微量毒素

黄の魔歌 〜幸福の壁〜 p.8


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1 この町では何かが起こっている p.1
2 雇用契約
3 よそもの p.2
4 賛成派と反対派 p.3
5 三ヶ村へ p.4
6 要は、皆が幸せになれれば(1) p.5
要は、皆が幸せになれれば(2) p.6
7 本当に、いいのかな。揺れるアザミ p.7
8 住民の総意 p.8
9 始まった工事(1) p.9
始まった工事(2) p.10
10 夜釣り p.11
11 キャッチャー・イン・ザ・ライ p.12
12 天の海に雲の波たち月の船 p.13
13 アザミは決めた p.14
14 道行き

★ 住民の総意。

 大きな会議室が、人でいっぱいになっていた。座りきれずに、立ったままでいるものも大勢いる。コジローは後ろの奥に立っていた。チヒロさんも来ており、椅子に座っている。サコミズさんも、前の方に立っている。コジローは、サコミズさんとは目を合わせられなかった。ダム会社の人間も何人か参加している。その中に、コジローに説明をしてくれた男の姿もあった。

 町長は一番前のテーブルに、こちらを向いて座っている。そちらを向いて、おおむね右側に反対派のメンバーが集まっている。時間が来て、職員が開会を宣言した。次に現状報告として、別の職員が説明を行う。話は、ダムを受け入れる方向で進められている。それに対し、反対派側の動きはない。現状報告が終わり、これからの活動についての説明に移る。

 最終決定がきょう行われれば、それを受けて、正式に会社との調印がされることになり、これから先は役場と住民代表が参加する推進委員会が設けられ、状況と問題点の把握・対応に当たることになるという説明がされた。結局、コジローを矢面にたたせることなく、会議は進行し、住民は、ダムを受け入れる方向で話が進んでいる。コジローは、結果には満足したが、不審だった。

(なんで紛糾しない?なんで俺は叩かれない?)

 話が一段落し、質疑応答が終わった時、町長がコジローのほうを見て言った。

「コジローくん、じりじりしているようだね。このように決まったのが不満かね?」

「いや、別に」

 コジローの頑なな言い方に、町長はふっと笑った。

「君を共通の敵と見させることで、町の意見をまとめようとしてくれたのは嬉しいが、少しは大人を信用して欲しいな」

 コジローはちらっとチヒロさんの方を見た。チヒロは首を振った。

「何のことだか...」

「おとなを甘く見ちゃいかん。意見が違えば喧嘩をするだけじゃない。違うところを話し合って、いい方向に持っていこうとするのが当たり前だ。公式な集まりだけでなく、個人個人との膝詰めの話し合いってのを、地道にやっていくのが大人のやり方だ。そうでないと、道を誤ることになりかねんからな。」

「じゃあ、なんで俺をわざわざ呼んだんだ」

「地道な談判を重ねるうち、おかしなことに気づいてな。横で五月蝿く騒ぎまわるよそものの言うことが、あっちとこっちで全く違うということがわかってきた」

 コジローは渋柿をおもいきりかじったような顔をした。

「大人はね、意見が合わないとき、相手を非難するだけじゃない。ちゃんとしての意見を聞いて、理解しあおうとするんだ。誰ぞがこそこそ小細工をしても、そんなものはすぐにわかってしまうんだよ」

「あー、さいで」

 コジローは身体が縮んでしまったように見える。町長はそれを見て微笑んだ。

「それを踏まえて検討したら、方向性が見えてきた。ヤマシタさんはわかってくれたよ」

「!頑固じじいが!」

「言葉は気をつけて使いなさい。もっとも、私もその評価は否定しないが。そのヤマシタさんの崩しようのなかった壁に、話が出来る穴を穿ってくれたのは君だ。ヤマシタさんは、よそものに気を使われて、町のことを心配されてるんじゃ、こっちの立つ瀬がないとおっしゃった。私も全く同意見だった。君に来てもらったのは、君の善意に敬意を表して、町の意見がどうなったかを見てもらうためだ。ありがとう、コジロー君」

