黄の魔歌 〜幸福の壁〜 p.3
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1 | この町では何かが起こっている | p.1 |
2 | 雇用契約 | |
3 | よそもの | p.2 |
4 | 賛成派と反対派 | p.3 |
5 | 三ヶ村へ | p.4 |
6 | 要は、皆が幸せになれれば(1) | p.5 |
要は、皆が幸せになれれば(2) | p.6 | |
7 | 本当に、いいのかな。揺れるアザミ | p.7 |
8 | 住民の総意 | p.8 |
9 | 始まった工事(1) | p.9 |
始まった工事(2) | p.10 | |
10 | 夜釣り | p.11 |
11 | キャッチャー・イン・ザ・ライ | p.12 |
12 | 天の海に雲の波たち月の船 | p.13 |
13 | アザミは決めた | p.14 |
14 | 道行き |
★ 賛成派と反対派 |
一度おばあちゃんについて買い物に行ってから、コジローはちょくちょく町までの買い物を引き受けた。 「俺が行ってくる。自転車で行けばすぐだろう」 ヤマネさんのうちには、オートバイや車もあるが、コジローはまだ免許を持っていない。その他に、黒い、頑丈で無骨な実用自転車があった。変速装置だのはついておらず、鉄で出来ている車体は重いが、その分頑丈だ。後ろの荷台も十分すぎるほどの大きさがあり、大人が乗ってもびくともしない。 「俺にぴったりだ」 心配するおばあちゃんに、コジローはトレーニングにもなるからと、いつも自転車で買い物に行った。商店街では、すでにおばあちゃんに紹介されているので、コジローはすぐ馴染んだ。知らない店でも、何となく顔見知りのように扱われる。いつもはっきりとした声で喋るので、耳に馴染んでいるらしい。コジローは買い物がてら、世間話をした。いわく、今年は梅雨が長い。イナゴの発生が少ない。早く暑くならないと、それはそれで心配だ。夜は蛍がすごい。アブを寄せ付けない方法はないか、など、など。そして、それに交えて、ダム建設についてのみんなの話を聞き取った。 商店主たちは、馴染みのお客の家が沈んでしまうことについては、遺憾に思っているが、実際のところはダムが造られた方がいいとおもっている。町の購買層は、次第に減ってきている。それは、若い人間が町に居つかないからだ。居つかないのは、若い人間が働けるような場所が殆どないからだ。ダムが出来れば、観光地として、外の人間も呼べる。よその人間がくれば、それをもてなす施設ができ、この町で働くものも増えるだろう。そうすれば、店ももっと景気がよくなる。観光客がこの商店街に金を落とす可能性はそれほどないが、やりようによっては、町が活性化される。商店主たちは、それを期待していた。 コジローは、この間もしばしば、アザミを見かけた。どう考えても就学年齢だし、そうそう毎日休みというわけでもないだろう。それなのに、昼日中に商店街を歩き回っている。女ともとれる名前だが、地方によって、命名基準にはいろいろ差がある。相変わらず、Tシャツに半ズボンで、髪も刈り上げているところを見ると、やはり男の子なのだろう。来た時に魚屋の前で、魚を捌くのを、しゃがみこんでじっと見ていて、帰る時に見ても、まだじっと見続けていたり、八百屋の前で、置いてある野菜を何回も数えていたこともあった。気になって、コジローも何度か声をかけたが、無視されるか、機嫌がよい時には、にっと笑いを返してくれるだけだった。商店街で聞いても、曖昧な返事しか返ってこない。 「ああ、あの子はいいんだよ」 首をかしげながらも、コジローは大きな荷物を括りつけた自転車を、ぐいと山の方に向け、体重をかけて漕ぎ出すのだ。 |
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コジローは、他にやることもないため、骨惜しみすることなく働いた。朝はいつ起きるのか、ヤマネさんが6時に起きると、外で井戸の水を浴びていた。朝4時くらいから、山に行ってトレーニングをしているのである。脇に、鎖でつないだ2本の棒が置いてある。拍子木にしては、木が丸い。ヤマネさんがしげしげと眺めていると、コジローが笑いながらヌンチャクというものだと教えてくれた。夜も食後に、2時間くらい姿を消す。そのときはロードワークをしているらしい。時々、ヤマネさんの切らした煙草を買ってきたりするのだが、一番近い自動販売機でも、数キロ先にしかないのだ。 コジローのおかげで、ヤマネさんはずいぶんと助かった。夏前にするような大事は、概ね片付いてしまったし、後は定期的に草取りをしたりすればいい。畑の方にも手がかけられたので、今年はいろいろと取れそうだった。