微量毒素

黄の魔歌 〜幸福の壁〜 p.7


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1 この町では何かが起こっている p.1
2 雇用契約
3 よそもの p.2
4 賛成派と反対派 p.3
5 三ヶ村へ p.4
6 要は、皆が幸せになれれば(1) p.5
要は、皆が幸せになれれば(2) p.6
7 本当に、いいのかな。揺れるアザミ p.7
8 住民の総意 p.8
9 始まった工事(1) p.9
始まった工事(2) p.10
10 夜釣り p.11
11 キャッチャー・イン・ザ・ライ p.12
12 天の海に雲の波たち月の船 p.13
13 アザミは決めた p.14
14 道行き

★ 本当に、いいのかな。揺れるアザミ。

「では、今日の午後の集まりで、総意を問いましょう。来てくださいますね、ヤマシタさん」

 町長は思わず顔をしかめ、受話器を耳から離した。何か怒鳴っているような音が、離れている者の耳にも届き、みなの苦笑を誘った。音が納まり、町長は受話器に口を寄せて言った。

「それでは、よろしくお願いします、ヤマシタさん」

 町長は受話器を置き、皆を振り返った。

「ヤマシタさんも、午後の集まりにいらっしゃいます。反対派の皆さんも連れていらっしゃるそうです。今日の集まりで、南野の方針は、決定するでしょう」

 みな、無言で頷いた。きょうも、アザミが端の席に座っている。紙に何か書いているが、文字ではなく、何か複雑にからまりあった図形のようだ。

「ついに、ここまで来ましたか...」

 町長は感慨深げに言った。そして、思い出したように言った。

「そうだ、もう一人、呼ばなければいけない人がいましたね」

 町長は、電話をかけた。しばらく話をして、首を振りながら電話を置き、また別のところに電話をかけた。やはり、意を達せられなかったらしく、首を振って電話を置いた。

「ヤマネさんのところにもいないそうだ。マグノリアにもいないし」

「コジローくんですか」

 サコミズが言った。町長は頷いた。

「困ったな。出来れば彼に来て、会議の内容を聞いてもらいたいが、どこにいるかがわからない」

「そうですね...後は学校か、商店街か...」

 サコミズは考えながら会議室を見回した。アザミが紙に何かを書いているのを見つけ、サコミズさんの目が止まった。アザミは、最近よくコジローと会っているようだ。アザミなら、コジローが行きそうな場所を知っているかもしれない。

「アザミくんなら、コジローの居場所がわかるかな」

 サコミズは呟いた。アザミの前に行き、顔を覗き込んだ。

「アザミくん、コジローを見つけられる?」

 アザミは顔を上げ、サコミズを見た。そして、こくんとうなづいた。町長は丁寧に、アザミに言った。

「アザミさん、コジローさんに、ここに来て下さるように言っていただけますか?コジローさんにも、ぜひ話を聞いていただきたいんです」

 アザミは顔を上げ町長を見た。しばらく町長の瞳を見つめ、そして、こくんとうなづいた。

「わかった。呼んでくる」

 アザミは立ち上がった。

「ああ、アザミさん、打ち合わせは午後からです。今日の午後、ここに来てくれるように伝えてください」

 アザミは出て行きながら、向こうを向いたまま片手を上げて、振った。了解したという意味なのだろう。アザミが出て行って、町長は誰に言うともなく言った。

「私には、あの子はごく普通の、いや、普通より聡い子供にしか思えないんですけどねえ」

 サコミズは頷いていたが、他の出席者たちは、お互いの顔色を疑うように、見合わせるばかりだった。


 青い空の下、赤蜻蛉が飛んでいる。まだ数えるほどだが、秋が色濃くなるに連れて、空は赤蜻蛉で埋め尽くされるだろう。アザミは舗装されていない道を急ぎ足に歩いていた。村外れの屋敷跡が見えてくる。その屋敷跡の、頑丈に作られた2メートルほどもある石組みの上に、足が投げ出されているのが見えた。

