、あなた様も大事な人を捜していらっしゃるのね。私とおんなじですわね。じゃあ、私も捜してさし上げますわ。どんな方ですの?」

 コジローは一瞬迷ったが、ひょっとしたら、ということがないとも限らない。

「名前は、エミ。歳は、今は12ぐらいか。俺の妹だ」

「妹さんを捜していらっしゃるの...12歳じゃあ、ここにはおられませんわね。お外の方が来たらお聞きしてさし上げてもよろしいですけど」

「いや、あんた以外の人間には話さないでくれ」

 コジローは、この少女を抱きに来るような男に話してもらいたくはなかった。コジローは、この館の少女たちを、蔑視しているところが自分にもあると気付いた。17歳の少年では、この程度の潔癖さはしょうがないのだが、コジローは自分自身を深く軽蔑し、心の奥に新しい傷を作った。コジローは自分自身を恥じ、部屋を出ることにした。その背中を、少女の声が追ってきた。

「もし、あの方を見かけたら、私がここにいることをお伝えくださいましね。ずっと、ずっとあなただけをお待ちしていますと」

 少女はそう言って、乾いた笑いをあげた。その笑いは、うちに狂気を孕み、既に壊れてしまった少女の心を響かせて、いつまでも、いつまでも続いた。



★ 笑いさざめく少女たち

 コジローが次に入ったのは、かなり広い部屋だった。何人もの少女が、思い思いに座り込んで、数人で百人一首に興じ、あるいは読書に耽っていた。

 細い目をした少女が、コジローを目に留めて話し掛けてきた。

「あら、新しい先生でいらっしゃいますか?ずいぶん、お若いんですのね」

 その声を聞き、部屋にいた少女たちが、コジローを無遠慮にじろじろと眺めた。コジローは、裸に剥かれたような、いたたまれない気分になった。少女たちの目は、コジローを見定め、鑑定していた。

「変わったお洋服ね」

 細い目の少女が興味を失ったらしく、手元の本に目を落としながら呟いた。

「ほんと。ちょっと、お趣味がよろしくないようですわ」

 半数以上の少女が興味を失ったようだった。それぞれの行為に戻って行く。それでも、4名ほどの少女が、さらに近づいてきた。

「お年は幾つくらい?私たちと同じくらいかしら」

「苛められたりしてお喜びになる性質でいらっしゃったりして」

「あら、そうは見えませんわ。苛めるのがお好きじゃありませんこと?」

「大勢とご一緒するのに興味はございます?」

 コジローは、訓練された猟犬が迫ってくるような危機感を覚えた。少女たちは、コジローのそんな怯えを見逃さない。

「あら、可愛い。怯えていらっしゃるわ、この方」

 少女たちは笑いさざめいた。コジローは頭がくらっとなるのを覚えた。ここは異常だ。ここの少女たちは、高度に訓練され、熟達している。その技が何であれ、危険なほどのレベルに達している。

「あんたたちは、何でここにいるんだ」

 目の細い少女が本から顔を上げた。

「なんて無粋なんでしょう。護衛のかたをお呼びして、連れて行っていただきましょうか」

 コジローは緊張した。左右を見て、逃げ道を探る。

「あら、お姉さま、お待ちになって。私、この方に興味がありますの。もう少し、お話しさせてくださいな」

「かまいませんけど。悪い癖がうつっても知りませんよ」

 少女は再び本に目を落とす。コジローは緊張を解いた。

「猫ちゃんみたいに臆病でいらっしゃる」

「駄目よ、少しずつ馴らしていかないと、すぐに逃げてしまうわよ」

 少女たちは、コジローを完全に格下のレベルに見ていた。この場では、コジローの能力は何の役にも立たない。それでも、コジローは引き下がるわけにはいかなかった。

「どうして、あんたたちはここにいるんだ」

「あら、また同じことをお聞きになるのね」

「どうしても聞きたいのね。いけない猫ちゃん」

「そんなこと、決まっているじゃありませんか。ここに連れてきていただいたからよ」

 すりよってくる少女たちの魔魅に、気死しそうになりながら、それでもコジローは問うた。

「ここから出て行きたくはないのか?」

「出て行きたいかですって?」

 少女たちはさも面白いことを聞いたというように笑いさざめいた。笑いながら、細い目の少女がコジローを挑発するように、凄まじい流し目をくれながら言った。

「いいえ。だって、あれはとても気持ちいいんですのよ」

 笑いさざめく少女たち。男に向かって、これだけ挑発的な言葉を投げつけながら、一人として上気している者はいない。コジローはとても太刀打ちできるレベルではないことを覚った。すでに、コジローが明らかに侵入者だと分かっているのに、誰一人、警備を呼ぶほどの関心も持たない。コジローを危険のあるものとして認識していないからだ。

