微量毒素

緑の魔歌 〜 Eccentric Firebomb Girl 〜 p.1


魔歌 start next

1 エミーリアの夢 p.1
2 クリスのダイブ
3 エミーはご機嫌斜め p.2
4 ジョン・タジディ
5 キーワードを捜して p.3
6 ユーレイカ! p.4
7 甘い香りのピーナッツ・バター p.5
8 お掃除 p.6
9 恋は眠気

緑の魔歌 〜 Eccentric Firebomb Girl 〜
李・青山華
★ エミーリアの夢

 クリスはエミとデートをしている。今回が2回目だが、1回目の時には、エミはブラックで決め決めで来て、クリスは浮きまくった。ハードな黒いシャツに、黒いホットパンツ。太ももの半ばまで来る黒いソックスに、黒いパンプスを履き、黒いレザーの野球帽をかぶっていた。それに真紅のベルトを締め、左胸に赤いどくろのブローチをつけていて、その上野球帽には大きな赤い羽根がついている。どうもファントムレディを意識しているらしいが、悪戯好きの夜の妖精という感じだ。クリスはTシャツにいつものジーンズだったから、とてもデートという感じではなかった。

 もっとも、それを気にしていたのはクリスだけで、エミは十分に楽しんでいたようだ。クリス自身も思いもよらなかったような話を、エミは次々とクリスから引き出した。エミはクリスのことを何でも知りたがった。そして、新しいことが出てくるたびに、エミは様々な分析をして、クリスがいかに優れているかと教えてくれる。エミの手にかかると、クリスはまるでスーパーマンのようだった。クリスは気恥ずかしくて、あまり誉めないで欲しいといったが、エミは誉められるべきは誉めるのが東洋人だと言ってきかない。

 大体が、エミは自分の回りすべてを肯定的に見ることに長けている。エミと一緒にいるだけで、ずっと住んでいるシアトルが瑞々しく、生命に満ち溢れた街に見えてくる。空を横切る鳥も、顔をしかめて歩いている人も、道端のささやかな緑も、すべて生命をもって脈動してくるのだ。エミには、世界がこんな風に見えているのかと、クリスは驚嘆していた。

 少しかしこまった店でランチをとることになったのだが、クリスはハンバーガーショップより上のランクの店に、一人で入った事がなかったのではなはだ緊張していた。エミはまるでいとこの家に遊びに来た者のように振る舞っているので、クリスは顔を寄せて囁いた。

「やっぱりわかんないな。どうしてエミはそんなに物怖じしないでいられるんだい」

「あら、クリス。私だって、こんなお店に入ったことはないから、すごく緊張してるのよ」

「本当に?ぜんぜんそうは見えないよ」

「こういうところ、東洋人は得意なのかもね」

「なるほど」

「そんなわけないでしょ!」

 クリスとエミは忍びやかに笑いあった。


 さて、2回目の今回はと言うと、エミは決めすぎで来ないで欲しいというクリスの嘆願を聞いて、おとなしい格好で来てくれた。おとなしい格好と言うことで、膝丈の白いふわふわのワンピースに、同じく白いカーディガン、白いタイツに白いミュール、仕上げに白いベレー帽で、イミテーションパールをあしらったコサージュをつけている。バッグも小ぶりな白で、ゴールドのチェーンである。おまけに白い手袋までつけているんだから、何をかいわんやだ。

 決める、ということをエミはどう考えているのだろう。クリスはそのあたりをとことんまで議論したくなったが、デートの話題としてはあまりふさわしくないので、その話題は先送りにすることにした。ともあれ、クリスがエミに見とれる回数と時間は、前回のデートと同じほどだった。つまるところ、クリスもエミの服装が気に入らないというわけではないのだから、議論をする必要もないのかもしれない。

 クリスは一応エミに、学校に行くのと同じような格好で来てくれないか、と控えめに希望を伝えたのだが、エミの答えはにべもなかった。

「だって、デートなのよ!」

 確かにそうなのかもしれない。そうだとしたら、非は明らかにクリスの側にある。

「でも、僕はそんなにしゃれた格好は出来ないし」

 エミは初めて見るようにクリスの格好を見た。

「別に、そんなに悪くないわよ。クリスらしくて」

「その言葉、裏はないんだろうね。劣等感を刺激されるんだけど。じゃあ、エミはどうしてそんな格好をしてくるのさ」

「こういう格好は、私らしくない?」

 エミはくるんと回って見せた。確かに、とてつもなく似合っている。

「いや、似合ってるよ。エミらしいね、確かに」

 エミは輝くような笑みを浮かべて、ぴょんと飛んでクリスに近づいた。

「ありがと!ちょっとは気にしたのよ。クリスに気に入られないんじゃないかと思って。すっごく嬉しい。クリス、大好き!」

 クリスはエミの服については、一切文句を言わないことにした。十分に、それだけの価値があることがわかったからだ。雲の上を歩くように、クリスはふわふわとエミについていった。