種苗店にコジローと行くと、置いてある種を見て、コジローが面白そうに聞いてくるのだ。そのため、いつもは作らないようなものまで仕入れ、作ってみることになったものもあった。 ヤマネさんは、だいぶ手が空いたので、コジローを飲み屋に連れていって、慰労会をすることにした。半分は、久しぶりに自分が飲みたくなったのである。コジローは、実はまだ酒を飲める年齢ではないのだが、体格がいいのでごまかせる。コジローは飲み屋でダム建設の話を聞いてみたかったので、連れて行ってもらうことにした。年齢のことは、ヤマネさんはまったく気にしていないようだった。 自動車で行くというので、コジローは説得して止め、自転車で行くことにした。自転車の荷台に座布団を括りつけ、ヤマネさんを乗せて町へ向かった。初夏の宵、蛍が飛ぶ田んぼの脇の舗装路を、コジローは自転車を漕いだ。不意に、ヤマネさんが喋りだした。 「自転車なんて、えらく久しぶりだよ」 「へえ、そうすか」 コジローが答えると、ヤマネさんはしばらく黙っていた。町の灯りが見えてくる頃になって、ヤマネさんがまた言った。 「よく、うちのガキを自転車に乗っけて町まで飲みに来たもんだ。今は、俺が乗っけられてるけどな」 今、自転車を漕いでいるのは、ヤマネさんの子供ではない。コジローは、ヤマネさんの思いを感じ、なぜか申し訳ない気持ちを感じていた。そのまま、二人は黙って自転車に揺られながら、町に入っていった。 |
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ヤマネさんの行きつけらしい店に入ると、元気のいい声で迎えられた。慰労会だと言うと、ご苦労様と言って、カウンターに席をしつらえてくれた。ビールで乾杯し、つまみを食べながら、いろいろな話をした。田の事、畑のこと、山の事。ビールが空いて、お銚子がさしだされる。何杯か飲み、酒が回り始めた頃、コジローは手洗いを借りた。手洗いから戻るとき、コジローはカウンターの隅で漫画を読んでいるアザミを見かけた。酒の酔いも手伝って、コジローはアザミに声をかけた。 「おい、少年」 アザミは顔を上げた。驚くほど、澄み切った瞳。コジローは少し、後ろにのけぞった。 「子供がこんな時間に、こんなところにいちゃいけないよ」 アザミは黙ってコジローを見上げている。コジローは間が持てなくなって言った。 「親が心配するだろうが」 アザミの目が翳ったかに見えたのは、コジローの錯覚だったかもしれない。アザミはそのままコジローを見上げていたが、ついに口を開いた。 「いいんだよ、ぼくは」 「どんな事情があるか知らんが、親に心配させなくてもいい心配をさせちゃいかん」 アザミはしばらくコジローを見上げていたが、ようやく少し顔をゆるめた。 「あんただって、子供の癖に」 「違いない」 「あんたはいいのか?心配をかけても」 「んー、幸いなことに、俺には心配をかける相手がいないから。だから言うんだぞ、親に心配をかけるんじゃない」 言い捨てて、気を残しながらも、コジローはヤマネさんのところに戻った。それからしばらく飲み、いい気持ちに酔っ払って帰るころには、アザミの姿は消えていた。 コジローは回りで飲んでいるおじさんがたにも、ダム建設に訊いてみた。しかし、いい、悪いと言明しても、すぐに「でもなあ」が続く。町を中核で動かしている、中高年層も、判断に困っているようだ。 大きく考えればいいのか、身の回りだけ考えればいいのか。やはり、ことが大きすぎるのだ。ほどほど、というわけにはいかない、All or Nothingという話になってしまうので、みんなも混乱している。とりあえず、現町長は推進派であり、ヤマシタさんという、実際に沈むことになっている村の住民が、反対派の総大将であるということがわかった。 けっこう酔ってはいたが、夜、田の上を吹き渡る風は心地よく、コジローは気持ちよく夜道を家へ向かっていた。ヤマネさんは後ろでうつらうつらしていたが、時々、「ほう、ほう。そうだ、そうだ」と独り言を言ったりしていた。やがて自転車は山の端に近づき、ヤマネのおばあちゃんが二人を待って点けている灯りが見えてきた。 |
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ある日、コジローは買い物に来た時にサコミズさんに会った。相変わらず、小さい車で元気を発散させながら乗っている。きょうは外回りで、これから町中を走り回らなければならないのだそうだ。 「こんにちは、少年。頑張っているそうだね。ヤマネさんは喜んでいたよ」 「ありがとうございます」 「ダムについて、何か考えてみた?」 「いろいろ考えてるんですけど、なかなか線が引けませんね。どちらの方が、町にとっていいのか」 「なかなかいい、社会の宿題だね」 サコミズは少し考え、コジローに言った。 「参考までに、学校を見てきたらどうだい?」 「学校ですか」 「私が、村が沈んでもダムを造った方がいいんじゃないかと思ってるのは、学校を見ているからさ。まあ、だまされたと思って、行ってみてごらん。先生には見学者ということで連絡しとくから。これから行く?」 サコミズは車を降りて、電話をかけた。コジローは、これから町の小学校に行ってみることになった。 |
