微量毒素

黒の魔歌3 〜恋は狂気〜 p.2


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1 次の町へ p.1
2 ユカルの憂鬱
3 驟雨、再始動
4 キスゲ、フィールドワークへ
5 キスゲ、ムサシと接触する p.2
6 バッカスの悪戯 p.3
7 キスゲ、前へ p.4
8 墜落 p.5
9 ヴァルハラ p.6
10 コウガの言い分

★ キスゲ、ムサシと接触する

 この町の駅前で、ムサシとイガは看板を前に置いて、地面に座り込んでいる。

「何でもやります/料金応談」

 イガはこのやり方を嫌がっている。

「これ、恥ずかしすぎるって。それに、これって法律に引っ掛かるんじゃないのか?おまえ、法律が専門だろうが」

「注意されたらやめればいいだろう。それほど大した問題じゃないさ」

「おまえ、それほどって……見ろよ、あの娘を。めっちゃ印象的じゃん?」

 黄色いワンピースを着た少女が歩いている。

「確かに、印象的だね。でも、ちょっと鋭すぎる感じだな。全身から閃きが溢れてるみたいだぜ」

「んー、そうだな。ちょっと神経質な感じだね」

 突然、がらの悪い男が少女に話しかけた。少女は微笑みながら行こうとしたが、男は少女の腕を掴んだ。少女は男を睨みつけて、掴んでいる手を振りほどいた。男は捨てゼリフのようなものを吐き、せせら笑いながら歩み去った。少女は怯えている。

「今のは何だ?」

「ちょっと面白いハプニングだったな、今のは……」

 少女は回りを不安そうに見回していたが、ふと、ムサシたちの出している看板に目を留めた。しばらく逡巡していたが、決心したらしく、ムサシたちのほうに歩いてきた。遠慮がちに声をかけてくる。

「あの、何でもやってもらえるんですか?」

「ええ。犯罪がらみ以外なら、何でもお受けします」

 ムサシが愛想良く答えた。

「助けてください」

「どんな御用でしょうか」

「私、ちょっと遊びでデートクラブに行ったことがあるんです」

「その若さでいけませんな」

「ええ、私、バカでした。今、私と話していた男をご覧になりましたか?」

「はい。なかなか面白いハプニングでしたが」

 少女はちかりと目を光らせた。

「あの男はデートクラブの人間です。私に、デ−トクラブで本格的に働くように言ってきてるんです。やくざとつながりがあるようなことを言っていました」

「弱みでも?」

「そうしなければ、学校や家族にデートクラブのことを話すって言うんです」

「あなたから正直に話せばいい。それがいちばん、傷がつかないやりかたですよ」

「でも、私……できません」

 ムサシは頷いた。

「なるほど。それで私たちにね……でも、こちらは金がかかりますよ。事が事だけに、けっこう大変ですからね」

「お金なら大丈夫だと思います」

「で、依頼としてはあなたのやったことが世間様に知れないようにすればいいんですね」

「よろしくお願いします」

「でも、デートクラブねえ。そこまでやって、傷を残さないようにってのは難しいですね。多少はかぶる事になるかもしれませんよ。こちらはあくまで合法的に事を進めるしかないんで」

