黄の魔歌 〜幸福の壁〜 p.9
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1 | この町では何かが起こっている | p.1 |
2 | 雇用契約 | |
3 | よそもの | p.2 |
4 | 賛成派と反対派 | p.3 |
5 | 三ヶ村へ | p.4 |
6 | 要は、皆が幸せになれれば(1) | p.5 |
要は、皆が幸せになれれば(2) | p.6 | |
7 | 本当に、いいのかな。揺れるアザミ | p.7 |
8 | 住民の総意 | p.8 |
9 | 始まった工事(1) | p.9 |
始まった工事(2) | p.10 | |
10 | 夜釣り | p.11 |
11 | キャッチャー・イン・ザ・ライ | p.12 |
12 | 天の海に雲の波たち月の船 | p.13 |
13 | アザミは決めた | p.14 |
14 | 道行き |
★ 始まった工事。 |
秋に来たコジローは、ヤマネさんの田んぼの刈り入れを手伝った。ダムの工事は始まっていたので、サコミズさんを通して聞いてもらったところ、一人くらいはいつでも雇えるということだった。コジローは新しく現場の近くに建てられた事務所に出向き、話を聞いた。以前、話を聞いた男は、現場の管理主任になっており、コジローとも話をしてくれた。その人の口利きもあり、コジローは毎年、6月から8月まで雇ってもらえるような話になった。 「いろいろやってくれたそうだね。実際のダム造りの手伝いも、よろしくお願いしますよ」 刈り入れの合間に、コジローは小学校に行き、子供たちと遊んだ。昼休みの30分くらいだが、コジローは子供たちと遊ぶのがとても楽しかった。妹がいなくなったのも、10歳の時。ちょうど、小学校5年生くらいの時だったから、妹と遊んだ思い出も、コジローの楽しいという気持ちの中にはあったのかもしれない。 アザミは、今は他の子供たちと一緒に、遊んでいた。髪も少し伸ばして、以前の生活感のなさはすっかり消え去り、学校でも一、二を争う俊足で、校庭を駆け回っていた。とにかくコジローにまつわりつき、コジローが帰るのを引き止めたがった。先生に様子を聞くと、先生は笑って言った。 「本当に、コジローさんのおかげですよ。コジローさんと話をしてから、アザミくんは、意識して学校に溶け込む努力を始めてくれたんです。傍で見ているほうがつらいほど、一生懸命みんなに馴染もうとしていました。子供ってのはすごいものですね。一ヶ月も経たないうちに、みんながアザミくんを受け入れて、今じゃ、いっぱしのガキ大将ですよ」 「そりゃあ、よかった。でも、俺?俺は何もしていませんよ」 「アザミくんに聞いたら、コジローさんと話をしたから、って言うんです。ずっと、あなたの来るのを心待ちにしていたようですよ。また、話をしたいんだって」 「ああ」 コジローは思い出した。麦わら帽子と話をしたことを。 「あんなことで、ちゃんと目覚めてくれたのか」 思い出して、先生に聞いてみた。 「アザミは頭がいいでしょう」 「実に聡明ですね。ただ、興味のないことを学ぶのには、かなり努力がいるようです」 「それは、どんな子供でも一緒でしょう」 「そうですね。なまじ聡明だから、それが目立ってしまうのかもしれない」 考え込む先生に、コジローは聞きたかった疑問をぶつけてみた。 「実際のところ、アザミは何歳なんです」 「13歳です」 「え?」 「中学校にあがらなかったんですよ、アザミくんは。出席日数が少なすぎて」 「そうだったんですか…」 「来年は大丈夫です。推薦をつけてもいいくらい、頑張っていますから」 「よかった」 当のアザミは、ドッチボールから抜けてこっちに走ってくる。 「おい、コジロー。早く来いよ。目隠しドッチで修行すんだろ」 コジローは苦笑して言った。 「ため口を聞くなよ」 「だって、コジローと呼べ、って言った」 「せめてコジローさんと呼べ」 「コジロー…さん?」 アザミはしばらく思案していたが、くしゃっと顔をゆがめて言った。 「やだ。キモチ悪い」 「こいつ!」 コジローが捕まえようとすると、アザミはキャッキャ言いながら逃げた。 「失礼します」 コジローは先生に会釈して、ドッチボールの輪の中に入っていった。走り回るコジローを見ながら、先生は呟いた。 「来年から中学校か…アザミくんは、ちゃんとやっていけるんだろうか。コジローさんが来なくなっても…」 アザミは、コジローの後ろからボールを投げつけていた。コジローは避けながら手を伸ばし、後ろから飛んできたボールを見事にキャッチした。コジローはそのボールを味方の子に渡した。アザミは悔しがりながらも、とても嬉しそうだった。 |
