黒の魔歌3 〜恋は狂気〜 p.1
魔歌 | start | next |
1 | 次の町へ | p.1 |
2 | ユカルの憂鬱 | |
3 | 驟雨、再始動 | |
4 | キスゲ、フィールドワークへ | |
5 | キスゲ、ムサシと接触する | p.2 |
6 | バッカスの悪戯 | p.3 |
7 | キスゲ、前へ | p.4 |
8 | 墜落 | p.5 |
9 | ヴァルハラ | p.6 |
10 | コウガの言い分 |
黒の魔歌3 〜恋は狂気〜 |
李・青山華 |
★ 次の町へ |
山の頂上で、ムサシは日の出を見ている。イガは寝袋の中からそれを見ている。 「よし。この山を下りて、町に行くぞ」 「その前に、飯を食おう、めし」 山を覆っていた靄は、陽の光とともに急速に消えてゆく。光を受けて、山は無彩色から見る見る活き活きと色づいてゆく。大げさなほどくっきりと見える景色の中、イガは寝袋から抜け出し、ムサシといっしょに食事の準備を始めた。 |
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★ ユカルの憂鬱 |
キスゲのヒステリーの後、ユカルは考えることがある。 「キスゲはまだ子供なんだ。私はあの娘の面倒を見なくちゃ…」 しかし、これはとても不確かで、余分な感情だ。ユカルは、自分以外のモノは利用して、捨てるか、食べてしまうかすればいいと考えてきた。すべて自分の考えるように処理して、それで問題なかった。今までは。 コジローといい、キスゲといい、このところユカルの頭の中で不協和音を奏でるものがある。それはとてもいらだたしいし、できれば排除してしまいたいと思うこともある。しかし、排除しようとすると、また別の不快感があって、実行するのがためらわれる。身体が言うことを聞かないのだ。排除しなければ、それはそれでよかったと思えるのだが、思うように回りを制御できず、感じるいらつきは消えない。今はこのバランスを保っていられるが、いずれ秤はどちらかに傾く。それを感じて、ユカルはいらつくのだ。 理屈が服を着て歩いていると思っていたプラタナスは、何を血迷ったか、キスゲのリハビリについて、南のリゾートへ行くという。もちろん、自腹だろう。理屈で割り切れないものもあるということだろうか。ことキスゲのことになると、プラタナスも理性を失ってしまうようだ。 ユカル自身も、一抹の不安を感じている。キスゲは脆すぎる。プラタナスのことだから間違いはないと思うが、扱いを間違えると、薄いガラスで作られた像のように、元の形がわからないほど、粉々に割れてしまうだろう。 ユカルはまた頭の後ろ、上のほうに疼きを感じる。ほら、私はまた余分なことを考えている。あれほどウサミさんに言われたのに。この世界にいたければ、余分なことは考えちゃいけないって言われてるのに。割れるものは割れればいい。花は散らせばいい。三千世界に火を放ち、この身ひとつで舞い狂う。それがヒトの生き方。でも... ふと気づくと、回りにはヘリコプターの轟音が満ちている。操縦席から、男が身を乗り出して、目的地が近いことを怒鳴るようにして告げている。ユカルは頷き、下を見る。どんなに絵の具を混ぜ合わせても、再現することのできない、明るい青緑。それが一面に広がっている。その中に、白い砂に囲まれた島が見えている。あそこに、キスゲとプラタナスがいる。そう考えたとき、ユカルの胸に痛みが走った。ユカルは全身の防御を固め、損傷個所を瞬時に確認する。外傷はない。内臓の異常もおそらくない。大丈夫。私は問題ない。ヘリコプターは急激に角度を変え、ぐんぐんと白い砂浜に近づいていく。その先の木陰にヘリポートがある。その先に、白い建物があり、さらにその先にコテージが広がる。腹の中が疼くような、重いものを抱えたまま、ユカルは近づいていく。 |
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外が無節操に明るいので、部屋の中が薄暗く感じられる。その薄暗い部屋の中で、机に向かう少女は、記憶にあるものより、さらに儚さを感じさせる。邪魔になるのか、高く結い上げた髪の下、うなじが折れそうに細い(そう、私はあのようなうなじを折る感覚を知っている)。振り向いた顔は記憶通りだが、何か違う。男と一ヶ月も一緒にいるのに、以前より性を感じさせなくなっている。半分、この世のものではないよう。かつて、遠い昔に親しくしていた神々と通じる空気を感じとり、暖かいこの島で、ユカルは身震いをする。突然、部屋がパッと明るくなった。少女が笑ったのである。ユカルは信じられない思いで見つめた。こんな笑い方をできる子だったのか。無防備に、ユカルを信頼している笑顔。誰かや、誰かと同じ笑顔。ユカルはヘリコプターで痛んだところが、再び鏃を射込まれるように痛むのを感じた。少女はユカルの痛みも知らず、軽やかに立ち上がり、近寄ってきた。 |
