微量毒素

黄の魔歌 〜幸福の壁〜 p.10


魔歌 back next

1 この町では何かが起こっている p.1
2 雇用契約
3 よそもの p.2
4 賛成派と反対派 p.3
5 三ヶ村へ p.4
6 要は、皆が幸せになれれば(1) p.5
要は、皆が幸せになれれば(2) p.6
7 本当に、いいのかな。揺れるアザミ p.7
8 住民の総意 p.8
9 始まった工事(1) p.9
始まった工事(2) p.10
10 夜釣り p.11
11 キャッチャー・イン・ザ・ライ p.12
12 天の海に雲の波たち月の船 p.13
13 アザミは決めた p.14
14 道行き

★ 始まった工事(2)

「町の雰囲気が明るくなったな」

 コジローは駅を出て呟いた。去年と変わらず、駅にはたくさんの向日葵が揺れているが、駅前の様子は随分変わった。まず、駅前に新しい宿が2軒出来ている。食べ物屋も増えている。店店も、前に来た時には、貼り紙も古いままだったのに、新しいポスターや、軍足あります、の新しい貼り紙が貼られて、商売が回っていることを示している。

「よしよし」

 コジローはマグノリアの暖簾をくぐった。

「ちゃーす」

 カウンターの隅に、アザミの姿はない。

「コジロー!随分なご無沙汰だね」

 チヒロさんが驚いて言った。店には客が入っている。テーブル席で、ごつい男が二人、かつ丼とカレーを食べている。コジローのほうをチラッと見たが、特に関心は引かなかったようである。

「ダムはどう?」

「だいぶ、進んでいるみたいだね。ほら。」

 チヒロさんは、店に貼ってあるポスターを示した。「作業員募集」のポスターである。

「まあ、人が足らないみたい。まあ、いくら居ても足りないっていう時期みたいだね、今は」

「ちょうどいいかな」

「で、かつ丼?」

「うん。景気は?」

「いいよ。工事の人だけじゃなく、いろんな人が来るね。観光業者もけっこう来るよ。うまく目玉になればいいんだけどね」

「それは、なにより」

 相変わらず、口と手は別で、ちゃんとしたカツ丼がすぐに出てきた。

「アザミは?」

「中学校に行ったよ。親御さんは大喜びでね。そう言や、あんたがアザミを説得したんだって?親御さんがぜひご挨拶したいって探し回ってたよ。あんた、いつの間にかいなくなってるんだもん」

「見送られると、泣いちゃうんでね。ちょっと、こっそりと」

「よくいうよ」

先客二人が立ち上がった。

「おばちゃん、ごっそさん」

 金を置いて出て行く。

「ありがとさん。また来てね」

 おばちゃんの言葉に手を振りながら、暖簾を上げて出て行った。おばちゃんはテーブルを片付けながら言った。

「あの頃のことが嘘みたいに、元気に学校に通ってるよ。ああ、アザミだけどね」

「まあ、よかった。アザミのことは気になってたんだ」

 コジローはカツ丼を食べ始めた。

「今度は、しばらくいるのかい?」

「ダムのところで働くつもりだよ。宿舎もあっちだから、あんまり町には来られないだろうけどね。」

「そうかい。がんばんな」

「さんきゅ」

 コジローは、カツ丼を食べながら答えた。


 仕事はきつかったが、色々なところから色々な人間が働きに来ているので、面白い話もふんだんにあった。地元の人間でも、わざわざこの宿舎に入っているものも居り、南野の山の不思議などをいろいろ聞かせてもらった。四方山話の中で、コジローは気になる話を聞いた。小さな女の子を集めて、いろいろ教育をして、海外や国内の金持ちに斡旋しているところがあるというのだ。その話をした男から、いろいろ詳しい話を聞いて、コジローは考え込んでいた。その年は、コジローは事務所に話をして、8月を待たずに町から消えた。チヒロさんやサコミズさんはまた悔しがったが、それから次の年まで、コジローの来ることはなかった。


 翌年、コジローはまた姿をあらわした。身体も大きくなっていたが、少し荒んだような景色が見えるようで、チヒロさんが心配したが、コジローは笑って否定した。今度はサコミズさんとも話をした。家はもう引き払い、町の近くに補償で建てたうちに移っているのだという。