「できるだけ、そういうことにならないようにしてください。お金も余分に払ってもいいですから」

「お金の問題でもないんだけどねえ。やったことはちゃんと責任を取らないと」

 イガは夢見るように言った。

「ちょっとした秘密は、女性をさらに魅力的にするんですね」

 少女はイガを冷ややかな目で見て、ムサシに尋ねた。

「助けて下さいませんか?もし駄目なら、私、別の人を捜さないと……」

「よろしいですよ。ちょっと余分にお払いいただくことになりますが」

「ええ、けっこうです」

「じゃあ、こんなもんで如何でしょう」

 ムサシは指を1本立てた。

「100万円?そんなには払えません...」

「それでは……」

 ムサシは指を7本立てた。

「70万円ですか……けっこうです。お金のことをいろいろ言っていられる状況じゃないし。お願いします」

「けっこう。では、引き受けましょう」

 キスゲはムサシにカードを渡した。

「私はキスゲと言います。ここに電話番号があります。それで連絡がつきますから」

「わかりました」

「では、よろしくお願いします」

 キスゲは会釈して歩いていった。それを見送りながら、ムサシは呟いた。

「こっちの連絡先を聞こうともしないとはね……」

 イガはムサシに囁いた。

「100万円ねえ。ほんとうにそんなに取る気だったのか?」

「もちろん、そんなわけないだろう。10万円のつもりだった。今時、どんなお嬢さんでも、そこまでの世間知らずはいないさ。それに本当のお嬢さんなら、相談できる弁護士なりがいる。そちらからのアプローチのほうがはるかに有効だし、こういうことがあれば、道端で看板を出している小汚い若者より、よく家に来る見知ったおじさんに相談するだろう」

「身内に知られたくないとすれば?」

「それはあるか...イガ、彼女をつけられるか」

「ぜんぜん、オッケー。彼女をストーキングすんのか?」

「そうだ。彼女はとっても可愛いからな」

「まあな。エリカのほうがいいけど。ルカさんよりもいいかも。乗り換えたら?」

「そうだな。死の女神にさらわれたら、考えてみよう」

「なるほど」

 イガはキスゲの後を追っていった。ムサシはノートに意味のない図形を書き続けている。

<<こりゃあ、やりすぎだろう。たぶん、何かの罠があるんだろうが…… >>


「住まいは五橋マンション。部屋は502号室だ。いや、少なくとも、502号室に入っていった。自動ロックで、管理人が24時間常駐している。上流の中クラスの女の子って感じかな。実際の生活を見るなら何日か監視しないとわからなそうだな」

 ムサシは戻ってきたイガの説明を聞いている。

「そこまでやることはない」

「彼女の話、本当に嘘だと思っているのか?なんで?」

「おまえも今まで放浪してきて、いろんなところで何か奇妙な感じがしただろう。たぶん、今度のこれも、それと同じだ。今までより、近くなった分、強烈になっただけでな。俺は、この奇妙な感じの元が知りたいんだよ」

「そしたら、何が違和感を感じさせてるのかがわかるのかな」

「たぶん。俺も自信があるわけじゃないけどね」

「何にせよ、雲を掴むような話だな」

「その雲に隠れているものが、怖ろしい化け物だったりしないといいんだけどな……」


 キスゲは組織の監視班から連絡を受けていた。

「もう一人のイガという男があなたを尾行しました。家もつきとめられています」

「ありがとう。わかったわ」

 キスゲは電話を切り、歌を口ずさみながら、下ろした髪を梳かしていた。

「いとしい いとしい いとしいあなた……」

(ムサシは、最初から私を疑っていた。あの男は、私の接触を待っていた。私が接触したことで、あの男は自分の考えていることに確信を持った。私は後手に回っている。間違いなく、あの男は危険だ。プーさんはどうしてこいつの危険度がわかんないんだろう)