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日曜日、コジローが買い物に来て、店を回っていると、後ろからぶつかってくる者があった。見ると、アザミである。麦わら帽子をかぶっているが、今度のは少ししゃれたやつである。 「コジロー!」 「よう、アザミ。きょうは買い物か?」 「散歩。散歩してたらコジローがいた。奇跡だ」 「そういうのは偶然、ってんだ」 「いいの。願っててかなうのは偶然じゃないだろ」 「願ってたのか」 「うん」 アザミは宙を見て、何か思案しているようだったが、突然、コジローの買い物籠を覗き込んだ。 「こらこら」 「生物はまだ買ってないね。ね、話をしてくれない?」 「話?」 「うん。ずっとコジローと話をしたかったんだ。昼休みじゃ、出来ないし」 「確かにな」 昼休みの喧騒を思い出して、コジローは笑った。 「じゃ、いいね」 アザミはコジローを引っ張って行く。 「どこに行く?」 「前に話したところ」 「チヒロさんのところは?クリームソーダを奢るぜ」 「二人だけで、話したいんだ」 コジローはアザミに引きずられて、以前話をした、用水路の近くに行った。コジローは、コンクリの放水用の水門の上に腰を下ろした。アザミが話をどう切り出せばいいか迷っているようだったので、コジローから声をかけた。 「学校は楽しいか?」 「楽しいよ。最初は大変だったけど。いろいろなことを覚えていくのは楽しい」 「そうだな。でも、ただ覚えるだけじゃ意味がないぞ」 「?」 「知識を溜め込むだけじゃ、ゴミ溜めと一緒だ。使っていかないと、意味がない」 「使っていく?」 コジローは眉間に皺を寄せた。 「説明が難しいな…まあ、たとえば、川の向こう俺がいる。アザミはこっち側だ。アザミは、俺のいる方に行きたいとする」 アザミは頷いた。 「どうやって行くのが一番行きやすいかな」 「橋を渡って行く」 「橋はけっこう離れたところにしかない。時間がかかると、俺はもう出かけてしまいそうだ。どうする?」 「川を渡る」 「そうだな。で、どこを渡る?川は広いところと狭いところがある」 「狭いところ」 「それが算数の考え方だな。でも、それでいいのか?アザミは川に手を入れていたことがあるだろう?だったら気付いているんじゃないか?」 アザミははっとしたように言った。 「狭いところは、流れが速い?」 「そう。同じ量の水が流れているんだ。狭いところは、深くて、流れが速くなる」 「広いところは、浅くて、流れが遅いから、そっちを渡った方がいい!」 「そうだな。これが理科の考え方だ。ここで、アザミはよそ行きの服を着ていて、濡らしたら怒られる。これならどうなる?」 「…やっぱり、橋を渡る」 「でも、時間がかかると、俺はいなくなっちまうぞ」 アザミはそわそわしてきた。爪を噛んでいる。 「どうする?」 アザミが目を上げた。追い詰められた小動物の目。コジローはその目を受け止めた。 「行かないで!ぼくがここにいるから、これから会いに行くんだから行かないで!」 アザミの声は、悲鳴に近かった。コジローは柔らかく言った。 「それでいい」 アザミの目に不審がたゆたった。コジローはアザミの瞳を見つめ、ゆっくりと言った。 「おまえは、川の向こうにいる俺に声をかけ、自分の意思を伝えた。それでいいんだ。そのために、言葉というものがある。なかなか、素敵な発明だよな、言葉っていうのは」 アザミは黙った。しばらく、以前のように麦わら帽子で顔を隠していたが、そのまま、目を見せずにコジローに聞いた。 「これが、知識を使うこと?」 「国語、算数、理科、社会さ。算数と理科は分かるよな。