 町長は手を差し出した。コジローは回りを見た。サコミズさんがガッツポーズをして、ウインクしていた。知った顔が、にやにやしたり、ぶすっとした顔をしたりしながら、コジローを見ている。ヤマシタのおじいと目が合った。ヤマシタのおじいはゆっくりと横を向き、とびきりのふんっと言う顔をして見せた。コジローは町長のほうに手を差し出そうとしたが、途中で動きを止めた。顔を伏せ、何か言っている。

「…苦手なんだよ」

 コジローの口から、叫びが迸った。

「御免!」

 コジローはくるりと後ろを振り向き、会議室から飛び出し、ものすごい勢いで走り去った。サコミズさんが目を潤ませて言った。

「ほんっとに、ガキなんだから」

「まったく、少しは大人というものを信用して欲しいものだね」

 町長が言った。ヤマシタのおじいが吐き捨てるように言った。

「あんなガキに町のことをかき回されてたまるか。おい、町長。後は俺に任せろよ。三ヶ村の説得は俺がやる」

「まあ、そう言わず、私にも行かせてくれ。あんた一人が悪者になることはないさ」

 町長は言い、皆を眺めた。

「それでは、住民の総意は、間違いなく確かめられたと判断します。我々はダムを、幸福をもたらす壁として、受け入れることを決定します」

 会議室は、水を打ったように静まり返った。サコミズさんは町長をまっすぐに見て、手を叩き始めた。直に拍手が広がり、全員が拍手をしていた。ここで、南野町のダム建設受け入れが、正式に決定したのである。


 サコミズさんは、駅でコジローを見送ろうとしていた。

「まったく、見送りなんていらないっすよ」

「挨拶くらいさせなさいよ。チヒロさんにはちゃんと挨拶したんでしょ。チヒロさんから連絡がなかったら…」

「ちぇ、チヒロさんか…口止めしときゃよかった」

「ヤマネさんからも電話が来たわよ」

 コジローは渋い顔をした。

「また、秋には来るんだって?」

「まあ、ヤマネさんのところが忙しくなる頃には」

「来たら、ちゃんと顔を出しなさいよ」

「あー、努力します」

「誠意がないなー」

「まあ、それはその時で。それより、これからが大変でしょう」

「ダムの話ね。まあ、3年はかかるらしいわ。あんたもちょくちょく来てくれるわね」

「工事現場で働くつもりです」

「なるほど。来たら推薦してあげるから、ちゃんと顔を出すのよ」

「へい、へい」

「まだ、岩魚取りだってしてないしね。ダムが出来たら、もうあそこでは出来なくなっちゃうんだから」

 向日葵が風に揺れるように、サコミズさんの顔を憂いがかすめたが、それも一瞬。出発のベルが鳴る。コジローは列車に乗り込んだ。椅子に座り、開いている窓越しに、サコミズさんと会釈を交わす。

「じゃあ、頑張って、少年。また会えるのを楽しみにしてるから」

「サコミズさんこそ。必ず、また来ます。その時に、妹を連れて来られればいいんだけど」

 コジローの顔に翳が走る。列車はゆっくりと走り出した。

「じゃあ」

「また」

 コジローは窓から顔を出して、手を振った。サコミズさんはホームで大きく手を振っている。その姿がどんどん遠ざかり、線路脇で揺れているたくさんの向日葵に隠れた。コジローはそのまま、窓の外を見ていた。いつも流れている、大きな川の流れ。その河原に、子供たちがいた。

「?」

 子供たちは手を振っている。大きな麦わら帽子が見えた。先生もいる。

「チヒロさんか?」

 アザミがチヒロさんに聞いて、みんなで来たのだろうか。コジローは窓から乗り出して、大きく手を振った。子供たちの歓声が聞こえる。アザミは顔をあげない。麦わら帽子に隠れている。

「また来るからな!」

 コジローは強く叫んだ。アザミの右手が上がり、まっすぐに伸びた。

「アザミ−!」

 コジローが叫ぶ。列車は左に曲がり、河原は一瞬にして視界から消えた。コジローは顔を戻した。最後に見えた、上に伸びたアザミの細い手が記憶に焼きついている。

「今度は、もっと遊べるかな…」

 コジローは呟いた。コジローの頭の中では、既にこれから再開する妹探しの方策がいろいろ渦巻き始めていた。また、中央に問い合わせて、それから回る。日本中を。必ず生きている、突然どこかに行ってしまった妹を探して。


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