緑の魔歌 〜 Eccentric Firebomb Girl 〜 p.2
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1 | エミーリアの夢 | p.1 |
2 | クリスのダイブ | |
3 | エミーはご機嫌斜め | p.2 |
4 | ジョン・タジディ | |
5 | キーワードを捜して | p.3 |
5 | ユーレイカ! | p.4 |
6 | 甘い香りのピーナッツ・バター | p.5 |
7 | お掃除 | p.6 |
8 | 恋は眠気 |
★ エミーはご機嫌斜め |
クリスが学校を休み始めてから、もう一週間が経った。エミは心配していたが、先生から、伝染性の病気なので、見舞いもだめと伝えられていたので、様子がわからずやきもきしていた。 「デートのときは、ぜんぜん大丈夫だったのに……」 思い起こしてみても、クリスの具合が悪そうだったことなんてない。食べ物も、同じ物を食べているし。でも、まさか中華料理が、欧米人の身体に合わなかったとか。まさかね。私の手を握ったから?だったらお父さんもお母さんも、もう何百回も死んでるわ。エミの思考は千々に乱れていた。そんなエミを、ザックが手招きした。エミは「?」と思いながら、ザックのところに行った。ザックはエミを教室の外に連れ出した。 「エミ、クリスと会ったか?」 「いいえ。駄目だって言われてるし」 「電話は?」 「してみたけど話中が多くって。一度お母さんが出たけど、面会謝絶だって。命にかかわるような病気じゃないけど、移るからって」 「おれもそう言われた。でな、行ってみたんだ」 「行ってみた?」 「クリスのうちへだよ」 「ええ?だっていけないって……」 「優等生。言われたことを守れないのが俺たちなんだよ」 俺たちが誰々を指すのか聞きたかったが、本筋と外れるのでやめた。 「行ったの?どうだった?」 「やっぱり面会謝絶だったよ。お袋さんが入れてくれなかった。でもな、ちょっと変なんだ」 「何が?」 「何度かクリスの家に遊びに行ったことがあるんだけど、あいつのコンピュータは特製でさ。いろんな音が出るんだよ。音で動きの状況を知らせるとか言ってたけどな」 エミは頷いた。 「玄関でおふくろさんと話している間中、その音が、ピンポンだのボヨヨーンだのウッキーだのウォーウだのが聞こえまくってるんだよ。クリスは病気かどうか知らないけど、ずっとコンピュータをいじりまくっているみたいだった」 「外に出られなくて、暇だからじゃないの」 「そんな感じじゃないって。行ってみればわかる。あいつは大車輪でコンピュータで何かやりまくっているって感じだった」 「いったい何をやってるんだろう」 「さあな。でも、俺の勘だけど、クリスはさぼりだぜ。それも、何でだかわかんないけど、親公認のな」 「そう……」 「エミが随分心配してるみたいだったから、とりあえずエミにだけは教えとこうと思ってな。病気はほんとかもしれないけど、とにかく元気は元気だからさ」 「ありがとう、ザック。ちょっと安心した」 ザックはなんて事はないというように手を振って、教室に戻っていった。エミはザックの言ったことを考えているうちに、怒りがふつふつと湧いてきた。 「こっちがものすごく心配してるのに、コンピュータ三昧ですって?」 これは俗にコンピューター・ウイドゥと呼ばれる人々が感じるものと同じ感情である。これは、夫婦の危機にもなるものであり、甘く見てよいものではない。 「あたしっていうものがありながら、コンピューターなんかと!」 そこまで露骨ではないが、エミも面白くない感情を抱いた。エミは最近、とても爆発しやすいのである。信管のカバーになっていたクリスが火種とあれば、これは止めるものがないということである。 「決めた」 エミは、帰りにクリスの家を尋ねることにした。ふつふつと滾るものを、身内に蓄えてである。エミ自身、自分がどう行動しようとしているのか、予測もつかなかった。 |
