微量毒素

黄の魔歌 〜幸福の壁〜 p.6


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1 この町では何かが起こっている p.1
2 雇用契約
3 よそもの p.2
4 賛成派と反対派 p.3
5 三ヶ村へ p.4
6 要は、皆が幸せになれれば(1) p.5
要は、皆が幸せになれれば(2) p.6
7 本当に、いいのかな。揺れるアザミ p.7
8 住民の総意 p.8
9 始まった工事(1) p.9
始まった工事(2) p.10
10 夜釣り p.11
11 キャッチャー・イン・ザ・ライ p.12
12 天の海に雲の波たち月の船 p.13
13 アザミは決めた p.14
14 道行き

★ 要は、皆が幸せになれれば(2)

 コジローは、ヤスシさんに、反対派の集まりが伏せり岩の公民館で行われるということを確認していた。三ヶ村の人間が集まることになっている。推進派と同じように、コジローはこちらもかき回すつもりでいた。ヤスシさんに迷惑をかけるのはつらいが、コジローはあくまでやり通すつもりでいた。

 コジローがその日、公民館に出かけて行くと、広い畳敷きの部屋に座布団が並べられている。既に、ヤマシタさんの他にも、多勢の人が集まっていた。そしてその中に、もう一人見慣れた顔があった。

「ア、アザミ?」

 推進派の集まりの時と同じように、アザミがテーブルに座っている。今度は石をいくつかテーブルの上に置いて、少し動かしたり、配置を変えたりしている。コジローは、アザミは実は陰の大立者で、この町の動静は、全てアザミによって牛耳られているのではないかということを一瞬妄想したが、それはいくらなんでもないだろう。少し、心が乱れたが、コジローは深呼吸をして、空いている椅子に座った。


 集まった人間は、どことなく落ち着かず、きょろきょろしている。ヤマシタさんは既に来ている。左の奥で、唇をへの字に結び、腕を組んであぐらをかいている。時間を少し回ったところで、顔の長い男が声をあげた。

「まだ、みんなは来ていないけど、始めようと思います。議題は、ダムの建設についてです」

「ユウサクが来ていないが、ええんか」

 ヤマシタさんがぶすっとした顔で言った。顔の長い男が答えた。

「ユウサクさんは、用事があって来られん。みんなの決めに従うと」

 ヤマシタさんは苦々しい顔をして、黙り込んだ。顔の長い男が話を進めた。

「前回までの話じゃが、やはり、村がなくなるのは反対だ、ということで進んでおる。ただ、うちらだけのわがままで、町全体が困るのもどうかという意見が出とる。なあ、ヤマシタのおじい。本当にダムを追っ払っていいんじゃろうか。ここに職がないから、若いもんはどんどん出て行く。出てったもんは帰ってこん。そのまま都会にいついちょる。ダムなり何なりができれば、多少は仕事もできるじゃろ」

 ヤマシタさんは顔の長い男を睨みつけた。

「ジロウさん、あんたまでそんなことを言うんか。あんたんちは喚沢(おらびさわ)じゃろ。あそこは、ダムが出来たら、なんも残らんぞ。全部が水の下に沈んじまうじゃろが」

「いや、それはわかっとる。それはつらい。もう、ずっと前の代から住んどる里じゃもの。だけどな、今のままでも里はいずれなくなっちまうんじゃなかろうか。里だけじゃなく、南野もな。今、ダムなりができれば、喚沢は消えても、南野は残るんじゃなかろうか。わしはそう思い始めたんじゃ。なあ、ヤマシタのおじい。そうは考えられんじゃろうか」

「何を気弱な!あんたまでがそんなことを言ってると、あっという間に三ヶ村は沈められてしまうぞ。それで、本当にいいんか?」

「いや、よくはないが…」

 ジロウさんは黙り込んだ。集まっている人間は、ばつが悪そうに、お互いを見合っている。コジローはこの様子を見て考えた。

(これで、人が来なくなるわけだ。ユウサクさんとやらも、ヤマシタのおじいさんにやりこめられたんだろうな。もともと、どちらに転んでも痛いんだ。誰かが決めてくれ、という叫びも出てくるだろう)

 コジローは、ジロウさんがしきりに先頭の列の右に目をやっていることに気付いた。コジローが首を伸ばしてみると、そこにはヤスシさんが座っている。ヤスシさんはジロウさんの視線を受けて喋りだした。