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コジローが自転車を止めて、校舎に入っていくと、窓から見ていたのだろう、先生が一人、廊下から手招きしている。置いてあるスリッパを履いてついていくと、6年生の教室に入った。生徒は6名で、配られたプリントを解いている。コジローを案内するために、自習にしたのだろう。 みんなの後ろに入って、先生に話を聞いた。やはり子供は減っており、現在のところ1学年1クラス。子供の増える当てはないので、いずれは複式学級になってしまうだろうということである。ただ、この中でも、もうすぐ親と一緒に、もっと大きな町に移ってしまうことになっている子もいるということである。 大きな教室の中で、6人しかいない様子を見ると、寂しいような感じもしたが、子供たちは元気で、コジローを盗み見て、こそこそと話をしている。先生は、各学年の教室を回った。学年によっては十数人いる学年もあるが、全校で50名くらいだろうか。 3年生の教室に、アザミがいた。授業を聞いている感じではない。後ろの席で、何か書いている。いくらなんでも、3年生ということはあるまい。コジローは中学生くらいかと思っていた。 「先生、あの子は?」 「ああ、あの子はいいんですよ」 コジローは学校の先生までがそういう言い方をするとは思わなかったので、ショックを受けた。しかし、切り捨てるような言い方ではなく、むしろ痛ましさを感じさせるような言い方に、それ以上突っ込んで聞くことを妨げさせるようなものがあった。 やがて、学校の鐘が昼を告げ、給食の時間になった。先生がコジローの分も用意してくれたため、コジローも6年生と一緒に給食を食べることになった。給食自体は懐かしかったが、子供たちが妙に静かなのが気になった。とにかく、おとなしいのだ。給食が終わり、ごちそうさまをすると、子供たちと一緒に外に追い出された。校庭で所在なげにしていると、子供たちが集まってきた。 「おじさん、誰?」 コジローはいたく傷ついた。 「おじさんじゃない。お兄さんと呼べ」 「お兄さん、誰?」 子供は屈託がない。 「農家の手伝いだな。ヤマネさんって知ってるか」 「知らない。お金を稼いでるの?」 「まあ、そんなもんだ。ここにダムが出来る話を知っているか?」 「知ってる」 「でも、出来るかどうかわかんないってお父さんが言ってたよ」 「出来た方がいいと思うか?」 「わかんない」 「どうでもいい」 まあ、そんなものだろう。 「でも、ダムが出来れば、子供も増えるって聞いたよ」 「それはいい」 コジローは興味を覚えて聞いてみた。 「子供は多い方がいいのか?」 「あったりまえ」 「サッカーが出来ない」 「野球が出来ない」 「鬼ごっこがすぐ終わる」 「授業のときに、さぼれない」 「こらこら」 確かに、子供が少ないと、遊びも、学校で出来る諸々のことも、ずいぶんと幅が狭まってしまう。 「この中で、沈む村の子はいるか?」 何人かが手を挙げた。 「うちが沈んじゃうのは嫌か?」 コジローが聞くと、皆頷いた。 「でも…」 「?」 コジローが目で促すと、一人の子が喋りだした。 「沈んだら、町の近くに移るんだって」 「ほんとう?」 「それはいい」 「どうしていいんだ?」 「友達と遊べるから」 「今だって遊べるだろ?」 「帰りのバスがあるから、遊べない」 「なるほど、そうか」 三ヶ村の子供は、学校までの距離があるので、マイクロバスで通っている。その時間が決まっているため、町の友達とは遊べないのだ。村に戻っても、遊ぶ子供はほとんどいない。 「そういうことか…」 いい面もあるのだ、とコジローは思った。子供に限らず、町に近くなれば便利がよくなる。特に、年寄りしかいないような家庭では、これは随分と助かるはずだ。もちろん、それと慣れ親しんだ家を捨てるという面は、見過ごしようのない重さがある。しかし、子供たちは、新しい環境を必ずしも嫌がっているだけではないということが分かった。これは収穫である。黙り込んだコジローを見て、子供たちは声をかけた。 「遊ぼ」 「遊ぶ?」 「鬼ごっこ」 「かくれんぼ」 「サッカー」 コジローはにやりと笑った。 「よし。じゃあ、鬼ごっこ。最初は俺が鬼だ。ただし、俺が本気を出したら、君らにゃあ勝てない。」 「そんなことない!」 「まあまあ。だから、俺は目隠しをして追いかける」 「すごい!」 