微量毒素

黄の魔歌 〜幸福の壁〜 p.2


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1 この町では何かが起こっている p.1
2 雇用契約
3 よそもの p.2
4 賛成派と反対派 p.3
5 三ヶ村へ p.4
6 要は、皆が幸せになれれば(1) p.5
要は、皆が幸せになれれば(2) p.6
7 本当に、いいのかな。揺れるアザミ p.7
8 住民の総意 p.8
9 始まった工事(1) p.9
始まった工事(2) p.10
10 夜釣り p.11
11 キャッチャー・イン・ザ・ライ p.12
12 天の海に雲の波たち月の船 p.13
13 アザミは決めた p.14
14 道行き


★ よそもの

 サコミズの紹介で、顔合わせは滞りなく済んだ。コジローはこれから2ヶ月あまり、ヤマネさんの家で寝起きし、農家の仕事を手伝うことになる。その後も、事情が許せば、刈り取りまで手伝って欲しいとのことだったが、それはとりあえず、夏が終わってから考えることになる。

 ヤマネさんのうちには、ほんとうに年寄りしか居らず、コジローが来てくれたことを喜んでくれた。普段、生活の場となるのは、囲炉裏のある、吹き抜けの大きな広間である。3〜40畳はあろうか。下から見上げると、縦横に渡された手刀削りの太い梁と、藁葺き屋根の裏側が見える。長い年月の間、囲炉裏の煙で燻されて、梁も屋根の裏側も、黒光りしている。

「まあ、何ていうか、トラディショナル、ってやつだな」

 コジローは、骨太なその雰囲気に圧倒されていたが、不思議に安らぐものがあり、しばらく見上げていた。そこから一段下がって、やはり30畳くらいある板の間がある。そちらは作業部屋らしい。仕切れるようにはなっているが、普段は建具もすべて外してある。

「夏の間は、暑いからな」

 ヤマネさんは教えてくれた。網戸などなく、すべて開け放しである。虫も入ってくるが、田んぼの上を渡って入って来る風が心地よい。ただ、アブは、コジローも少し持て余した。そんなに飛び回っているわけではないが、突然肌を出している部分がちくりと痛むのだ。油断しているときにやられるので、ショックが大きい。

「つぶすしかねえな」

 ヤマネさんは笑うが、刺されてからつぶしても遅い。コジローは渋い顔をした。その日は、仕事の話や、コジローの寝起きする場所の片付けだの掃除だので日が暮れた。

 夕食は野菜が主菜の、山里特有のものだが、量は十分にあり、きのこや山菜など、珍しいものが並んだ。コジローの寝るへやは、仏壇のある客間が当てられた。客間は立派過ぎると断ったが、他の部屋は片付けが大変だからと押し切られた。なるほどと思い、従ったが、後で見ると他の部屋も片付いている。ヤマネさんが気を使ってくれたのだろう。うるさいほどのカエルの合唱を聞きながら、コジローはぐっすりと眠った。


 さっそく次の日から、5時起きで手伝うことになった。サコミズの言った通り、本当に何でもやることになった。鶏の世話に始まり、田んぼの見回りと草取り、畑の手入れ。けっこうな仕事をしていたが、11時で家に戻り、早めの昼食を摂ることになった。コジローも慣れない仕事にぐったりしていたが、食欲は十分だった。食事が終わり、ふと後ろ手についた手のひらの、畳の感触がひやりとして気持ちよかったので、横になってみた。午前中の作業で熱を持った背中が冷えて心地よい。コジローはあっという間に眠りに落ちていた。

 優しく揺り起こされて、コジローは目を覚ました。ヤマネのおばあちゃんが起こしてくれたのだ。

「昼にあんまり寝ると、夜寝れないから」

 失礼を詫びると、嬉しそうに笑った。

「ほんとに、よく寝てたよ。雷が鳴っても目が覚めないくらい」

 その後、3時間くらい話をした。夏は、昼間は働かないとヤマネさんは言っていた。ヤマネさんの子供たちは。もう曾孫もいるのだが、村を出て行って外で暮らしているのだと言う。村には働き口もない。農家では食っていけない。息子は20年働いて、差し引き残る額がほとんどないと計算して見せて、村を出て行ったのだという。どこぞの都会で、会社勤めをしているそうだ。年に一回、孫や曾孫を連れて、子供たちが帰ってくるのだという。チヒロさんのところと似たようなものだとコジローは思った。チヒロさんを思い出したはずみに、コジローは、チヒロさんが言っていたダムの話を思い出した。

「ダムはな。難しいな、考えんのが」

 ダムがくれば、補償金も落ちるし、観光の目玉にもなる。しかし、3ヶ村のものにとっては、先祖からの土地がなくなるわけだし、うちだって追い出されるってことになったら反対するよな。町が開けるったって、よそ者が来れば、町も村も荒れる。どっちがいいのか、決めようがない。

「うちは沈むわけじゃないし、年寄りだけだから、どっちでもいいんだけどな」

 ヤマネさんは笑う。

「でも、先のことを考えたら、新しいことが起きたほうが、ここのためにはいいんだろうけどな」

「確かに難しいな。みんなに同じように利益になればわかりやすいんだけど。そうでなければ、みんな一緒に苦しむようなら」

「おいおい、そりゃ穏やかじゃないぞ」

「みんなが幸せになるってのは、けっこう難しいんだな」

「そりゃそうだ。妬みも嫉みもあるからな。人と同じじゃ嬉しくなかろう」

「なんとかなればいいんだけど」

「頑張れよ、若いの」

「よそものだからな、おれは」

 ヤマネさんは困ったような顔をして笑った。コジローは自分の言った言葉が幾通りかに取れることに気づき、言葉を足した。

「よそものに口を出されたら、かえってこじれるでしょう」

「それはそうだな」

 ヤマネさんは笑っている。そう言いながら、コジローは自分の出来そうなことを考えてみた。時間はたっぷりある。何かやってみることは出来るかもしれない。思案しているコジローに、ヤマネさんは声をかけた。