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エミは前庭を横切って、クリスの家の前に立ち、呼び鈴を押した。少し間があって、ドアが開いた。口をへの字に曲げた、意志の強そうな顔の、中年の女が顔を出した。顔はなめした革を貼り付けたかのようで、口の回りにくっきりと皺が刻まれている。 「ハロー?」 こちらを怪しむような、無遠慮な視線をエミに向けている。 「こんにちは。クリスのお母さんですか?私、エミと申します。クリスさんのクラスメイトです」 ザックの言った通り、家の中からおかしな物音が聞こえてきている。確かに、コンピュータの音のようだ。 「ああ、またかい。クリスは面会謝絶だって、先生にも言ってあるんだけどさ。ちゃんと伝わってないのかね」 「いえ、先生からは聞いています。でも、あんまりお休みが長いので、心配になっちゃって」 クリスの母親は、エミをじろじろと見つめた。 「あんた、中国人?」 エミは相手の無遠慮さに驚きながら答えた。 「いいえ。日本人です」 クリスの母親は、何か思いついたような表情を見せた。 「あんた、こないだクリスとデートした子だね」 「は、はい…」 「クリスから話を聞いたよ。ものすごくいい娘なんだって。そうなの?」 そうと言えるわけがないではないか。 「……そうでもないと思います」 「まあ、それは追々わかるか。話半分に聞いたとしても、十分合格点かな」 「はあ…」 話がおかしな方向に行っている。エミは慌てて尋ねた。 「クリスは元気なんですか?」 「元気だよ。でもちょっと訳ありで、コンピュータにどっぷりと浸かり込んでいるのさ。おっと、これは先生や友達に言っちゃ駄目だよ。クリスは病気で休んでるんだから」 事情がどうあれ、クリスのお母さんは、エミを信用してくれているらしい。でなければこんなことまで言ってはくれないだろう。勇気を得て、エミはもう少し突っ込んでみることにした。 「クリスに会えますか?」 クリスのお母さんは、少し困った顔になった。 「ええと、それはね…」 歯切れが悪い。やはり何かの事情があるのだろうか。 「ちょっと待っててくれる?」 「はい」 クリスのお母さんは、家の中に戻った。中からは相変わらず、コンピュータの音がうるさく聞こえてくる。入ってしまおうか、とも思ったが、信頼してくれている相手を裏切るのは気が進まない。エミは待つことにした。しばらくして、クリスのお母さんが顔を出した。 「ごめん。クリスは今寝てるんだ」 「こんな時間に?だって、コンピュータの音がしてるじゃないですか」 「御免よ。今、あの子は昼夜の区別がないんだよ。こっちもいい加減参ってるんだけどね。あの音は、なんだかコンピュータを自動で動かしているみたいなんだよ、わかんないんだけどさ」 言われて、エミは耳を澄ましてみた。そう言えば、音がかなり規則的である。人間が何かして、反応が返ってきているという感じではない。エミは頷いて言った。 「わかりました。クリスが元気ならいいんです」 「ごめんよ、せっかく来てくれたのに。お茶でも飲んでいく?」 クリスのお母さんはかえって恐縮しているようだった。エミはにっこりと笑って言った。 「いいえ、お気遣いなく。クリスの病気が治ったら、教えてください」 エミは悪戯っぽく片目を閉じた。クリスのお母さんも苦笑した。 「すまないねえ。病気が治ったら、真っ先に教えるよ。電話がいいかな?」 エミは電話番号を教えた。クリスのお母さんはエミが帰るのを、前庭まで出て見送ってくれた。随分離れてから振り返ると、まだ見ており、手を振ってくれた。エミが手を振り返し、頭を下げると、手を振りながら、家に戻って行った。 「いいお母さんだわ」 エミは来たときより、だいぶ軽い気分になっていた。それにしても、クリスは何をやってるんだろう?お母さんも承知して、学校を休んでコンピュータいじりだなんて。エミには想像もつかなかった。でも、クリスはエミのことをお母さんに話してくれていたことがわかったし、お母さんがエミに好意を持つような紹介をしてくれていたのがわかったのだ。エミはなんとなく、うきうきしていた。クリスが何をしているにしても、悪いことのわけがないわ。あんなお母さんに見守られてるんだから。 エミは「ジェニーはご機嫌斜め」を口ずさみながら、バスプールに向かって歩いていった。 |
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★ ジョン・タジディ |