 キスゲは考え続けている。


「で、キスゲちゃんが怪しいのはわかったけど、依頼の方はどうする?」

「俺があいつらの事務所に行ってみる。バックアップをよろしく」

 イガはさすがに驚いた。

「おいおい、ちょっと危ないんじゃないの」

「危ないさ。だけどな、俺が無事に戻って来るようなら、もっと危ないことが待ってると思うぜ。俺がぼこぼこにやられて戻ることを願っててくれよ」

「わかった。帰りを一日千秋の思いで待ってるぜ」

 イガは両手をバンザイの形にあげた。ムサシはにやりと笑ったが、その目はあくまでも憂鬱そうだった。


 キスゲは、ムサシが一人で事務所に向かったという連絡を受けた。

「何ですって?あいつ、いったい何を考えているんだ……」


 ムサシはいかにも筋者と感じさせる事務所の、衝立の陰の応接セットに、かしこまって座っていた。

「私が今日ここに来たのは、そちら様とお話しをさせていただきたくて、ですね、ご迷惑を承知でお伺いさせていただきました。少々、お時間よろしいですか?」

「笑わせるな。こっちはあのお嬢さんと話がしたいんだ。おまえ、あいつの何だ?」

「ええ、私は彼女の、まあ、いわゆる代理人、とでもいう立場でお伺いしております。キスゲさんの要望としては、ですね、これ以上、付き纏わないでいただきたいと、まあ、そんな風に申しております。この件について、その、少々お話しをさせていただきたいと、まあ、そんなわけでして」

「お兄さん、子供の使いにしちまって悪いがな、おまえさんの出来ることはないぜ。あの女はデートクラブで遊んで、金も受け取った。もう、逃げられないところまできてるんだよ」

「それは、その、いわゆる売春行為があったと、まあ、そう言う意味合いでしょうか」

「あの女も相当な玉でな、年が若いくせに何でもやって、けっこう荒稼ぎしてたんだよ。それが、学校を卒業するとかで、突然止めたいと抜かしやがる。わかるだろ。仁義、ってもんがあるんだよ。やめるならそれなりの筋を通してもらわないとな」

「はあ、こちら様としましては、さらに売春行為を続けさせて、あがりを掠め取ろうと、そんなわけですな」

「バカ野郎。人聞きの悪い事を言うな。ここでやってんのは、労働の場を提供することだけだ。その場を利用した人間に、利用料を払ってもらうという、そんなシステムになってるわけだ。わかるか?」

「なるほど。よくわかります」

「だからよ、あの女を連れてこいや。もう逃げようはないんだからよ」

「それは、その、ちょっと、いたしかねますな」

「わかんねえ野郎だな。少し痛覚を刺激しねえとわからねえのかな。なあ、お兄さんよ」

「それはご遠慮させていただきたいと、さように思うわけでして」

 男はさすがに苛ついてきたようだ

「いいから連れてこいや、お兄さん。いつまでもてめえと遊んでるわけにもいかないのよ」

「ですから、それは御免こうむりたいと、まあ、お願いしているわけなんでございますが」

「理屈はいい。できません、じゃ話は終わりだ。おまえの手を見せろ」

「ありません。でも、ちょっとした考えがございましてね」

「何だと?」

「ここに、高性能のマイクロホンが仕込んでございます。今、あなた様とした会話は全て離れたところに飛ばされてまして、さらに録音してございます。もし、あなた様が何かなさろうとするようなことがございますと、私のパートナーがですね、すぐに警察とマスコミに駆け込む手はずになっておるんでございますよ」

「貴様……」

「あの、ですね、今までの話を総合いたしますと、これはもう、十分に犯罪を証明できるようなお話を、ですね、その、いただいてると。まあ、さように判断いたしておりますわけでございますな、これが」

 ムサシの目の前の男は、2倍に膨れ上がるような迫力を全身から放出させた。ムサシは、その迫力にまったくたじろぐことなく、きっちりと揃えていた足を崩し、男に身体をずい、と近づけた

「と、いうわけだ。こっちは何も、あんたらの仕事を妨害したいなんて思っちゃいない。低き所に水溜まる、ってなもんで、こんなところで正義感ぶるつもりはない。こちらの要求は、女を一人見逃すことだけだ。受けた方がそっちのためだぜ、お兄さん」

 男は少し身を引いた。この野郎、という気配は相変わらず漂わせているが、眉の後ろのどこかで感心しているようにも見える。ムサシは心の中で舌打ちをした。こいつら、やっぱりただのやくざじゃない。男は見た目はあくまで粗暴なイメージを崩さない。ムサシの胸倉を掴み、ムサシの目を睨みつける。しばらく視線を射込んでから、ムサシを押しやった。

