微量毒素

黒の魔歌3 〜恋は狂気〜 p.3


魔歌 back next

1 次の町へ p.1
2 ユカルの憂鬱
3 驟雨、再始動
4 キスゲ、フィールドワークへ
5 キスゲ、ムサシと接触する p.2
6 バッカスの悪戯 p.3
7 キスゲ、前へ p.4
8 墜落 p.5
9 ヴァルハラ p.6
10 コウガの言い分

★ バッカスの悪戯

 ユカルはプラタナスの部屋で、「もんたろうくん」をいじっている。変な人形だが、見慣れてくると妙な愛着が湧いてきてしまう。ユカルはプラタナスのほうを見ずに、声をかけた。

「ねえ、保護者。よく許したわね、単独行動」

 プラタナスは机に向かい、指を組み合わせている。

「キスゲ本人から、現場で直接情報収集をしたいという申し出があった。妥当なものだと判断したので、本人に行かせた」

「そういうことはよくあるの?」

「いや。あまりない...実は、今回が初めてだ」

「そう...そうじゃないかと思ったわ。あんたたち立案チームは、自分の身も守れない人間ばかりじゃない。外に出ちゃいけないのよ。なんで、キスゲを行かせたの」

「それは...キスゲが望んだことだ。問題が微妙すぎて、キスゲが直接接触して探らない限り、結論が出せないということだった。前例はないが、おかしなことではない。だから行ってもらった。何か思い当たることでもあるのか、ユカル?」

「そうまでして、探らなきゃいけないことだったの?」

「キスゲはそう思っている。ほかのワンダラーとは明らかに違う特性が見えると。目的がないように見える、ということだった。確かに、そう見える。しかし、目的もなく歩き回るワンダラーも多い。それとの区別が、私にはつかめなかった。目的がないのが目的なんじゃないか、とキスゲは言っていたが、言葉遊びにしか思えなかった。私にはわからない...」

「なあるほど。あなたは自分が理解できないんで、それで気弱になってキスゲの言うがままにさせたわけだ。だから頭でっかちだって言うのよ。何らかの目的をもっているなら、場合によっちゃ、かなり危険な状況になるかも知れないってことじゃない。あんた、ばか?ちょっとは理屈から離れたら?心配なんでしょうが」

 プラタナスは、眉間に皺を刻み、激しい焦燥を感じさせる声で言った。

「私はキスゲの信頼を失っている」

「あんたがキスゲの信頼を失くしてたって関係ないでしょ。でも、なに。あなたも気づいてたの?私も島に行った時に少し感じたんだけど。ねえ、何があったの。キスゲとあなたに」

 プラタナスは、ユカルを見た。誰も信じられないような目の色。そして、とても誰かを信じたがっている目の色。今のプラタナスなら、私は言葉だけで死に追いやれる。でも、今、この男を殺す意味はない。ユカルはその目を見返した。

「キスゲは、なぜかおまえだけは信じていた。だから言おう。聞いてくれ」

「ぜったいに、いや。そういう感じね。聞かないほうがいいような気はするけど。言って」

 プラタナスは目を伏せ、あの夜のことを話し出した。二人が、ダンスを踊ったあの夜のことを。

「俺はキスゲに、殺してくれと頼まれた。これ以上、組織の仕事をやっていけないから、と。元々俺は、場合によっては殺すつもりでキスゲをあの島に連れて行ったんだ。それなのに、殺せなかった。キスゲをそこに残したまま、立ち去った。俺は酒場に行き、朝まで酒を飲み続けた。飲み続けながら、キスゲが泣いているのはわかった。ずっと、泣き続けているのは」

「...」

「次の朝、俺が部屋に戻ってきて、入ろうとすると、キスゲの部屋のドアが開き、キスゲが出てきて、おはようと言った。俺もおはようと言った。俺がひどい状態なのはわかっていたが、キスゲは何も言わず、薄く微笑みながら俺を見ていた。俺はいたたまれなくなり、じゃあ、と言って部屋に入った。そのときのキスゲは、風に吹かれるだけで崩れてしまいそうに見えたんだ。それ以上、見ていられなかった」

「キスゲもそう思ったでしょうね...」

「俺は逃げた。部屋の戸を閉め、ベッドにもぐりこんだが、そのまま夕方まで起きていた。それから何日かは、今までどおりのように見える日を過ごしていた。そして、キスゲが帰りたいと言ったんだ。俺は、一も二もなく、それに飛びついた」

「それであたしに連絡をよこしたわけね」

「おまえが来てから、キスゲは生き返ったようだった。あの蜻蛉のような姿からは想像もできないほど、生き生きとして、輝いているようだった」

「あのさ」

 突然話の腰を折られ、プラタナスはいぶかしむような眼をユカルに向けた。ユカルは、苦痛を感じているかのような顔をしていた。

「私ね、キスゲを見たときは元気になったな、と思ったのよ。でも、一緒にいるうちに、そうじゃないってわかったの」

 プラタナスは、目を大きく見開いて、ユカルを見つめた。

「あの子は、あたしが来て元気になったんじゃない。あたしには、あの子は、残り少ない生を、精一杯楽しもうとしているように見えたんだ。まさか、とは思ったけど、あんたの話を聞いたら、キスゲがあそこまで弾けた状態になった理由がわかったわ。私はあの子の選んだ死刑執行人だったのよ」

「そんな、ばかな...」

「たぶん、あなたが思うよりずっと早く、キスゲはこの世への未練を断ち切っていたんでしょうね」

 沈黙が部屋を支配した。ユカルも、とりあえずは何もいう気になれなかった。プラタナスは、はっとしたように言った。

「では、今回の現場行きは、何らかの思惑があってのことだと?」

「おそらくね。それだけじゃないでしょうけど。キスゲは自分の生を諦めた代わりに、私たちの生を惜しんでるのかもしれない。自分は死ぬつもりだからいいけど、ほかのメンバーは傷つけたくないと」

「だから自分で?」

 ユカルは何も言わず、頷いた。

「しかし、キスゲは優秀な計画立案者だ。逃げ道など、自分でいくらでも作れるだろう。そういう人間が、ほかの人間を死なせたくないからというだけで、今回のような行動をとるか?」

「何度も言わせないで。あの子はお子様なのよ。情動面では、多分ほとんど抵抗力のない。今のあの子が、私やコウガを危険に晒すようなイベントを組めると思っているの?立案チームは頭でっかちの常識知らずだから、ずっとおこもってお仕事をしているのよ。がさつですれた実働部隊でないと、お外の仕事は務まらないの。あなた、またしくじったわね」

「わかった。確かに君の言うとおりかもしれない。明日、早々にキスゲに引き上げてもらおう。そのように手配する」

 ユカルは歌うように独り言を言った。

「いいのかな。それで、間に合うのかな」

 そのままユカルは出て行った。プラタナスは急ぎ、手配をした。しかし、今はもう夜中だ。実際に手配が受理され、キスゲに届くのは朝以降だろう。プラタナスはその時間について考えたが、それまではキスゲもおかしな行動をしないだろう、と思った。ほんとうは思いたかったのかもしれない。そして、プラタナスの指令は、翌日の朝まで、書類受けの中でまどろみ続けることになった。

 ユカルは考えていた。間に合うのかな。でも、これは私が考えちゃいけないこと。しかし、ユカルを見守っているもう一人のユカルは、歌うように呟いていた。ほんとかな。本当にそうなのかな。しかし、ユカルはその囁きを耳にしながら、理解しようとしなかった。でも、本当にそうなのかな?ユカルは、それでも何か違和感を感じていた。


魔歌 back next
home