(これは、洗脳とかいう話じゃない。ここの連中は、この少女たちを強いてこの環境に置いているのではない。少女たちの望みが、ここに居ることなんだ。少女たちが望む、最高の環境が、ここにあるということだ)

 すでにコジローは、用心深く触れてくる少女たちの指を、拒絶することもできない。必死の努力で押しやりはするが、少女たちの指は柔らかく、押しやろうとする手で触れるだけで、官能を伝えてくる。コジローは、女という生き物の恐ろしさを知った。

 コジローはここに警備を置く必要がない理由がようやくわかった。ここは、淫魔の養成所なのだ。ここには重要人物も、金もない。ここを襲撃されて困るような外部の組織はない。従って、危険を冒してここに侵入する誘因は何一つないのだ。噂を聞いてここにやってくるのは、少しネジの外れた好き者か、勘違いした人間だけ。それらの人間が来たとしても、ここの少女たちに出会えば、十を数える前に取り込まれ、骨抜きにされてしまう。小半刻もあやされれば、どのようにも料理できる状態になってしまうだろう。

 その間も少女たちは、コジローの隙を見て手を伸ばしてくる。強く払えば「痛い」と媚び、押しのければその手に指を絡ませてくる。立ち上がれば一斉に抱きつかれ、絡め捕られるだろう。そうなったらコジローにも、抜け出られる自信はなかった。コジローはこのような攻撃には、まったく無防備だった。コジローは、害意のない攻撃が、いかに恐るべきものかを覚った。

 この攻撃に応ずる術が、コジローにはない。こちらから攻撃できない以上、取れる策はひとつしかない。コジローは身体を捻り、絡み付いてくる白い手を巧みに外しながら、立ち上がり、出口に向かった。かわされた少女たちは、信じられないという顔を見せて、コジローの背中を見た。しかし、コジローはこのまま出て行けるとも思えなかった。コジローが向かう方に、本を眺めながら座っていた細い目の少女が、本を傍らに置いて、音もなく立ち上がった。

 一人だけ鮮やかな青い色の着物をまとった少女は、コジローに向けて手を差し出した。コジローは、この手を取らずに、出て行かなくてはならない。少女の目が、妖しく燃え上がり、そしてそれを隠そうとするかのように、目を伏せた。どの仕草にも、とてつもない媚態が隠されている。この少女は、先の4人の少女とは比べものにならないほどの力を秘めている。おそらく、息の一吹きで、大抵の男は屈するだろう。少女は伏せた目を上げ、青光りするような瞳を少しだけ見せる。コジローは金縛りにされたように、動くことができない。コジローは自分の敗北を予感した。

「浅黄お姉さま、少しお待ちになって」

 かけられた言葉に、細い目の少女の注意が逸れる。コジローは金縛りが解けたように全身の力が抜け、壁に凭れて激しく息をついた。

「なあに、翠(みどり)さん」

 入り口から覗いている少女に、細い目の少女、浅黄は返事を返した。

「お姉さま、私、このごろペットが欲しいと思っておりましたの」

 そう言って、翠は濡れるような笑顔を顔にのぼらせた。浅黄は翠を見て、顔を少し傾げた。

「このような方でよろしいの?趣味もよろしくないし、あちらもそれほどお強いほうでもなさそうでいらしてよ」

 翠は笑みを消して、驚いたような表情をのぼらせた。

「あら、それなら尚のこと嬉しいですわ。私が壱から、全部教えてさし上げますから」

「相変わらず、翠さんは物好きでいらっしゃるのね。」

 浅黄はかけていた椅子に腰を下ろし、読みさしていた本を手にとった。

「よろしいのね?浅黄お姉さま」

 浅黄は本から顔も上げずに言った。

「ええ、どうぞ。どうせ、暇つぶしにもならないんだから。そうそう、翠さん、その子猫ちゃんは、やんちゃさんで、隙を見て逃げ出したがっていらっしゃるから、そこだけはお気をつけてね」

「わかっていますわ、お姉さま。だからペットにしたいと思ったんですもの。そのうち、足の腱を切ってしまいますけど、それまでは十分に注意しますわ」

 浅黄は同意のしるしに頷いてみせた。もう、興味がないらしい。翠は滑るようにコジローに近づき、コジローの手を取った。

「こっちにいらっしゃいましな」

 コジローは抵抗する気力もないように、翠に手を引かれるまま、部屋を出て行った。コジローは一瞬、部屋の中の様子を見たが、中にいる少女たちは、もうコジローに対する興味を失っているようだった。


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