 途中、通りすがりの男の子が、エミの白ずくめの服装について、モスマンがどうしたとか言うギャグを飛ばした。エミはどうにも剣呑な眼をして、その男の子を睨みつけていたが、クリスが何とかエミをなだめて事なきを得た。本当にエミが侮辱されたのなら、クリスも一戦交えるのに吝かではないが、その男の子も、エミを眩しいような目で見ていたのだ。崇拝者とことを構えることはない。相手が崇拝者なのか敵対者なのかの判断は、異性には難しいものらしい。ジョンもそうだったし。クリスにはわかったのだが、エミはまったくわかっていなかった。

 クリスは信管が危険なほどに衝撃を伝えやすい爆弾を抱えて右往左往しているような気になってきた。そこでほどよくレストランがあったので、入ることにした。きょうは中華料理屋だ。クリスが悩んでいると、エミが何品か選んでくれた。どれもおいしかったし、特に海老に辛いソースを絡めたものは、なかなか気に入った。エミは長い箸を奇妙にうまく操って料理を食べている。まるで、舞いを待っているようにも見える。クリスはスプーンでライスを食べながら、東洋の風習について、様々な思いを馳せていた。


 食事を終えて、最後に出た飲み物は、コーヒーではなくお茶だった。ジャスミン・ティーだとエミが教えてくれた。味は甘くないのに、独特の甘いハーブの匂いが、とてもエキゾチックである。日本人もこれを飲むのかと尋ねたら、日本では主にグリーン・ティーを飲むと言われた。緑のお茶?そう。とても綺麗な、ヒスイみたいな色のお茶なの、とエミは言う。どうして東洋人は、食事や飲み物まで芸術品にしてしまうのだろう。人生を思い切り楽しみたいからかもしれない。エミにそう言ったら、エミは笑っていた。

 だって、ブドウもそうだろ。単なる殴り合いや殺し合いを、ソウルの領域まで突き詰めていくんだから。エミは考える。そうかもね。カタっていうのがあって、それを極めると、無敵になるんだろう?エミは笑う。そこまではいかないだろうけど。でも、確かにカタも芸術の一つかもしれないわね。グリーン・ティはアメリカの言い方だろ。日本では何て言うのと聞いたら、ryoku−chaだと教えてくれた。エキゾチックな響き。エミは取っ手のないカップを、両手で捧げ持つようにして飲む。これも、舞いだ。

 ジャスミンティーを優雅に飲みながら、エミは自分の夢を語った。私がアメリカに来て、すぐに後から来ると言われていた兄が来なかったの。でも、まだファントムが来ていないから、きっと元気でいると思う。16になったら、兄を捜しに日本に行くつもり。兄は22歳になっているはず。これはまだ誰にも話していない、私の野望なの。クリスは思い当たることがあった。前に、コンピュータで人探しが出来るかどうか、エミに訊かれたことがあったよね。その人が。そう。私のお兄ちゃん。名前は?コジロー。

 お人形のような外見の下に、エミは火のような思いを持っている。エミがいつも光り輝いて見えるのは、その火が外にまで溢れ出しているせいだ。ちょっと前までは、すべてを中に覆い隠していたのに、今はすぐに光が溢れ出す。それはやっぱり、野望の日が近づいてきたからなんだろうな。クリスはふと気づいて、エミの年齢を聞いた。レディに年齢を聞くなんて、とむくれたが、同じ学年だもんねと言って笑った。私は15歳。秋には16歳になるわ。クリスはもう16歳である。そう。それは聞くまでもない事だったのだ。野望を満たす日が、すぐそこに来ているということは。

 食事が終わり、外に出ると、ライトアップされたバスケットコートがあった。その中で、エミがコリュージュージュツ(発音できない)のカタを見せてくれた。とても美しい、エキゾチックな舞い。翻る黒い髪と、スカートのすそが美しい。後でエミが、動きのいくつかを、細かく説明してくれた。これは相手が蹴ってくるのを受ける動作で、これはその相手の喉を指先で突き破る動作だと。どうして、こんなに残酷な動作を、美しい舞いにまで高める必要があるのだろう。一つの目的に純化した動作は、美しくなるものなのだろうか。日本刀のように、ガーバーのナイフのように。

 クリスは、自分もぜひ日本を訪れてみたいと思った。できれば、この白い妖精と一緒に、と思ったが、あまりに恥ずかしかったので、すぐに首をぶるぶると振って、妄想を四散させた。エミは不思議そうにクリスを見た。遅くなってきたので、クリスはエミを送ることにした。エミはおどけて右手を差し出してきた。クリスはその手を握り、エスコートした。妖精は、驚くほど軽く、ふいと飛び上がって、宵闇の中に消えてしまっても、少しもおかしくないように思われた。クリスはふとエミが本当に消えてしまうような不安に襲われ、エミの手をしっかりと握り締めた。エミは尋ねるようにクリスの顔を覗き込んだが、その頬に赤い色が注していた。エミはそのまま手をクリスに委ね、二人は歩いていった。