バス乗り場で、エミは意外な人と会った。ジョン・タジディである。前に十分思い知らせたとはいえ、警戒するに越したことはない。エミは少し離れて、バスが来るのを待った。ジョンもエミに気がついている。ちらとエミのほうを見たり、帽子を被り直したりしている。 しばらく待ってバスがきた。きょうは時間がずれたから、いつもの通学バスではない。エミの前に、ジョンも乗り込んだ。考えてみれば当たり前である。いつも同じ通学バスで来ているのだから。ジョンは前の席に座っている。エミはバスの一番後ろに座った。バスが走り出し、エミが外を見ていると、前の席に誰かが座った。いつの間にかジョンが近づいてきていたのだ。ジョンはエミの方を向いていた。エミは驚いて身を引いた。 「!」 ジョンは苦笑いをして言った。 「そんなにびびるなよ、ファントム・レディ」 「何なのよ。また痛めつけて欲しいの?」 そういいながら、エミは自分が勝てるかどうか、自信がなかった。この前はうまく関節をとれたけど、知られてしまったから、そうそう簡単にはいかないだろう。関節が取れなければ、エミに勝ち目はない。眼を突くか、急所を攻撃するか。いずれにしても、エミも無傷では済まないだろうし、たぶん、エミが大怪我をする確率のほうがはるかに高い。その前に、このバスの中、この座席で押さえつけられたらエミは動けない。圧倒的な筋力の差があるから、そうなったらどうすることも出来なくなる。エミは眼への攻撃をも辞さない覚悟で、全身で身構えた。 「だから、そんなに殺気立つなって。おまえとやる気はないからさ」 「?」 ここに到って、ようやくエミも疑問を感じた。確かに、ジョンから害意は感じない。ジョンは本気でやりあう気はないのかもしれない。半分うたがったまま、エミは臨戦体制を緩めた。 「まったく、そこまでやる気になられると、こっちも血が騒ぐぜ」 口ではそう言っているが、ジョンに戦意は感じられない。エミもようやく言葉を返した。 「だって、いろいろあったからねえ」 「随分と控えめな言い方だな。俺がクリスの鼻を折るまでやったのに」 「私は許しちゃいないから」 「上等。きょうこんな時間にバスに乗ったのは、病院に行く用事があったからだ。俺の肩はもうぜんぜん大丈夫だとさ」 「当たり前じゃない。手加減したんだから」 ジョンはひどく悔しそうな顔をした。 「エミ。手加減されるほうがつらいこともあるんだぜ」 「そう、それはよかったわ」 エミはあくまで姿勢を崩さない。ジョンは少し寂しそうにエミを見て、言葉を続けた。 「まあ、いい。それより、おまえだ。何でこんな時間にバスに乗っている?」 「どうでもいいでしょ」 「よくはない。クリスのうちに行ったろ」 エミはぎくりとした。 「わかるぜ、誰でも。驚くことはない。それで、どうだった。会えたか?」 エミは首を振った。 「やっぱりな。おまえ、クリスに腹を立ててるだろ」 今度はエミも驚いた。 「なんで?」 ジョンは笑った。 「ようやく、素が出たな。ずっと仮面のままかと思ったぜ」 エミはそれどころではない。ジョンに自分の考えが読まれてたなんて! 「何でわかったの!」 「見てりゃ、わかるさ。じりじりして、ザックと話したらカリカリして。今のおまえがそんなになるとしたら、クリスのせいだろう?」 エミはジョンの顔を改めて見直した。ジョンって、こんなに緻密な奴だっけ?エミは少しジョンのイメージを修正した。 「なんだよ」 ジョンは照れている。 「当たってる。なんか恥ずかしいな、そんなふうに読まれると」 「ごめん」 「いや、別に謝ることじゃないけど」 ジョンは咳払いして話を続けた。 「それで、だ。ある日の午後、俺がクリスのうちに行ってみたと思いねえ」 「行ったの?」 「平たく言えば、行った」 「最初から平たいじゃん、それ」 「ええい、話が進まん。行ったんだよ。そうしたら、あいつは起きてやがってさ。いろいろ喚き立ててんの。風呂は嫌だだの、飯はハンバーガーにしろだの。お袋さんも切れて、なかなか聞き応えがあったぜ」 「盗聴はいかんな、盗聴は失脚するぞ」 「俺は大統領じゃないって。悪ガキには盗聴も嗜みの一つなんだよ」 「どういう嗜みだよ」 「突っ込むなって。話が進まん」 エミは気がついた。 「ジョン、あんたの降りる停留所……」 「過ぎたよ。誰かが腕だけじゃなくて、話の腰を折りまくるから」 「!ごめん…運転手さんに言って止めてもらおう」 ジョンは立ち上がりかけたエミを押さえ、また座らせた。 「いいんだよ。話が終わってないだろ」 「話が終わるまでバスに乗っている気か?横断しちゃうぞ、アメリカ」 「ああ、どこぞのサルが話をちゃんとさせてくれさえすれば、シアトルにいるうちに済むって。