「さあ、日が傾いたから行くぞ。まだやることはいっぱいあるからな」

 コジローがヤマネさんと田んぼの草取りに汗を流しているうちに、せみの声が油蝉からヒグラシに変わった。いつ変わったのか、気づかないほど唐突に、ヒグラシのもの哀しいセッションであたりは埋め尽くされ、日が翳っていった。山あいのこの土地では、日が沈むより早く、暗くなってゆく。適当なところで作業を切り上げ、コジローはヤマネさんと一緒に家路についた。


 夜、コジローは布団の中で考えていた。ダムが出来ることで、ここの生活はどう変わるだろう。よく変わるのか、悪く変わるのか。問題が大きすぎて、簡単には結論が出せない。とにかく、もっと判断するための情報が必要だ。コジローは、情報収集をしてみることにした。結論が出たことで安心したのか、数分後にはコジローは寝入っていた。慣れない仕事は、コジローを適度に疲れさせ、思い出しても、考えても対応しようのないことから解放してくれた。コジローは、この夜は夢も見ずに、ぐっすりと眠った。


「本当はどちらがいいのだろう」

 コジローは情報収集を開始することにした。取っ掛かりをどうするかで迷ったが、とりあえず地元の人間がどう考えているかを知る必要がある。そうは言っても、よそ者が聞き回っても、町の人間の本音が聞けるわけもない。実際のところは相手の表情や、仕草から推し図るしかない。

「ま、無理だな」

 コジローは町の人間の話を聞くのは先に延ばすことにした。現時点では、チヒロさんやサコミズさんの話だけで十分だし、まとまった見解になっている分、わかりやすい。ただ、コジローはまとめられる前の、一人一人の言葉に隠されている、本音の部分を確認したかったのだ。それには、相手を目の前に置いて、対面で話をするしかない。ヤマネさんのところにしばらく居て、町の人間に顔を覚えられれば、もう少し情報を得やすくなるだろう。そのためには、町のいろいろなところに顔を出していた方がいい。コジローはヤマネさんと田の手入れに出ながら、方策をいろいろ考えていた。


「そろそろ買い出しにいかんと」

 ヤマネのおばあちゃんが言う。コジローは町の人間に知り合ういい機会だと思い声をかけた。

「おばあちゃん、町に行くんだったら連れてってくれ。荷物持ちにはなるぜ」

 ヤマネさんが頷いたので、コジローはおばあちゃんと一緒に町に出かけた。おばあちゃんは軽トラックを勢いよく運転してゆく。このあたりだと、車の運転ができないと、確かに不便かもしれない。ほどなく町に着いた。このあたりには大型スーパーはない。昔ながらの商店街の、専門店が並ぶ風景は妙に懐かしい。おばあちゃんは道端に車を止めて、魚屋の前に行った。コジローはきょろきょろしながら、後について車を降りた。

「こんちわ。今日はなんかいいのはあるかね」

 おばあちゃんが声をかけると、魚屋の親父は元気よく応えて、今日のお奨めをいくつかあげた。おばあちゃんはそれを聞きながらふんふんと頷いていた。コジローは進み出て、挨拶した。

「こんにちは。今、ヤマネさんのところでお世話になっているコジローです。しばらくこちらにいるので、よろしくお願いします」

 魚屋はちょっと戸惑ったような顔を見せたが、すぐに頷いた。

「ヤマネさんのところは、若いもんがいないからな。学生バイトにしては早いね」

「ええ。この時期からお世話になってます。田んぼの仕事はけっこう大変ですね」

「そうだろう。年寄りだけじゃあ大変だよ。しっかり手伝ってくれな」

 魚屋はそこそこの好感を持ってくれたようだ。コジローはこの調子で、おばあちゃんの後について、商店街を一通り回った。よそ者はやはり注目されているらしく、それなりに話も出来たし、顔も多少は覚えてもらえたようだ。帰りの車の中で、おばあちゃんが聞いてきた。

「あんた、幾つだったっけ」

「16歳ですよ」

「バイトの学生より若いくらいだね」

「バイトの学生さんは大学生が多いんですか?」

「このあたりの高校生か、大学生だね。やっぱり大学生が多いかな」

「じゃあ、ぜんぜん俺が若いですね」

「でも、あんたの方がバイトの学生より、ずっと大人っぽいね。店の衆に挨拶するのなんて、あんたが初めてだよ」

「いやあ、よそ者だから、顔くらい覚えてもらわないとやりにくいかな、と」

 おばあちゃんはしばらく黙っていたが、信号待ちで止まったところで、また話し出した。

「そこが違うんだな。バイトのお兄ちゃんたちは、ここはしばらく居るだけだからって、馴染もうとはしない。あんたは馴染もうとしてる」

「だって、やりにくいんじゃないかなあ、いろいろ」

「多少やりにくくても、わざわざ付き合おうとしないんだね。あんたは違う。珍しいよ」

「そうかな...人によるんじゃないですかね」

「なんにせよ、あんたがそういう子でよかったよ」

 コジローは照れてしまった。

「そんな、いいもんじゃないすよ。せっかくだから顔を覚えてもらいたかっただけで」

「うんうん」

 おばあちゃんの運転する車は、一面の緑に包まれた、田んぼの横の道をまっすぐに走っていった。


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