「危ないよ?」 「大丈夫。じゃあ、目隠しをしてくれ。目隠しをしてから10数えたら追いかけるからな」 コジローは手拭いを出して、きりきりと目の回りを縛った。木に向かって、ゆっくりと数を数える。 「いーち、にーい、さーん、…」 子供たちはいっせいに逃げ散った。十を数え終わり、コジローは顔を上げた。顔を右に向ける。息を殺して笑う気配。3人。コジローはふわっと走り出した。5分も経たないうちに、子供たちはみんなつかまっていた。 「ずるい!見えてるんだろ」 「見えてない」 「見えてる!」 子供たちみんなが、声を揃えていった。 「よおし、そんなに言うなら証明してやろう」 「証明?」 「俺は目隠しをして、向こうを向いて立ってる。おまえらは、俺にドッチボールのボールを投げつけてみろ。後ろ向きで、全部避けてやる。そうしたら信じるだろう?」 「やる!」 「危ないよ?」 「大丈夫。さあ、どっからでもかかって来い」 子供たちはざわざわしている。まず、5年生の子供が、息を殺してコジローの後ろからボールを投げた。コジローは左に半歩動いて避ける。もう一人が横から投げる。コジローは腰を後ろに突き出して避けた。3人目のボールを、飛び上がってよける。子供たちはわっと寄って来て、四方から投げ始めた。コジローは全ての玉を避けていく。投げる子も夢中で投げているし、見ている子も大歓声を上げている。一通り投げ終わって、コジローは振り向いて目隠しを外しながら言った。 「どうだ、これでわかっただろう…」 その頭に、ボンとボールが当たった。コジローは傾いて止まる。 「え?」 最後のボールは、3年生の女の子が投げたボールだった。うまく投げられないので、両手で持って下手で山なりに投げたのだ。勢いのあるボールを気配で避けていたコジローには、ふんわりと落ちてくるボールを察せられなかったのだ。 (これだ。慢心はいかんな。子供と遊んでいても、まだまだ学ぶことはある) コジローはとても楽しくなった。コジローは当ててしまっておどおどしている女の子を誉め、今日の最優秀選手です!と言いながら、肩車して校庭を歩き回った。女の子もすっかり喜んで、コジローの頭をぴしゃぴしゃ叩いている。 「次は何だ!」 「かくれんぼ!」 「よおし。今度こそ、絶対に見つからんぞ」 子供たちと一緒に遊んでいるコジローを、アザミが校舎の入り口の階段に腰掛けて、少し首を傾げて眺めていた。 |
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休み時間も終わりに近づき、先生が校舎から出てきて、コジローを探した。 「あれ?帰っちゃったのかな」 校庭では、子供たちがうろうろ何かを探し回っている。先生は子供たちに声をかけた。 「みんな、今日来てたおにいさんがどこに行ったか知らない?」 子供たちは真剣な目で探しながら答えた。 「知らない。今、探してる」 「探してる?」 先生は、様子がわからず、首を傾げた。すると、上のほうからくっくっくと言う含み笑いが聞こえ、声がした。 「ここです」 木の上でなにかがさがさと動いたかと思うと、コジローが飛び降りてきた。 「すいません、こんなところから」 「コジロー、めっけ」 嬉しそうに子供が叫ぶ。コジローは参ったのしるしに、ばんざいをして見せた。子供は歓声を上げて走って行った。 「邪魔をしてしまいましたね。いかがでしたか、子供たちの様子は」 「ダム建設が、子供たちにとっては楽しみでもあるということがわかりました」 「ダム建設は、大きな問題です」 先生は子供たちを眺めながら言った。 「しかし、子供たちにとっては、一つの希望でもあると思います。親について出て行く生徒は、みんな残りたがりますからね。ここで働ける場ができれば、もっと大勢の子供たちがこの学校に集まるようになるかもしれませんからね」 コジローは頷きながら、一緒に遊ぶ子供たちを眺めた。訪れたときは静まり返っていた学校は、今活気に満ち溢れていた。 「じゃあな」 コジローが手を挙げると、子供たちが走りよってきた。 「またね」 「また来てね」 「おう。先生、今日は有難うございました。またお邪魔しにきます。今度は遊ぶだけに」 頭を下げるコジローに、先生は会釈を返した。 「また、子供たちと遊んでやってください」 「約束だよ、ちゃんと来てよ」 「おうともよ」 コジローは言って、自転車に跨った。自転車をぐんぐん漕いで、遠ざかっていくコジローに、子供たちは手を振った。鐘がなり、子供たちは校舎の中に入っていった。子供たちがすっかり校舎に入ってしまった後に、アザミは木の下の日陰で、コジローが去っていったほうを眺めていた。校舎内では授業が始まっていた。 |
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