頼むから、話を続けさせてくれ」 「ごめん、ウッキー」 「おまえ、そんな性格だったか?」 「ちょっとハイになってるかも」 「頼むからクールになってくれ。ほんとに、シアトル脱出しちまうから」 「了解」 ジョンは一息ついて、話を続けた。 「喚き立ててる途中でさ、だからあの子のために、出来るだけのことをしたいんだ、なんて叫んでやがんのさ。馬鹿だよな、あいつ」 「あの子…」 「おまえ以外にはいないだろ。おっと、降りるところだぜ」 そこはエミの降りる停留所だった。エミに続いて、ジョンも降りる。 「おい、ジョン…」 言いかけてからエミは気づいた。 「よく私の停留所を知ってたな」 「ああ、何となくな」 「ふうん。あ、それより、おまえ…」 「歩いて帰るさ。それで、話の続きだ。ここからは俺の推理だが、クリスはおまえのために何かをやろうとしてる。それでお袋さんは、それを認めてる。あいつは病気なんかじゃない。親公認のずる休みだ」 「すごい!よくわかったな」 「蛇の道は蛇って言うだろ。それくらいはわかるさ。おまえ、わかってたのか?」 「実は、今行って、お母さんからそれらしいことを仄めかされた。おっと、これは誰にも言わないでって言われてたんだ。ジョン、大丈夫だよね」 「クリスの鼻を折った俺が大丈夫かって?」 エミはジョンの顔を見た。色眼鏡を外して、じっくりと見た。エミは答えた。 「うん」 ジョンは空を見上げ、ごしごしと顔をこすった。そのまま空を見上げて、言った。 「ああ。大丈夫だ。この話が漏れるとすれば、おまえからしかない」 「ああ」 エミも空を見上げた。シアトルの、抜けるような青空。日本の深い青とは違うけど、エミはこの空も好きになっていた。そして、きょう、またもっと好きになった。 「おまえ、クリスを疑ってたろ」 ジョンは空を見上げたまま言った。エミも、空を見上げたまま言った。 「うん」 「ちっとはあいつを信用してやれ。あいつにとって、おまえは女神様なんだからな」 「だから、ファントム・レディだって言ってんのに」 「レディを名乗るには10年早いぜ」 「るさい!」 ジョンはかばんを担ぎ上げ、自分のうちのほうへ向いた。そして振り返って言った。 「おまえ、そんなキャラだったか?」 「仲間とは、こうなるんだ」 ジョンは凍りついた。エミはにいっと笑った。ジョンの顔から血の気が引いた。 「おい?」 ジョンはその場にしゃがみこんだ。エミは心配そうに近づいた。 「貧血か?日射病じゃないのか?こんなところに馬鹿みたいに突っ立ってるから…」 「馬鹿はおまえだ」 ジョンは歯軋りしながら出すような声を出した。 「ほら、声もおかしい」 「このサル野郎!いいか、おまえの机にごみを突っ込んでたのは俺だ。ねずみを突っ込んだのは俺だ。わかってんだろ!」 「わかってる。けど、今は違うだろ。クリスと私のことを心配して、ここまで付き合ってくれたんだろ」 ジョンは頭を抱え込んだ。しばらくそのまま黙っていた。 「大丈夫か?うちに来るか?アメリカ人の好きなコーラも冷えてるぞ」 「いや」 ジョンはようやく言葉を押し出した。 「いや、今は駄目だ。まだ」 ジョンは立ち上がり、エミのほうを見ずに歩き出した。エミが見送っていると、ジョンは立ち止まった。 「なんで、そんな簡単に受け入れられる?おまえの顔に、血を塗りたくった俺を」 「あれは許せないよな。でも、クリスが言ったんだ。ジョンだって、本当にやりたくてあんな事をやってるんじゃないって。今日話して、それがほんとだってわかったからね。クリスに感謝しろよ」 ジョンは頷き、右手を振ってまた歩き出した。エミも手を振ったが、ジョンからは見えないことに気づいた。 「ジョン、気をつけて。ありがとう、いろいろ話してくれて」 ジョンは手を下ろして歩いてゆく。けっこうな距離があるはずだが、待てばバスのあるのに歩いてゆくのは、ジョンなりの理由があるのだろうとエミは考え、そのまま行かせてやることにした。 「じゃあな。また明日」 ジョンの手がもう一度あがった。そしてジョンは歩いていった。胸を張って。エミは、ぴょんぴょん飛び跳ねながら家に向かった。 「ちぇっ、なんだかすっごく嬉しいぜ」 エミは家のある通りを走って行った。大きな木の影の下を、光と影の間を、元気いっぱいに走って行った。 |
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