「おじい、若いもんの立場で言わせてもらうが、いいか」

「ヤスシか」

 ヤマシタのおじいの顔が、少しひるんだように見えたのは気のせいか。

「ジロウさんの言う通り、三ヶ村には、俺らの働き場はない。南野にも、さしてない。このままだと、俺らは間違いなく南野を離れにゃならん。それでもいいんだろうか」

「何を言う。田んぼも畑も、山もある。仕事は、外からアルバイトを入れてやるほどある。どうして、足りないことがあるか」

「おじい、農家じゃ食って行けん。家のもんが外に稼ぎに行くから、田んぼまで手が回らんで、バイトを使うんじゃ。仕事があるからじゃあない」

「わかっとるわ、それくらい。だから、外に稼ぎに行かずに、みんな自分とこを見ればいいんじゃ」

「おじい。贅沢だというかも知れんが、俺らも新しい車が欲しい。女衆も、綺麗な服を欲しい。テレビもビデオもパソコンも欲しい。だけどな、農家だけをやっていたんじゃ、金は懐に残らん。農協への新しいトラクターの払いに消えちまう。現金が入る勤めは、どうしてもやりたいんじゃ」

「贅沢馬鹿が...」

「おじい、今のままじゃ、駄目なんじゃ。里がつぶれるのはつらいが、俺たちはいる。どこに移ろうと、俺たちがいれば、そこが三瀬火であり、喚沢であり、迫り岩になるんじゃないのか。ダムを入れて、みんなでやっていけんか」

 ヤマシタのおじいは、口を結び、黙り込んだ。


 コジローは、ヤマシタのおじいを始め、村のものはみんなダム建設の方向に傾いて来ているのを感じた。これなら、あと一押しである。

「ちょっといいか。俺もヤマシタのじいさんに賛成だな」

 コジローは立ち上がって言った。今までは発言者も座ったままだったので、皆が驚いて振り向いた。

「青二才…」

 ヤマシタのおじいも驚いている。ヤスシさんも目を細くして、コジローを見ている。

「なんか、みんな、物分かりが良すぎるんじゃないのか。村が沈むんだぞ。何代も、何十代も、何百代も過ごしてきた里が、水の下に消えるんだぞ。天災なら仕方もないが、人間が自分の手で、自分たちの里を沈めるんだぞ。それでいいのか?」

 ジロウさんが、居心地が悪そうに咳払いをした。ヤスシさんが、不審そうな顔をコジローに向けて、座り直した。コジローは続ける。

「いろいろ聞いてみたが、ダムを作っても、目に見えるメリットはないそうだ。観光ったって、最初は珍しがってくるかもしれないが、すぐに飽きられるかもしれない。ずっと人が来るという保証などまったくない」

 何人かが不安そうに身じろぎした。

「そんなもののために、村を、里を沈めていいのか?沈めました、でも何も変わりませんでした、ということになってもいいのか?」

「おい!青二才!」

 ヤマシタのおじいは烈火のごとく怒っていた。

「いい加減にしろ!よそ者に何がわかる!」

 コジローは首を回して、ヤマシタのおじいを見据えた。

「よそもんだから、わかるのさ。この村でボーっとしているあんたがたよりは、ずっとな」

「この、このくそ餓鬼…」

 ヤマシタのおじいは言葉にならないほど怒っている。

「あんたらが里の中だけであーでもない、こーでもないと騒いでる間に、俺は推進派の話も聞いたし、ダム屋の話も聞いた。それでわかったのは、ダムが出来ても、いい方向に行く保証がまったくないってことだ。あいつらはそれでも、この村を沈めようとしてるんだ。なぜだか、わかるか?」

 コジローは言葉を切り、見回した。いつの間にか、公民館は静まり返っていた。

「自分たちが少しでもいい思いが出来るようにだ。村を三つ沈めても、自分たちのところに少しの金が落ちれば恩の字なんだろうよ。ダム屋はそのまま大儲けだしな」

 静まり返った部屋の中で、アザミが石を転がす音だけが響いた。

「もちろん、ダムは大勢の人間のためになる。ダムを作ることで、大勢の人が電気を使えるようになる。でも、そんなことは知ったこっちゃない。自分たちの歴史が沈んじまうのと、どっちが大事だってことだよな」

 ヤマシタのおじいは立ち上がった。

「出てゆけ!よそもんにそこまで言われて、黙っとる気はない。叩き出されんうちに出て行け」

 コジローは唇の端を吊り上げて、笑顔を作りながら言った。

「俺は、近在のダムの出来た町も見てきた。どこもそんなによくなっちゃいないぜ。住んでる奴らの鼻息は荒くなってるけどな。いいことはそれくらいだ。暇があったら、見てくるといい」