 コジローは頼み込んで、日曜日に三瀬火まで連れて行ってもらったが、一緒にヤスシさんとミィさんも来たので、中てられっぱなしだった。まだ残る瀬で、岩魚取りをし、その場で焼いて食べた。相変わらずアブは飛んでいるが、コジローも刺される前につぶせるようになっていた。そこでシャツを脱いだ時、サコミズさんはコジローの左肩の後ろにある、随分大きな傷跡に気付いた。サコミズさんは何も言わなかったが、コジローがまた南野を去った後に、チヒロさんに、コジローが何か大変なことをしているようだと愚痴っていた。

「あの子のことだから、また人のために無理してるんじゃないかと思ってさ」

「随分と荒んだけしきだったしねえ。話をすれば変わらないんだけど、なんか修羅場をくぐってる感じだねえ」

「ああ、心配。何をしてるんだろ」

「惚れたね、おぬし」

「まあた、それですか。でも、心配だわねえ」

「アザミも会ってないみたいだよ。会いたいだろうにねえ」

「うん、でもアザミは、意識して会わないみたい。会わないでやってみたいようなことを言ってたよ」

「若いのに、そんな無理することないのにねえ」

「会って、またいなくなっちゃうのが不安なのかな。でも、いつまでもコジローがここに来てくれるわけでもないでしょうし、無理しないで会っていればいいのにねえ」

「可哀想に」

「ほんと」


 二人の心配も知らず、その秋、コジローはヨコハマを歩いていた。大規模な少女売春を行っている組織について、探りを入れていたのだ。途中でその組織が、海外で少女を買い付けて、日本で仕込んで売春させているということがわかり、コジローの妹が関係することはないことが分かったが、ここまで調べて、手を引けるわけもなかった。コジローは情報集めのために、幼い少女を買ったのだ。もちろん、話を聞くだけだったのだが、妹よりもさらに幼い少女たちが、こんなところでこんな行為をされていることに、コジローは耐えられなかったのである。調べた結果をもって警察に動いてもらい、組織を解散させることはできたのだが、刑事の一人が言った言葉にコジローはひどく傷ついていた。

「こうして保護してやっても、国に送り返したらごくつぶし扱いだろう。きっとまた同じようなところに売られちまうんじゃないかな」

 刑事に悪意はない。真剣に犯罪に取り組もうとするからこその慨嘆の言葉だったが、この言葉に潜む護民官の絶望は、コジローの魂をも深く蝕んだ。


 翌年も、コジローはやってきた。チヒロさんの目には、コジローはさらに荒んできたように見えた。荒んで見えるのが、成長したせいなのか、他に原因があるのかわからないので、チヒロさんは何も言わなかった。言葉を交わせば、昔通りの、思いやりのある気持ちが伝わってくるからだ。

 ダムの工事は、この夏で終わる。夏に終わり、秋には水が満ちるだろう。ダム工事の仕上げに従事しながら、コジローは妙なことに気付いた。時々、村の者が来て、工事を見ているのだ。笑うでもなく、泣くでもなく、怒るでもなく、ただじっと立って工事を見ているのだ。沈む山の中腹に立って、ただじっと見ている。圧倒的に年寄りが多かった。みな、いつの間にか来て、いつの間にかいなくなっていた。

「やっぱり、かな...」

 呟くコジローの顔も沈んでいる。


 ある日、雨で工事が休みになったので、宿舎でごろごろしていると、班長に呼び出された。

「お客さんだ」

「あ、どうも」

 ひょっとしたら、チヒロのおばちゃんかサコミズさんかと思って出ると、見たことのない女の子が、傘を差して立っていた。

「?」

 あたりを見回すが、他に人の姿はない。

「コジロー」

「おう」

 呼びかけられて、コジローは返事をした。この声は、よく聞いた事のある声だ。ずいぶんまつわりつかれて苦労した記憶がある。コジローは、また回りを見回して、首をひねった。