★ クリスのダイブ

 2回目のデートから、クリスはいろいろなことを考えていた。エミのこと。コンピュータのこと。そしてコジローさんのこと。いろいろ考えると、エミの野望達成を助けるとしたら、すぐにでもかからないと間に合わなくなってしまう。ネットの中の情報は、一度記録されると、意外に更新されない場合が多い。早く始めることによるデメリットはあまりない。その後は、差分だけを見ていくようにすれば、最新の情報も取り込んでいける。クリスは、そう判断した。後は、自分が本気でこれに取り組む気があるかどうかである。クリスは自問した。答えは、もちろん、YES。

 クリスは母親と話をした。

「大事な調べものがあって、しばらくコンピュータにかかりきりになりたい。ついては、学校、その他もろもろから、しばらくの間フリーになりたいんだ。」

「しばらくの間?」

「たぶん、数週間。まだ、まったくわからないけど、それだけかけて駄目なら、たぶん駄目だから」

「もう少し詳しい話を聞かせて。これじゃあ、判断しようがない」

「クラスメートが、兄弟の消息を知りたがっているんだ。今は養子で、なぜ別れさせられたかもわかっていない。すぐに来る筈だったのに、それから消息が不明になったんだ。ネットの中で捜せるかもしれない」

「けっこう、危ない話だね。一緒に出来ないもっともな事情があるとか、もう亡くなっているとかだったらどうする?」

「その通り伝えるよ。道理がわからない奴じゃないから、それが一番いいと思う」

「そのクラスメートは、男?女?」

 クリスは一瞬詰まったが、吐き出す息と一緒に言った。

「女。女の子。付け加えれば、この間、デートした相手」

「恥ずべきところはまったくないんだね?自分にも、相手にも」

 今度はクリスはすぐに頷いた。

「まったくない。彼女は僕に期待していないし、僕は見返りを求めない」

 母親は頷いた。

「おまえが最近、学校が好きになってきてるのはその子のせい?」

「その子のせいじゃない。おかげかな。その子といると、どんどんいい自分が引き出されて来るんだ。前はいじめられていたけど、今は友達がいる。全部その子のおかげだよ」

「いい話は、半分に聞くもんだけど、半分にしても嬉しい話だねえ。ちょっと失敗したかなと思ったこともあったけど、どうして、立派に育つもんだ。わかった。学校には適当に言っておくから、気のすむまでおやり。絶対に、その子を助けてやるんだよ」

「…ありがとう。かあさん」

 クリスの母は、首筋を引っかくような仕草をして見せた。

「歯が浮いて、全身が痒くなりそうだよ。で、いつから始めるんだい?きょうから?」

「そう考えてる」

「じゃあ、行きな。行って自分の為すべき事を為せ、だよ」

「やだなあ、それ、ユダの言われた言葉じゃないか」

「神様はユダも愛してたんだよ」


 クリスはコンピュータのメインスイッチを入れた。ハードディスクの回転する音が聞こえてくる。周辺機器が接続されて、ネットワークのランプが点灯する。中古部品を集めて組み上げた、3台のマシンが立ち上がってくる。一台はAppleのMacintosh。もう一台はIBMのガワに入った、中身はまったく別物になっているマシン。搭載OSはUNIXだ。もう一台は、オノ=センダイ。これも、中は相当にいじってある。この3台は、それぞれ別々の用途で動かすつもりだ。キーボードとマウスは一台をソフト切り替えで使う。中古だが、とても使いやすいエルゴノミクス・キーボードだ。

 家庭内のネットワークは、外部と電話線でつながっている。電話線自体の通信速度はそれほど速くないので、3台を同時に動かすことで、情報収集の効率をアップする。通信速度が遅くても、データをまとめて取り込んで、解析はネットワークと切り離してやればいい。元より、そんなに短期に解決できるような問題ではないので、解析に時間をかけて、対象を絞っていくのが一番効率がいいだろう。60億の人類の中から、一人を捜し出すのだから、並大抵のことじゃあ出来ないのはわかっている。別に有名人でもない、ごく普通の人間を。

 現時点では、日本と言う国のセキュリティは、かなり低レベルだ。まあ、軍事国家でないからなんだろうが、これが狙い目の一つ。もう一つは、日本と言う国は、住民の管理は世界でも珍しいくらいにきっちりと掴まれている。ここがポイント。マイナス点は、情報化が後れている分、紙情報の電子化が進んでいないと思われる点。ネットワークの普及度も低いから、データはローカルに保存されることが多いだろう。そうすると、情報集めはとても難しくなる。

「まあ、とにかく入り込んでみよう」

 クリスの指がキーボードの上を飛び回り始めた。まずはアメリカを探ってみて、次に日本のネットワークに入る。画面には、クリスの入力に応答するメッセージが表示され始めた。クリスはそれぞれの情報を一瞥しながら、次の指示を入力していく。まずは、表口から入ってみるつもりである。それが駄目なら、裏口から。クリスはリアルワールドのすべてを自分から遠ざけて、バーチャル・ワールドにダイブした。多分、深く、深くダイブすることになるだろう。クリスの動きに迷いはない。


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