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結局、ユカルはキスゲとプラタナスとともに、3日間を過ごした。南の島では、時間はほとんど経たないように感じられるが、過ぎてみると、まるで須由の間の出来事だったようにも思われる。ユカルは、キスゲがなぜだかプラタナスより自分の方に信を置いていることに気づいた。これは要注意案件である。ユカルは単純に嬉しいという気持ちにはなれなかった。根ざすところがかなり深いように感じたからである。 キスゲはよく喋り、笑い、楽しんでいた。それも気になる。まるでこの世の最後の祭りのように。いったい、なぜ?プラタナスは気づいているように見えなかった。いや、プラタナスが気づくはずもないどこかで、キスゲは何かを考えている。いや、考えていたようだ。今は、もうすべてを決定し終わっているから。でも、プラタナスほどの人間が、気づかないはずはない。気づいていないとすれば、それは。 「知りたくないから」 「なに?何です?」 砂浜に腹ばいになったユカルの口から、突然出た言葉を聞き、キスゲが興味津津で近寄ってきた 「何を知りたくないんですか?」 ユカルは、翳りの全くないキスゲの顔を見やった。とつぜん、気まぐれと思える神々の動きが、とてつもなく腹立たしくなって、ごろりと転がってキスゲに近寄った。 「それはね」 キスゲは聞き逃すまいとさらに顔を寄せる。 「きのうのディナーでどれだけ重くなっちまったかだぁ!」 叫びながら、ユカルはキスゲのわき腹をくすぐりまくる。嬉しそうにもだえながら、キスゲもくすぐり返してくるが、ことごとくブロックされて、逆に空いたわきの下までくすぐられて、ごろごろ転がって逃げてゆく。ユカルもそれを追って、ごろごろと転がってゆく。転がってゆくユカルの眼に、パラソルの下の寝椅子に横たわり、飲み物としてありえないような色のドリンクを飲みながら、眩しそうに眺めているプラタナスが映った。 『ぼーっと眺めてないで、しっかりせんかい、ぼけ。神々が当てになりゃしないんだから、人間がふんばらなきゃしょうがないだろ。』 不満はいろいろあったが、とりあえず今の状況は楽しかったので、それから23分間、ユカルはキスゲを追いかけまわしていた。 |
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3日間、思い切り遊び呆けたユカルの感想は、 「ここには、何もない」 であった。だからいい、というのか、だからいやだ、というのかは関係ない。何もない世界に安住できる覚悟があれば、住んでいられるし、何かないと嫌だというのであれば、別の世界に住めばいい。ユカルは、まだまだこういう世界の住人になることはできない。ずっと前に、これに似たような世界にいたような気がするのだ。それはユカルにとって微かに忌まわしさを伴う気分なので、楽しみながらもどこか不安を感じていた。だから、これから帰る、ということになって、ユカルはどこかほっとしていた。 ユカルとは対照的に、キスゲはひどく落ち込んでいるようだった。ことさらに明るく振舞っているのが、落ち込みの深さを感じさせた。プラタナスもそれは感じているらしく、少しおろおろしている。ユカルのほうを窺ったりしているが、ユカルはそっぽを向いていた。 『鈍い男は、ちゃんとその報いを受けるべきだ。』 キスゲにしても、いつまでも非日常の世界で遊んでいるわけにはいかないだろう。変に取り繕わず、ありのままに現実を受け入れることが、逆にキスゲにとってはいいはず。とりあえず、すべては帰ってから、とユカルは思っていた。そして、一行は南の島を後にした。現実に向けて。 |
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★ 驟雨、再始動 |