「やっぱり、ここにいた」

 アザミは呟き、足を早めた。コジローは、石組みの上に寝転がって、空を見ている。

「おおい」

 コジローは半身を起こした。

「おお。アザミか」

「何見てる」

「空」

 コジローは身を起こし、石組みからひらりと飛び降りた。

「どうした」

「町長さんたちが呼んでる。今日の午後、役場の会議室に来てくれって」

「俺だけか?」

「ううん。けっこう大勢来るみたいだよ」

「そうか」

 コジローは明るく笑って、伸びをした。

「どうやら意思統一出来たみたいだな。さて、憎まれっ子は矢面に立ちはだかるとするか」

「コジロー?」

 アザミは何か聞きたそうにしている。コジローは振り返った。

「なんだ」

「あんたは憎まれっ子なの?」

「ええい、あんたはやめろ。コジローと言え。まあ、そうだな。憎まれっ子だ」

「なんで憎まれっ子なの?」

「そりゃ、嫌われるようなことばかり言うからだろうよ」

「何で嫌われるようなことばかり言うの?」

 コジローは言葉に詰まった。

「ん……それは、その……性分みたいなもんかな」

「生まれつきってことだよね。生まれつき憎まれっ子は、ずっと憎まれるのかな」

「そんなことはない。憎まれるときは憎まれるけど、そうでない時もたくさんあるだろう。要は、TPOだ」

「TPO?」

「時期と、場所と、場合だ。この三つの条件で、人間のするべき行動はある程度決まってくるんだよ」

「どうやって決めるんだ?」

「まあ、それが一番難しい。普通は常識、ってものに頼るんだけど、こいつもけっこうフラフラしてるんでな。」

「常識は、不確かなのか」

「常識は場所や時代、個人個人の考え方によって変わってくる。だから、人間が2人以上集まると、喧嘩が始まるし、ダム受け入れ検討会議は紛糾するのさ」

「常識って、ずっと変わらない、拠り所だと思ってた……」

「そんなことはない。常識ってのは、個人個人の心の中にあるフィルターだよ。それを通してみんな外を見てるんだけど、フィルターの網の目は一人一人で全く違っている。まあ、人間はある程度相手を許容する気持ちがあるから、そんなおおごとにはならないけどな」

「みんなが違うんなら、普通と普通でないの線はどうやって引くんだ?」

「そんな線はないのさ」

「ない?……」

「ないぞ。普通でないという線引きも、いつも変化している。この町の常識は、隣町では非常識だ。そんな、元々ない線に拘っていると、いつかひどいしっぺ返しを食らうことになる。俺は山ほどの場所を歩いて、山ほどの人と会っている。だから、それがよく見えるんだ」

「コジローには、線は見えないのか?」

「ないものは見えないさ。」

 アザミの目はコジローを真正面から見た。それはコジローでもたじろぐほど、強い光をもって煌いた。

「コジローには、線がないんだね」

 コジローは肩をすくめ、首を傾げてみせた。アザミは、一瞬ためらってから、コジローに訊いた。

「コジローは、なんでわざとみんなに嫌われようとしてるんだ?」

 コジローは動きを止め、目を細くしてアザミを見た。

「何だ。それ。」

「どっちの集まりでも、わざと皆と反対のことを言っている。みんなが怒るようにしている」

 コジローは頭をかいた。

「口止めしてなかったっけ。アザミ、その話、誰にも言ってないよな」

「何で、言っちゃいけないんだ?」

「せっかく意見が一つになったんだ。水を差したらどうなるかわかんないだろ」

 コジローは腕を組んで言った。

「いいか、たとえば、俺とおまえが喧嘩をしていたとする」

「うん」

「そこへ、隣町のゴンゾウがやってきた」

「ゴンゾウって誰」

「誰でもいいんだよ、ゴンソウでもタイゾウでも。とにかく、よそもんだ。そのタイゾウがやってきて、二人に喧嘩を売った。そうすると、俺とおまえは、とりあえず仲直りをして、よそもんのタイゾウと喧嘩をするわけだ」

「同じ町の者だからだね」

「その通りだ。共通の敵が出来ると、それまで戦っていた同士でも、同じ目的を得て、それに向かうようになる。そんな具合なんだよ」

「でも、コジローは?これだと、コジローはタイゾウになっちゃうよね」

「それでいいんだよ。どうせ、すぐに消えるんだから。伝説の陰険なよそもん、てのも悪くはない」

「悪いよ。何で、コジローがそんな風に見られなくちゃならないんだ?何も悪くないのに」

 目を大きく張って、アザミは強い調子で叫んだ。コジローは優しく微笑み、アザミに言った。

「ありがとさん。でも、このままにしておいてくれ。それが、一番嬉しいんだから、俺にとってはな」

「だけど、不公平じゃないか...」

 言い募るアザミ。遂に涙が溢れ出す。コジローはちょっとひるんで言った。

「はなっから公平なんて望んじゃいないさ。じゃあ、こうしておこう。おまえがわかっていてくれれば、それでいい」

 アザミは一瞬、口をパクパクさせ、口を閉じて、そして言った。

「アザミ、って言え」

 コジローはにやっと笑って言った。

「すまん、アザミ。涙は苦手だ。じゃあな」

 コジローは塀を飛び越えた。塀の向こうから声がする。

「頼むから、誰にも言うなよ。村にはこのほうがいいんだから。会議が始まるんだろ。急がなくちゃな。わざわざ伝えてくれてありがとう。後でクリームソーダでも奢ってやるわ」

 そして、歩き去って行く足音が聞こえた。アザミは塀に頭を押し付けた。しばらくそのまま、じっとしていた。足音が聞こえなくなって、しばらく経ってから、アザミは静かに言葉を押し出した。

「コジローも普通じゃないんだな。だから、あんなにわかるんだ。でも、それでいいのかよ、コジロー。ほんとうに?」

 暖かな風が吹いている。アザミは塀に頭を押し付けたまま、呟いた。

「ほんっとに、ガキなんだから。バカ」

 アザミは誰かにもたれかかるように、ずっと塀に頭を押し付けていた。そして、勢いよく塀から離れ、両手を振り回しながら歩き出した。

「まあ、いいか。これから考えるぞ、いろいろ。いっぱい!」

 アザミは、顔をあげて言った。その顔は驚くほど明るい。アザミは上げた顔を、そのまま空に向けて、見上げた。アザミはコジローが、空に何を見ていたかを知りたくなった。

「よし」

 アザミは石組みを攀じ登り始めた。コジローは、既にはるか遠くを、世界を支配するもののように、胸を張って、堂々と歩いていた。自分を糾弾するであろう者たちの元へ。


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