 コジローは、事務所でもらったパンフレットをばら撒いた。アザミが石をもう一つにぶつけて呟いた。

「チェック・メイト」

 ヤマシタのおじいは、コジローに走り寄り、頬を殴った。ヤスシさんがすばやく割って入り、おじいを押さえながらコジローに言った。その目は氷のように冷たい。

「出てってくれ。殴ってすまなかったが、あんたはそれだけのことをやったんだからな」

 コジローは手の甲で頬をこすり、にやりと笑いながら出て行った。


 コジローは公民館を出て、憂鬱そうに呟いた。

「岩魚取りは、経験できそうにないな」

「おい」

 突然、横からかけられた声に、コジローは驚いて振り返った。玄関の横に、チヒロさんが腕を組んで立っていた。

「三文芝居を聞かせてもらったよ。一人で悪者になって、村の意見をまとめるつもりかい?」

「そんなつもりは...」

「賛成派の人に聞いたんだよ。あんたが集まりで、暴言を吐きまくったって、えらく怒ってたよ。今の話とまったく逆のことを言ってたそうじゃないか。あたしゃ、あんたが本当にそんなこと言ったか確かめるつもりで来たんだよ。そら、もう言い逃れはできないだろ?」

「ちょ、ちょっと、ここから離れよう」

 コジローはチヒロのおばちゃんを公民館から離れさせた。公民館から十分に離れてから、コジローは降参のしるしに両手を上げた。

「敵わないな、チヒロさんには」

「やっぱりそうなんだね」

「村の人間同士で言い合いになったら、どっちに転んでも遺恨が残るだろ。いずれいなくなる俺なら、ずっと憎まれてもいいだろうからね」

「馬鹿だね、この子は大人たちをもっと信頼しなよ」

「どうだか。大人ってのは、頭が固いからねえ」

「この、くそガキ!」

「お下品だぜ、おばちゃん」

「おばちゃんに格下げかい?」

「まいりました、ってことさ。でも、くれぐれも、みんなには言うなよ。それなりにまとまってきたんだから」

「ここは、あんたの顔を立てておくか」

「恩に着るぜ。ここの人たちには世話になってるからな」

「いいのかねえ、それで」

「いざとなったら、チヒロさんの後ろに隠れるさ」

「馬鹿いってら。誰が!」

 二人は笑いあった。

「でも、どうして俺がここの集まりに参加するって分かったんだ?」

「あの子がさ、連れて行ってくれって言うのさ」

 アザミが、少し離れたところに立っていた。さっきいじり回していた石を持っている。

「アザミが、あんたがこの会議に出るから、一緒に連れてってくれって言うもんだから。店を閉めて来ちまったよ」

「アザミが...」

 コジローはアザミを見た。アザミはコジローを見ている。そう言えば、以前はまったく無視されていたのに、最近はしょっちゅう見かける。特にコジローと話をするわけでもないが、いつも話を聞いている。

「なつかれたかな…」

 コジローは少し切なそうな顔をした。首を振って、アザミを呼んだ。

「アザミ、おまえ、よく俺がこの集まりに来るってわかったな」

 アザミは興味なさそうに目を上げ、コジローを見て、また顔を伏せて言った。

「役場の集まりに出た。次はここに決まっている。でも、遠くて来られないから、チヒロさんに頼んだ」

「そういうもんなのか?」

 アザミは手を上げて、持っている石を見せた。

「コジローと、町長さんと、ヤマシタさんと、サコミズさん」

「あたしはないのかい」

 チヒロさんが面白そうに覗き込んだ。

「チヒロさんは、私と同じ。コジローは、チヒロさんとぶつからない」

 コジローはアザミの手の上の石を凝視した。

「そうだったのか……」

 アザミは石で遊んでいたのではなく、コジローの動きをトレースしていたのだ。強く方向を変える要素と合わせて。これは尋常じゃない。

「なんで、そんなことが出来るんだ」

 アザミははにかんだような顔をした。

「集中したから」

 コジローは、集中したからといって、どうやって人の動きをトレースできるのか、まったく理解できなかった。

「で?今、どんな具合だ?」

「終わった。何が終わったのかわからないけど、あんたのやろうとしてたことは終わったはず」

 アザミはあっさりと言った。他の二人がそれぞれの思いを抱いて見守る中、アザミは大事に持っていた石を投げ捨てた。


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