キスゲは、戻ってくる早々、チーム驟雨を召集した。案件は「04200044785」対象は「ムサシ」。 このブリーフィングで、キスゲはムサシの行動の特殊性について、自分が懸念しているという事実を告げた。 「ムサシの件については、もう少し調査が必要と考えています。でも、私自身、まだどう調べていっていいか、わかっていない状態ですので、方針が立ち次第、再度ブリーフィングを持ちたいと思います」 コウガは腕を組み、プラタナスの方を見た。 「プラタナス。あんたはこの件について、考えていることはあるのか」 「残念ながら、ない。キスゲのいう特異性も、私には見えていないのだ」 「説明できるだけの材料がないということか?」 「いや、材料は揃っている、と思う。その分析に関するセンスが、私とキスゲで違っている、ということだ。今のところ、客観性を持っただけの分析結果は出ていない」 キスゲはプラタナスの発言を引き取った。 「現時点では、私の杞憂であるという可能性もかなりあります。でも、私はどうしてもムサシの行動に違和感を感じてしまっているのです。何か、あると思います。それが、我々の対応が必要なものかどうか、と言われると、まだ結論が出せないと言うことです」 「怪しい感じはするんだけど、行動するほどの決め手がないってことね。こっちで調べたりできることは?」 ユカルが足を高く組み、肘掛けに肘を突いて、だらしなく寄りかかったまま訊いた。 「こちらが迂闊に動くと、行動パターンを変えてしまうかもしれません。今のところは、何もしないほうがよさそうです」 「ってことは、こいつらのことは忘れといてもいいってことね」 ユカルは一件書類をテーブルの上に投げやった。 「はい。とりあえず、私だけのタスクにしておきます。きょうは、私のタスクを皆さんに伝えておきたかっただけですので、これくらいで終わります」 コウガはユカルを見て言った。 「それにしても、ちょっとだらしなさ過ぎないか、ユカル」 ユカルは色っぽく目を伏せ、左手をあげて気怠るげに言った。 「いやー、この世の終わりあたりにある、天国に行って来てたんで、どうも身体がだるくってねえ」 「キスゲの行っていた島か。俺も行きたかったな」 なぜかプラタナスが赤くなったが、誰も見ていなかった。 「やあねえ、お仕事よん。ぜえんぜん、楽しいことなんてなかったわよん。ねえ、キスゲ」 ユカルがキスゲに流し目を送ると、キスゲは嬉しそうに答えた。 「ええ。退屈なときもあったけど、ユカルさんがきてからはものすごく楽しかったです。もう、ずっと行っていたいくらい」 「あそこにゃ、めしの種は落ちてなさそうだったからね。それは無理だろうけどさ」 「ユカルさんの水着姿、かっこよかったです」 「ばかね。どんなに頑張っても、若さにゃかなわないのよ。あんたみたいな初々しさは、何光年も彼方に置き忘れてきちゃってるからね」 まんざらでもなさそうに、ユカルは答えた。 「何を言ってるんですか。ユカルさんの白い肌ったら、ぜんぜん日に焼けないんだもん。私なんて真っ黒ですよ」 「年をとるとね、それなりにいろいろと気をつかわにゃならんのよ。いろいろとね」 キスゲはコウガのほうを振り返って言った。 「コウガさんもいらっしゃればよかったのに。すごく楽しかったんですよ」 ユカルは苦笑して言った。 「だから、遊びじゃないんだって」 コウガはキスゲと目を合わさずに言った。 「残念だったな。俺も行ってみたかったが」 キスゲは椅子から立ち上がった。 「そうだ。写真!写真があるんです。今持ってきますから。待っててくださいね、コウガさん。いいですよね、プラタナスさん」 キスゲはプラタナスに確認した。 「ああ。いいだろう。コウガさえよければ、だが」 キスゲはコウガの顔を見た。コウガは首を縦に振ったので、キスゲはいそいそと出て行った。キスゲが遠ざかるのを確認して、コウガはプラタナスに言った。 「何があったにせよ、キスゲは十分調子を戻したようでよかった」 「ああ。モチベーションもあがっている。まずは、大丈夫だろう」 コウガは眉を顰めて言った。 「だが、チームに親しみ過ぎているように見える。チームのメンバーを理解するのは必要だが、親しむのは望ましくない。オペレーション上、悪い影響がある」 「確かに、少しはしゃぎすぎだ。もう少し、節度を持つように言っておこう」 「いや、そういうことじゃない。戦略立案チームにとって、我々はあくまで駒であるべきだ。そうでないと、余分なことを考えてしまうだろう。できれば、もっと距離をおかないといけない。そうしないと、チームがおかしくなるぞ」 「わかった。注意しておこう」 二人の話を聞きながら、ユカルもコウガと似たようなことを考えていた。あの子が作戦を立てるとき、私が危険を冒さないようなプランを立てれば、そのしわ寄せが、必ずどこかに行くことになる。それは、全体を見てプランニングする立場の人間にとって、いいことじゃない。