「膾にしたいところだが、なかなかそうもいかねえ。桜の紋所にお出でいただいても痛くも痒くもねえが、商売の潤滑な運営にはちょいと邪魔になるしな」

 男は立ち上がって両手を挙げた。

「負けた。お兄さんの勝ちだよ」

「というと、キスゲさんは今後、そちら様のことを何も心配しないでよろしいと?」

 男は手をひらひら振った。

「その喋くりは止めろ。普通でいい。一切手は出さないし、若いもんが何かするようなこともない。まあ、商品は一つ減るが、そう大したことはない。この手の商品は賞味期限が短くてな」

「信用しよう。まあ、何かあったら、それなりの面倒が起きるだけだ。そちらにはキスゲさんの写真があると聞いているが、それは?」

「それは、渡さん。それまで渡したら、こちらの立場が弱くなりすぎる。あのヒステリー女が突然正義に目覚めて、警察に駆け込まんとも限らんからな。これはこちらの保険だ」

「なるほど。そりゃそうだ」

 あっさり納得したムサシに、男は逆に聞いてくる。既にこの事態を面白がっているようだ。

「いいのか、それで?依頼人の要求は満たされんのかい、探偵さん」

 ムサシは苦笑して言った。

「何だよ、探偵って。依頼人に非がないわけじゃない。こちらさんに全面的にリスクをおっかぶせるのはおかしいしな。双方に切り札があればいいだろう」

 男は首を振って言った。

「もったいねえな。若いのに肝も据わっている。おまえ、うちで働かねえか。給料は弾むぜ」

 ムサシは苦笑して言った。

「ありがたい提案だけど、俺にも都合があるんでな」

「そりゃ、残念だ。何かあったら声をかけろよ。気に入ったぜ、おまえ」

「いや、気に入られてもね...」

 イガは緊張を解いて、伸びをした。交渉がうまくいったのを確認したので、一息ついたのである。会話はもちろん、しっかり録音されているし、後はこのテープをキスゲ嬢に渡して、たぶんムサシがちょいと説教をして終わりだ。イガは撤収作業を始めた。

 ムサシは事務所から、とりあえず無傷で出てきた。ムサシは事務所を出てから、イガのいる方向に向かわず、街の中心に向かうバスを待った。イガも同様にして、街の中心で落ち合うことになる。


 キスゲは二人の動きの情報を組織から受け取り、受話器を置いてマンションのベランダの掃き出し窓の前に立った。

「ムサシ...」

 キスゲは暗い目つきで、眼下に広がる街並みを眺めた。キスゲはきつく歯を食いしばり、こめかみに血管を浮かび出させている。

「あの男は、危険すぎる...」

 連絡してきた男の一人は、直接ムサシと接触した男だ。その男の言葉の中に、ムサシに対する賞賛が混じっているのを、キスゲは聞き逃さなかった。

「どうするか。私と同程度の判断能力がないと、あの男には対処できない」

 キスゲは、気づかないうちに、また爪をキリキリと噛んでいた。キスゲは半眼になり、外を見ている。いや、外を見ているのではない。自分の中の計算機の計算過程を、冷厳な視線で見つめているのだ。電話が鳴った。キスゲは氷のような目で電話機を見た。4回鳴ったところで電話に向かって歩き出し、受話器を取った。

「はい...ああ、ムサシさん?何か進展はありました?え?え、本当ですか?ありがとうございます。ええ。え?テープ?はい、わかりました。ええ、大丈夫です。今日の4時に駅前の、邪宗門、ですか。はい。伺います。え?写真は駄目?そんな...ええ、わかりました。お会いしたときに。はい。本当にありがとうございました。それでは、4時に。はい。失礼します」

 キスゲは、受話器を指で摘まみ、受けの上に落とした。キスゲは目を虚空に据えている。しばらくじっと動かず、やがてゆるゆると窓の外に目をやった。しかし、その目は何も写してはいない。

「私が会って、もう一度、確認する。その上で、最終的な方針を決定する」


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