教科書通りにしようとしても、現実には教科書みたいに条件が整っていることはない。雪解け水が出てたり、雨上がりだったりすれば、その度に答えは変わってくる。国語は、自分の意志を相手にできるだけ正確に伝えるためにする勉強だ。とても大事な勉強だよ。そんで、社会は、経験を学び取る学問だ。自分のやりたいことをするために、どうすればいいか。過去の人はどうして解決したか、それとも失敗したか。地理もあるな。自分のいるところの環境を知ること。どこに行けば、自分のやりたいことができるか。社会の中で、どうすれば自分のやりたいことができるか。それが、社会の勉強だ。それが、学問を身につける、ということだ」 アザミは顔を上げず、コジローに聞いた。 「ぼくがコジローに、そこにいて欲しいと言って、それがちゃんと伝われば、そこに居てくれるということ?」 「それはわからないな。俺のほうの事情もある。すぐに出かけなければいけないかもしれない。でも、その時もアザミの事情がわかれば、夕方には帰るとか伝えられるだろう?」 「すぐに会いたかったら?」 「それを伝えるのさ」 「分かってもらえなかったら?」 「そのために勉強するんだろう」 アザミは思案しているようだったが、やがて顔を上げた。 「わかった。うんと勉強する」 コジローは頷いた。二人は、しばらくけぽけぽ音を立てながら流れる用水を見つめていたが、アザミが不意に言った。 「コジローはなんで、テイジュウしないの?」 「定住ねえ。ちょっと、探し物があるんで、定住していられないんだ」 「探し物?」 「ああ」 「何?」 コジローは答えなかった。 「…ごめん。それは、コジローが人に話したくないことなんだね」 「…んん、まあな」 アザミはまた黙った。しばらく経ってまたアザミが口を開いた。 「探し物が見つかったら、コジローはどこかにテイジュウして、もうここには戻って来ないの?」 「いや、遊びに来るさ。知り合いもいっぱい出来ちまったしな」 「でも、きっと今とは違うよね。テイジュウして、時々ここに来て。そのうち、だんだん忘れていって。ずっと先に、そんな町があったなあ、なんて思い出すだけになるんだ」 「そんなことは……」 「あるさ。コジローだって、そう思ってるじゃないか。ねえ、コジロー、探し物が見つかったらここでテイジュウしない?」 コジローは、空を見上げて言った。 「親が残してくれたうちがあるしな。あいつもそこに住みたいかもしれないし…」 コジローは言ったまま、雲を見つめ、そして弾かれたように立ち上がった。 「いけない!今何時だ」 日は傾き始めている。 「まだ、買い物が残ってる!すまん、アザミ。また話をしよう。きょうはここまで!」 コジローは買い物籠を持って走って行く。アザミはそれを見送って、呟いた。 「ちぇっ…うまく伝えられなかったい…」 アザミはしばらくそこに座り込んで、水が絶えず流れていくさまを見つめていた。 |
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その後も、アザミはコジローと昼休みに遊んでいたが、話をする機会はなかった。すっかり穫り入れも終わり、夜の長くなってきたある日、コジローはまた町を出て行った。 その年の終わりはいつものように大雪が降り、町は雪の中に沈んだ。家々は古くからのように雪囲いを施され、部屋の中は昼間でも暗く、電気を灯す日々を送っていた。道には融雪のための水が小さな噴水のように流れており、湯気を上げていた。子供たちは雪の精のように元気に走り回り、雪が積もって平坦になった、普段は通れない田んぼの上や、畑の上を縦横無尽に走り回った。 月が満ち、町は年の暮れを迎えた。人々は裏山に祭られている山の神に詣で、一年の無事を感謝した。年が改まり、町は静かな新年を迎えた。この正月が、今の家で迎える最後の正月になるかもしれない。来年は、工事で今の家に住みつづけることは出来ない。人々は、これまでの感謝と、これからの希望を神に祈り、神は黙してそれに答えない。そんな、いつも通りの正月が、人々の意識だけを微妙に違えて、穏やかに過ぎていった。 |
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