たとえ、私が死んでも、その後を誰に引き継がせるかまで考えてプランを立てないと、我々のチームはうまく動かないだろう。あの子は今、とても危険な状態だ。以前、私と反目していたころより、はるかに危ない。 こっちは何ができるんだろう。いや、いけない。これは私が考えちゃいけない。私のアクションまで濁らされてしまう。コウガの言うように、私はあくまで駒であるべきだ。でないと、力を削がれてしまう。プラタナスはちゃんとやってくれるだろうか。キスゲを導いていけるだろうか。ああ、これも考えちゃいけない。これはプラタナスのタスクだ。これを駒が考えると、チームはガタガタになる。 厄介なことになっちゃったな。前みたいに、一人のときは、こんなことは考えなかった。やっぱり、あたしやコウガみたいな人間をチームに組むと、まずいんじゃないのかな。組織から見れば使い捨ての駒みたいに扱われるほうが、ずっと仕事がやりやすい。私も、考えよう。自分のことを。 キスゲが両手にアルバムを抱えて入ってきた。 「コウガさん、お待たせ。すごいんですよ、ユカルさんの水着」 キスゲはどさりとアルバムを机の上に置いた。 |
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★ キスゲ、フィールドワークへ |
キスゲはムサシとイガのリサーチを続けていた。報告書を読んでいる。 「対象は放浪しているみたいに見えるな。何のためになのかな...意味ないみたいに見えるんだけど、何か目的があるみたいな感じ」 キスゲは考え続けている。この男の件は、間違いなくこの組織にとって、大きな危険を孕んでいる。しかし、それが何なのかはわからない。反社会的な行動をとっているのに、他の要注意人物とは何かが違う。いや、違う感じがするのだ。キスゲは、自分に残っている時間を規定していた。それが満ちるまでに、この件に始末をつけておかなければならない。キスゲは、次のアプローチについて、プラタナスと相談することにした。 |
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「おまえはあくまで戦略立案者だ。おまえが現場に行くのは望ましくない」 「それはわかっています。でも、今の私の能力では、ここではこれ以上の判断が出来ないの。」 「まぜ、そんなにムサシにこだわるんだ?他の監視対象と、何が違うんだ?」 「私もはっきりと言えるものがないの。でも、こいつらの行動はすごく、奇妙なの。こいつらの行動には、何か明確な目的があるような感じがする。それが気になるの。これ以上は、実際に接触してみないとわからない。ムサシと直接接触してみるわ」 「それは危険だ。それに、対象と接触するのは望ましくない。係り合いができると、判断に主観が入ってきてしまうだろう」 「主観を入れたいのよ。たぶん、主観を入れないと判断できないほど、デリケートな差異があるの。私がプーさんにわかるように説明できないのは、その差異が主観レベルのものだからだと思う。私は行くわ。放置しておくと絶対にまずい問題だから」 「他のものに調査してもらうことは出来ないのか?」 「確認してもらうべき内容がはっきりしてるもんじゃないから。わかってない人に、こういうレベルの問題を噛み砕いてぐちゃぐちゃになるまで説明するのなんてまっぴら。たぶん、どんなに説明しても、理解してもらうことはできないだろうし。私自身がうまく説明できないくらいわかってないんだから」 「俺ならある程度は理解できると思うが」 「客観レベルの問題なら、プーさんは私の考えることなら全部わかるでしょうね。でも、言った通り、主観レベルの問題なのよ。あなたに16歳の乙女の主観が理解できるって言うの?出来たら気持ち悪いわ。私が行くしかないんです」 「……くれぐれも、無理するなよ」 「大丈夫。自分の分は弁えてるつもり」 キスゲは、プラタナスの執務室から出て行った。 「何を考えてるんだ、キスゲは……」 プラタナスは、自分が適切な判断をしているという自信がなくなっていた。 「しばらく様子を見よう。キスゲは自分で道を切り開くだけのスキルを持っている」 しかし、プラタナスの不安は去らなかった。 「ただの根拠のない不安だろう……」 プラタナスは自分に言い聞かせた。プラタナスの理性は、この問題へのこれ以上の介入が無駄であることを告げている。しかしだからと言って、不安が消えるわけではなかった。また背中に嫌な汗をかいている。プラタナスは、それに気づかないふりをしていた。 |
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