「バカか?おまえ」

「!」

 コジローは目の前の女の子を見た。

「あの…まさか、おまえ。アザミか?」

「あたりまえだろ。まさか、わかんなかったんじゃないだろうな」

「わかるか!俺はずっと、おまえは男だと思ってたんだ」

「そりゃ、なかなか失礼な話だな、コジロー」

「すまん。いや、でもいつ化けたんだ?」

「それは、さらに失礼な質問だな。ぼくはずっとぼくのままだ」

「言葉遣いだな。それが悪いんだ。男としか思えん」

「そんなの、ぜんぜん本質じゃないのに…」

「そりゃそうだが、俺は世間一般の常識が、とっても身についている人間なんだ。なかなか本質を見抜くなんてことはできないぜ」

 コジローはあらためてアザミを見た。女の子と素直に思ったのは、スカートをはいているからである。白いブラウスに、白いふわふわのスカート。これはまた、実に女の子ではないか。コジローは胸がどきどきするのを無視するのに苦労した。

「でも、そうじゃないかと思ってた」

「?」

「コジローは。ぼくを男と思っているって。だから、あんなになついても、相手をしてくれていたんだって」

 アザミは、顔を傘で隠すようにしてしゃべっている。

「でも、ぼくは女だ。見ての通り。念のため、わかりやすいようにブラウスにスカートで来た」

「うむ。とてもわかりやすい」

「コジロー、ぼくが男だと思っていたから、遊んでくれていたんだろ。女だと、もう遊んでくれないのかな。ぼくはもう、15歳になった。いつまでも男でござい、とは言っていられなくなってきた。だから、確認しに来たんだ。コジロー、ぼくは女だ。それでも、今までのように、遊んでくれるか?」

「そりゃかまわないだろう。まあ、遊びの種類は今までより限定されるだろうが、俺は別に構わない。いつでも遊びにおいで。もちろん、仕事のあるときは駄目だけどな」

 アザミは、深く息を吸い込み、吐いた。

「よかった」

 その様子で、アザミがどれほどの決心をして、ここに来たかが知れた。

「ばかだな。友達ってのは、もっと気楽に尋ねて来ていいもんなんだぜ。そんなに、生きるか死ぬかの決心をしてこなくても……」

 アザミはふっと笑った。笑っているのに、傘の蔭の顔は、とても寂しそうに見えた。

「生きるか死ぬかの決心がいるのさ、ぼくにはね」

 コジローは、アザミの言いたいことがわからない。

「話したかったのはそんなもんか?気が済んだなら、うちまで送っていこう。もう暗くなる」

「いいよ」

「そうはいかん。うちの人が心配するぞ」

「心配なんてしないさ」

「バカ言え。絶対心配するさ」

 コジローはエミのことを思い浮かべた。もう何年探し続けているか。コジローが、どうしても探し出してやらなければいけない、大事な、大事な妹。

「コジロー。今、何を考えていた」

「あ、ああ、特に何も」

「うそつき」

 アザミはそのまま向きを変えて、町への道を歩き始めた。コジローは慌てて傘を取ってきて、アザミの後を追った。


 雨はしとしとと振り続けている。アザミは黙って道をたどっている。コジローは少し後ろを歩いている。

「コジロー」

 ふいに呼びかけられて、コジローはびくりとした。

「ああ、何だ?」

「コジローは、ダムが出来たらもうここには来ないだろ」

 コジローは確かにそのつもりだった。

「ああ。たぶん」

「そうか」

 アザミは歩いてゆく。男だと思っていたときから、ずっと感じている、アザミの気高さのようなものは、ひょっとしたらアザミ自身は望んでいないものなのかもしれないと、コジローは思った。とたんにアザミがいじらしくなり、言わでもがなのことを言った。

「きっと遊びに来るさ。妹を連れて」

「ぼくは、ずっとここにいるんだな」

「ええ?」

「おまえがどこを歩き回っていても、僕はずっとここで、誰が尋ねてくるかもしれないまま、待ち続けなければならないんだな」

 コジローは、なぜこんなにアザミが哀しい考え方をするのかがわからなかった。

「なんでそんな考え方をする?おまえは自分で幸せを追えるだろう?」

 アザミはそれには答えず、また黙って雨の中を歩き続けた。雨にけぶる南野の町を背景に、アザミの姿はどこまでも独りきりに見えた。コジローもそれ以上言葉を発することなく、アザミの後ろを歩いていった。理由もなく、コジローの心もずっしりと重く、この雨が沁み込んでいるかのようだった。


魔歌 back next
home